変身して「本当の自分」に戻る日本、変身しても「もとのまま」の欧米
こうした日本人とシンボルとの関係、そしてシンボルを使っての変身は、現代になって始まったことではないと武本先生。
「昔のスーパーヒーロー、たとえば桃太郎や水戸黄門、遠山の金さんも、チャンバラをする前にシンボルを取り出して変身します。シンボルを使って初めて、スーパーヒーローに変身できるの」(武本先生)
桃太郎の鬼退治はきびだんごがあればこそだし、水戸黄門は印籠を取り出してから悪人どもを懲らしめ、遠山の金さんももろ肌脱いで桜吹雪の入れ墨を見せつける。それまではただの子ども、老人、遊び人だった人物が、シンボルを使うことで初めて本当の自分、つまりは“強くて頼れる正義の味方”たる、自分の中の、本当の自分自身を解き放つことができるのだ。
その一方、欧米のスーパーヒーロー、たとえばスーパーマンやスパイダーマンの変身には、目立ったアイテムは登場しない。さらには変身してスーパーパワーを獲得しても、スーツの中身はさえない新聞記者のクラーク・ケント、両親を亡くした内気な青年ピーター・パーカーのままである。
しかしなぜ日本では、スーパーヒーローに変身するのにシンボルが必要なのか? 武本先生は日本古来の宗教である神道の影響を指摘する。
「神道、たとえば私が学んだ黒住教では、“こころの中には天照大神という鏡がおわす”と教えています。私は、日本人は、その鏡に自分の姿を映すことで自己を意識していると思います。
つまり、欧米では“われ思うゆえにわれ在り”と言うように、頭の中で言葉にし、ブツブツと自問自答することで何が正義かを自分自身で判断し、自分という人間を意識します。それに対して日本人は、こころの中にある鏡に自分自身を写すことで何が正義か、それが本当に正義であるのかを判断し、自分を意識するのです」(武本先生)
頭の中でブツブツと反すうしながら答えを出す欧米のような自問自答型の自己認識では、考えはどうしても一方通行的になりがちだ。だが、こころの中に自分を写し出す鏡があれば、自分の姿を映像にして、“自分と自分の考えは本当に正しいだろうか?”と、他者の視線からも自分の姿を見るような、一歩引いた客観性を持つことができるだろう。
「ですが、自分自身を常に鏡に写し出すことで何が正義か、それが本当に正義であるかを判断するとなると、どこまでも自分で考えたり、論じる能力は限られてしまう。考えて論じる力が制限される中で力を発揮するためには、制限を外したり、それを引き出してくれるシンボルが不可欠なんです」(武本先生)
日本人はよく、欧米人から「自己主張しない」と言われたり、「Yes、Noがはっきりしない」「何を考えているかわからない」と指摘される。外国人との討論の際、理路整然とした欧米人の理論を正しいと感じながらも、「でも本当にそれだけが正解なの?」とどこか戸惑い、その戸惑いを照れ笑いで隠してしまうことを、われわれ日本人はしばしばする。
言うなればそれは、こころの鏡に相手の意見に同意する自分自身の姿を映し出しつつ、「相手の言い分は正しいのか?」「それに同意する自分に恥じるところはないだろうか?」と一歩引き、自分自身を客観的に眺めている姿なのだ。
武本先生は、欧米の人々には意味を察しかねるこうした日本人の不思議な姿勢を、とても高く評価する。
「僕から見ると日本人は、若いころから自分自身を想像することに長(た)けている。これは神道というベースがあって、そうしなさいと教えられているからです。日本人には反省する能力があるのです。ところが西洋人にはそうした能力はありません。こころの中に自分を写す鏡がないからです」(武本先生)
ちなみに先生がちゃりんじゃーに変身するのは、「日本人になりたいから。日本人が持つ、視覚的な自己意識を持ちたいから」(武本先生)だとか。
スーパーヒーローから私たち一般ピープルまで、意識すらしてないものの、日本人には、神道の考え方が相当根強く息づいているようであり、その考えは、異なる文化的背景で育った持った人にも興味をそそるものであるようなのだ。
#2では、スーパーヒーロー像の比較で見えた意外な日本人の姿と、これからのインバウンド戦略について聞いていく。
(取材・文/千羽ひとみ)
《PROFILE》
武本ティモシィ
山口大学経済学部観光政策学科教授。1965年イギリス・ロンドン生まれ。エジンバラ大学で哲学と神道、バス大学で工学を学んだのち、1989年より日本に滞在。8年前より社会心理学の一種である文化心理学を専門とし、東西のスーパーヒーロー像の比較や、レストランのメニュー等を通して独自の日本人論を展開している。