2番手からすぐにトップになれず落胆、お披露目公演をへて対峙した“大きな重圧”

鮮やかなグリーン色のストライプ柄がとてもお似合い! 撮影/近藤陽介

 その後、雪組に組替えとなり、音月桂さんがトップに、私が2番手のポジションについてからは、新たな試練が始まりました。私は周りが気になってしまうタイプで、自分の力不足を感じるたびに悩んでは、心をすり減らしていました。音月さんに相談したくても、「忙しいトップさんを煩わせてはいけない」と遠慮して壁を作ってしまっていたように思います。そんな中で音月さんが退団を発表。通常、トップが退団したら2番手が次のトップに指名されることが多いので、「次は私かも」と少し期待することもあったのですが、劇団が次のトップとして発表したのは、当時、花組にいらした壮一帆さんでした。

「自分がトップに選ばれるのではないか」という局面で壮さんが入ってきたときには、たいへんな挫折感を味わいました。宝塚に入ったからには、みんな口には出さなくても、トップへの夢を持って精進します。でも振り返ると、当時の私は2番手という位置にいながら、トップになる覚悟を持ちきれていなかったように思います。心の奥では、トップへの夢を抱いて、毎日ものすごくがんばっているのに、どこかで「私なんかがトップになりたいと思ってはいけない。もっとなりたがっている人たちがいるから」などと葛藤して、意志が揺らいでいる部分があったのかなと。だから、「しかるべきときに、壮さんが来てくださったんだ」と自分に言い聞かせました。

 しかし、そこで火がついて、改めて「絶対にトップになりたい」という決心がついたんです。これまで以上に稽古に励む日々でした。

 壮さんが退団を発表されたあと、劇団からはギリギリまでトップの指名がありませんでした。そんな中でついにトップ就任のお話をいただいたときは、喜びもものすごく大きかったのですが、「ここからまた、やることが山ほどあるな。自分には何ができるだろう」と、まず気を引き締めました。やるしかない、と決めてからは、スッキリしましたね。もやから抜け出し、視界が良好になって、「目の前のことからひとつずつやっていこう」と、前進していく気持ちが芽ばえました。

 トップお披露目の作品となったのは、『ルパン三世』です。実は、最初にルパン役でお披露目と聞いたときは、正直ショックでした。宝塚らしい作品ではなく、アニメ原作のものでしたから。でも、ふたを開けてみたら宝塚を知らない方にも観ていただけて、客席の入りが千秋楽までずっと100%超え。うれしくて気合いが入りました

 ただ、たいへんな好評をいただいてしまったため、次の舞台はもっと、その次はもっとよくしなければ、と自分にプレッシャーを与え続けてしまい、重圧に押しつぶされそうになったんです。トップである自分に何かあったら、舞台を止めてしまう。作品の良し悪しを決める要となる自分がうまく回らないと、確実にみんなを巻き込んでしまう。確立されたポジションをひとりで担いつつ、雪組全体のことも考えねばならないという責任の重さがのしかかり、もがく時期もありました。

 ありがたいことに、その後の公演でも高い客席稼働率をキープすることができましたが、私にとっては稼働率以上に、「いかにおもしろい舞台をお客様に届け続けられるか」が何より大切でした。もちろん上層部は稼働率を気にしていたかもしれませんが、タカラジェンヌはそこに生きてはいないんです。商業演劇ではあるけれども、歌劇団員の意識は少し違う。純粋に、「いいものを作れるかどうか」その1点に集中しているんですよね。

 思えばトップになってから演じたのは、ルパンをはじめ個性的なキャラばかりでした。ときには「演出家の方たち、私のことをよくわかってますよね」と自虐的になったりして。二枚目の役って、来なかったですもんね(笑)。でも、だからこそ楽しかった。型にはめられるのが嫌いなので、はまらなくてすむものばかりで、自由度が高く、ビジュアルの作り込みにものめり込みました。2番手の時代に『Shall we ダンス?』 や『ベルサイユのばら』といった原作がある作品に出演する機会が多くあったことで、原作を舞台で立体化することが身体に染み込んでいたんです。原作のある作品をどう演じるかの引き出しは多かったかもしれません。その点は、未熟な自分を助けてくれる武器として、存分に使えました。

 しかし、自分ひとりががんばるだけでは足りません。上の学年になればなるほど、「出演者が一丸となって舞台を作り上げないことには、お客さまにクオリティの高い作品を届けられない」と思っていたんです。ですから下級生には、「お客様に楽しんでいただくためには、あなたはこんなこともできるよ」などと、可能性を示してあげられるような言葉をかけるよう心がけました。自分が上級生とうまくコミュニケーションがとれず壁を作ってしまっていたので、下級生にはなるべく思ったことを伝えるとともに、下級生の意見も取り入れようとしていました。

早霧さんの、自分の反省を生かして後輩と向き合おうとする姿には頭が下がる思いです 撮影/近藤陽介 

退団後の舞台『るろうに剣心』で、この先自分が本当にやりたいことがわかった

 そんなこんなで仲間と切磋琢磨しながら宝塚での日々を過ごし、入団から16年後の'17年に退団しました。退団後の活動は、白紙でした。在団中に舞台出演は決まっていましたが、本当にできるのか、やりたいのか、やれるのか、すべて半信半疑だったんです。それでも「いつか“これだ”と思えるものに出会えるはず。だから役者を続けてみよう」と自分に言い聞かせていました。

 とはいえ、宝塚卒業までにさまざまな夢が叶(かな)いすぎていたので、退団直後は、残りの人生をもう“余生”と呼んでいたんです。いわゆる「燃え尽き症候群」ですね。でも、そのころは気づかなくて、最近です。「あ、あのとき燃え尽きていたんだ」とわかったのは(笑)。

 燃え尽きながらも舞台に出続け、まだ宝塚の延長にいるような、もう違う世界にいるような、不安定な時期が続いていましたが、'18年に大きなターニングポイントがありました『るろうに剣心』の舞台に主演し、再び男役を演じたことです。演じてみて、正直「男役はもう、おなかいっぱい」となりました。女性が男性を演じるには、とてつもないエネルギーが必要です。パワーや迫力は、男性の役者たちにどうしてもかなわない。でも、虚勢を張ってでも堂々としていないと、強い剣心には見えない。周囲のサポートのおかげで、舞台では私なりの剣心を演じられたと納得はできましたが、「これは自分が今、そしてこれから、やりたいことではない。今後は純粋に女性の演者としてお芝居がしたい」と気持ちの整理ができました