赤提灯のぶら下がる飲み屋街、昔懐かしいおもちゃ屋さん、古着屋、銭湯、舞台……。

 いわゆる“サブカルチャーの聖地”として名高い東京高円寺ですが、 実は“本屋の街”としても有名です。そんな個性豊かな街に2022年9月オープンした書店「蟹ブックス」店主・花田菜々子さんは約20年にわたり複数の本屋で書店員として勤め、著書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(以下、『であすす』)で書かれているように、独特のアプローチで本と向き合ってきました。

 そんな生粋の読書人・花田菜々子さんが出店した本屋さん。満を持して気合い十分の開店!……かと思いきや、そのスタンスは意外にも自由かつしなやか。まさに“流れるような人生”を、能動的に切り開いてきた方でした

 今回は、書店員・花田菜々子さんのこれまでの軌跡、そして彼女らが「蟹ブックス」を立ち上げるまでの経緯をたどっていきます

「さえないサブカル文化系女子」花田さんの苦悩と、常軌を逸した行動!?

──書店員になる前の花田さんはどんな学生だったんですか?

「ひと言で言うと“サブカル好きなさえない文化系女子”でした。岡崎京子さんの漫画や電気グルーヴ、文芸では吉本ばななさんに影響されていましたね。

 特に吉本さんの本は、傷ついた心を持ち直して生きていく様子が描かれている作品が多くて、よく自分の人生に重ねていました。昔から大勢に合わせるのが苦手で、学校にもなじめなかった私をわかってくれる唯一の味方というか......。勝手にもう一人のお母さんと思って、のめり込むように読んでいました

──学校を卒業した後はすぐに就職したんですか?

「一応入ったんですけど、うまくいかずに程なくして辞めました。それで30歳くらいまでは好きなように生きようと決めたんですよね。

 両親は“ちゃんとした企業に正社員として働くこと”が正義と思っていたみたいです。ただ、私は芸術系の大学を卒業しているんですが、当時の風潮として“就職とかダサくない?”みたいなものがあり、ご多分に漏れず私もそう思っていて(笑)。両親には“正社員として働いている”と伝えていましたが、就職などはせずにダラダラ下北沢とかを歩いているような人になりたいと思ってたんです」

──そうだったんですね。『ヴィレッジヴァンガード』に入ったのは、なにがきっかけだったんですか?

どうせいい会社になんて就職できないのだから、働くなら楽しいところがいいと思い、選んだのが『ヴィレッジヴァンガード』でした。サブカル好きな私にとって好きなものだらけの空間で、大学時代に知って以来通いつめていたお店だったんです」

──そんな『ヴィレッジヴァンガード』を退職される前に“出会い系サイトで初めて会う人におすすめの本を紹介する”という行動に移されたんですよね。すごく大胆だと思いましたが、当時はどんな心境でしたか?

「今思い返すと自分でもどうかしていたと思いますが(笑)。でも当時は、“変なことをしている自分”が支えになっていたと思います。『ヴィレッジヴァンガード』に入って、本を売る楽しさを知って、仕事にやりがいを感じて、周りの人も大好きで……。まさに理想どおりの生き方。それなのに、だんだん会社と自分のやりたいことが合わなくなって、気づけば会社や業界の愚痴ばかり。加えて結婚生活もうまくいかなくなって、気づけば自分には何もない。そんな自分に嫌気がさして、このままじゃ自分を嫌いになってしまうと思って踏み出した結果の行動でした

──すごい……。新しいことを始めるときって、ジムとか習い事とかを考えちゃいますが、やってみていかがでしたか?

「まず行動することで自分に自信が持てたし、何よりもひとつの価値観で生きなくてもいいと体感できましたねジムとか習い事では、自分の傷には届かないと直感していました。

 思い切って行動したら、自分の悩みなんて小さいと思えたし、ずっと特定のコミュニティにいなくていいんだなと思えました。一人ひとりとの出会いも大きかったです。夢に向かって模索してたり、何かを始めようとしてたり、お仕事につなげたいと思って活動してたり……。人生観も特殊で楽しい人も多くて、当時ふさぎこんでいた自分の気持ちを上げてくれました

流れ着いた結果、『蟹ブックス』をオープン

『蟹ブックス』入り口の案内板 撮影/山田智絵

──その後『二子玉川蔦屋家電』『パン屋の本屋』『HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGE」を経ての現在ですが、“次に挑戦する場所”に臨むときはいつもどんな気持ちだったんですか?

あー……。なんだろう。特にないかも(笑)。

 積極的に“新しい場所に行こう!”“挑戦しよう!”と思ったというより、その時々の流れに乗ってきたというほうがしっくりきます。その都度、選択肢が現れて迷いながらも、自分がこれがいいと思う道を選んできました。蟹ブックスも同じです

──満を持して! みたいな感じではなかったんですね。

“いずれ自分の店を持てれば”くらいの気持ちでした。当時いた会社でも自由にやらせてもらい、いろんな人と仕事もしてやりがいを常に感じていました。だから『HIBIYA COTTAGE』の閉店が決まったときもすぐに自分の店を始めようと決心したわけではありませんでした。自宅で原稿の仕事などを続けながらアルバイトをする、という選択肢もありました

 でも、やっぱり自分の居場所に本屋がないとダメだなと。書店員を辞めて趣味で本屋に通うとしても、行けて週1くらいじゃないですか。そのあいだにどんどん新刊が出て、読みたくてもお金がついていかない。それなら本屋をやったほうがラクだと思ったし、何よりも本屋にいないとつまらないと思ったんです

──数々の書店を渡り歩いたからこその原点ということですね。『蟹ブックス』の場所を高円寺にした理由は?

すごくピッタリな物件があったんですよ。実は当初、中央線にお店を構えるのは避けていたんです。吉祥寺や新宿にはいい本屋がたくさんあるし、あえて中央線に出店する必要があるかなと思っていました」

──たしかに中央線のなかでも高円寺って、本屋激戦区としても有名ですよね。

「そうなんです、だから最初はちょっと抵抗がありました。だけど、高円寺は平日でも商店街は人通りが多く、個性豊かなお店もイベントもたくさんやっていて、来るたびに魅力を感じていたんです。古き良き街並みが再開発で失われていくことが多いなか、高円寺はなんというか……街が生きてるって感じたんです。家賃面とかももちろんありましたが、“ここでやってみよう”と思える街の魅力があったんですよね」

──店名の「蟹」には何か特別な意味があるとか?

「これも絶対的な理由はないんです。読みやすくて親しみやすい名前にしようとは考えていました。蟹ってかわいくて平和なイメージがあれば、カッコよくて怖いイメージもあるし、人によってはおいしいと思うだろうし(笑)。そういう自由な感じが気に入りました

オープン前にお邪魔した店内。淡い光が差し込み、本を照らしている 撮影/山田智絵

「極論、死んでもかまわない」しなやかに歩むための、力強さ

──『であすす』の行動にしても、『蟹ブックス』を出店するまでの経緯にしても、しなやかにご自身の道を歩んできたんだなと思いました。

「ありがとうございます。そう見えているなら最高にうれしいですけど、全然そんなことないです」

──今の時代、何かやりたくても怖くて踏み出せない人が多いと思うのですが、どういう心持ちでいれば踏み出せるのでしょうか。

「これまでやってこれたのは周りに恵まれていたのもありますけど、いい意味で自分を大事にしていないからだと思います。失敗しても死にはしないし、極論、死んでもいいくらいの気持ちというか(笑)

 一歩踏み出すときに怖いと思っても、その気持ちは手放すようにしています。もしダメでも“私って元からこんなものだよな”と思えばいいですし」

──どこか力強さも感じます。

「サラッとしているように見えるかもしれませんが、負けず嫌いだし人と違うことをしたい気持ちもあって、なんだかんだ頑張ってきました。20代の頃から自分なりに考えてトライアンドエラーを繰り返す。それが今につながっているのかなと思いますね

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 流れているように見えて、その時々で真正面から向き合う。それが花田さんのしなやかさであり、力強さであると感じました。花田さんの生き方は男女・年齢問わず、たくさんの人のヒントになるはず。インタビュー第2弾では、花田さんがたどり着いた本屋の形や、蟹ブックスに込めた想いなどをお届けします。

 (取材・文/阿部恭子、編集/FM中西)

【PROFILE】花田菜々子(はなだ・ななこ)

1979年、東京都生まれ。書籍と雑貨のお店『ヴィレッジヴァンガード」に12年勤めた後、『二子玉川蔦屋家電』ブックコンシェルジュ、『パン屋の本屋』店長、『HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGE』を経て高円寺に「蟹ブックス」を2022年9月にオープン。実話小説『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』はベストセラーになり、2021年に『であすす』の名でWOWOWにてドラマ化。