会社員兼作家として二足のわらじをはき、毎年、何本もの評論を執筆する手条萌さんが『平成男子論:僕のエッジと君の自意識。』(彩流社)を刊行したのは、平成が終わってすぐだった。
昭和生まれと平成生まれが混在する1989年に生まれた手条さんは、“平成元年生まれ”という自意識が常にあり、その感覚を糧に、平成を独自の視点で解剖した。
年号が令和に変わった2019年の冬、転機を迎えた。
「このころから、お笑い評論の同人誌を出すようになりました」
その前年、『M-1グランプリ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)で歴代最高得点を出したミルクボーイが、平成最後のチャンピオンになったことが大きかったという。
「お笑いについては、学生時代から好きだったので“推し評論”として内々に書いてはいたんですが、時流を読んで本にはしていなかったんです。ここ数年でM-1がお笑いファン以外からも注目されるようになって、今なら読んでもらえるかもしれない、と思いました」
最初に出した評論同人誌が好評を得たことで、手条さんはお笑い評論を主軸にするようになる。お笑い評論に関係したメディア出演や記事執筆のオファーも来るようになった。
一方でコロナ禍は、手条さんの評論の読者層や作品の売り方にも影響を与えた──。
【手条さんが激務の会社員を続けながら作家活動も精力的に行う理由に迫ったインタビュー記事#1:“カレー女子”と呼ばれてから約10年、異色の評論作家・手条萌さんが会社員をしながら本を出し続けるのはなぜ?】
評論作家としてお笑いを考察するのには意味がある
「お笑いを評論してもいいのは、当事者である芸人だけっていう風潮を変えたかった」
手条さんは、力強くそう話す。
高校生のころからお笑いの劇場で生の漫才を見るのが好きで、故郷の広島から大阪の劇場に足を運ぶこともあった。毎日が忙しい今も、劇場にほぼ毎週、通っている。
「初めて出したお笑い評論のタイトルは『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後』です。テレビが“お笑い第七世代”って言葉をひんぱんに使うようになったころでした。
七があるなら、一から細かくわかれているはず。お笑いを世代分類しようと決めて、私の知らない時代のお笑いは当時を詳しく知っている人に取材しました。それで、詳しい年表を作って解説したんです」
以降、お笑い評論は手条さんの活動の主軸となっている。
「お笑いファンの人から、“手条さんの本で初めて評論を読んだ”と言っていただくこともあって、うれしいですね。前よりも読者層が広がっているのを感じます」
気遣いから生まれる読者との信頼関係
コロナ禍で即売会などのイベントが軒並み中止になったことは、同人作家に打撃を与えた。手条さんも例外ではなく、本を売る場は「通販がメインになりました」と話す。
自分の本に興味を持ってもらうために、通販と連動して使うのはインターネットだ。
「コロナ禍の前から気をつけているのは、自分が発信するコンテンツで、恋愛などのライフステージや政治に関する話をしないことです。使うSNSは主にTwitterなんですが、日常ツイートではゆるい感じを出しつつ、イベント前は丁寧な告知ツイートをして、緩急をつけています。
ほめ言葉としてよくもらうのが、“ふわふわした人かなと思って手条さんの評論を読んだら、鋭いことを書いていて突き落とされました”という感想。ギャップを感じるみたいです」
手条さんのほかの著書やSNSを知らないで、気になった一冊だけを通販で購入する人も増えた。
「直通販で購入してくれた方には、自筆の手紙を一緒に送るようにしています。即売会などのイベントなら、ほかのブースに出ている作家さんの本も見られるけれど、通販は、ピンポイントで私の本を見つけて買ってくださっているので、付加価値をつけたくて」
気遣いを忘れない手条さんだが、慌てたこともある。
「最近よく手に取っていただいている著書に『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』があるのですが、ときどき、それ1冊のみを通販で購入していただくことがあって。
もちろん、ありがたいです。ただ、2020年のM-1グランプリのあとに起こったのが漫才論争で。あのとき、優勝したマヂカルラブリーさんのネタが漫才か漫才じゃないかって議論されましたよね。
私個人としては、あのネタは漫才だと考えていますし、世間で話題のネタをただ煽るような本だと誤解されるのを避けたいという気持ちがありました。そのために、本の最後に参考文献として既刊をリストアップしました。ほかのテーマの評論も書いているということを、過去作のタイトルで知ってほしかったので」
購入後、SNSに感想を書く読者も多い。手条さんはそのすべてをまとめて、大切に保管しているという。