日本のハワイこと、福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」は、6つのテーマパークと4つのホテルからなる一大レジャー施設。1966年に日本人が憧れていたハワイをイメージした施設として「常磐ハワイアンセンター」の名前で誕生したのが始まりです。
そんなスパリゾートハワイアンズの代名詞ともいえるのが、映画『フラガール』で一躍有名になったフラガールショー。でも、実はそれと並ぶほど歴史のある名物ショーがあるのをご存じですか。それが2022年で50周年を迎えるファイヤーナイフダンスショーです。
今回は、日本で唯一のファイヤーナイフダンスチーム「Siva Ola(シバオラ)」の2名の現役メンバー、リーダーのジンLEONさんと最年少のエディ勇人さんにインタビュー。知られざる歴史やショーの見どころを伺いました。
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元フラガールショーのMCで伝説のダンサー、ケン青木とは?
ファイヤーナイフダンスとは、両端に火をつけた棒をバトンのように自在に操り、投げたり、華麗かつ勇敢に回すダンス。南太平洋に浮かぶ島国・サモアに伝わってきた「勝利のジェスチャーをもとにした踊り」だ。
スパリゾートハワイアンズ(以下、ハワイアンズ)でファイヤーナイフダンスショーが始まったのは1972年。始めたのは日本のファイヤーダンス界のレジェンドともいえるケン青木さんだ。
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ケン青木さんに習った最後の直弟子で、現在、ハワイアンズのファイヤーナイフダンスチームのリーダーを務めるジンLEONさんは次のように振り返る。
「もともと青木さんはフラガールショーのMCをやっていて。初代フラガールの小野恵美子さんに、“(ファイヤーナイフダンスというものがあるから)やってみたら?”と言われたのがきっかけだと聞いています」(ジンLEONさん)
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ハワイアンズのフラガールショーは、ハワイやタヒチ、ニュージーランドなどポリネシアと呼ばれる島々の踊りを取り入れている。サモアもポリネシアの島のひとつであり、フラガールショーとの親和性は高い。ケン青木さんもやる気になった。
「しかし当時、日本でファイヤーダンスをやっていた人はほぼいなかったはず。ネットどころかビデオすらない時代。資料で勉強したり、バトントワラーの経験者にバトンの回し方を習ったりしたそうです」(ジンLEONさん)
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最初は火をつけるのが難しく、バナナを切る“ナイフショー”からのスタートだったそう。炎をつけて、“ファイヤーナイフ”ダンスショーとしてのスタートは1972年7月3日。最初はにわか仕立てだったが、お客さんには大いに受け、人気も高まっていった。
「青木さんが引退したのは東日本大震災の直前で、当時58歳だったと思います。ファイヤーナイフダンスは世界選手権も開かれるほどで世界各地にダンサーがいるのですが、体力的なピークが早いため、20代の選手が大半。50代でやる人は世界でも珍しく、青木さんは本当に特別です」(ジンLEONさん)