スポーツ三昧の日々から宝塚の世界へ。憧れの月組で、必死に練習を重ねる日々
私は子どものころはスポーツ少女で、宝塚のことはいっさい知りませんでしたし、まさか自分が芸能の道に進むとは、夢にも思っていませんでした。水泳、バスケットボール、ハンドボールなどをかけもちし、さらに、人数が足りないからと選抜メンバーとして陸上部に呼ばれて、県大会で走り高跳びにも出場。体育会系ひと筋の、楽しい学生時代を送っていました。
そんなころ、友人のバレエの発表会を観に行って大感激しました。その後、私もバレエを始めたのですが、バレエ教室に行くと“宝塚”というワードが飛び交っていたんです。ある日、新聞を見ていたら「宝塚観劇バスツアー」という広告が目に入り、「そんなにみんなが話題にするなら1回見ておこうかな」と軽い気持ちでバスツアーに参加したところ、初観劇ですっかりハマってしまいました。
演目は、月組の『長い春の果てに』でしたが、観終わってからも興奮さめやらずで、『ガイズ&ドールズ』のビデオを買って帰りました。初めて観た舞台の衝撃があまりにも強すぎて細部を覚えていなかったので、ビデオを観て出演者を認識していき、最初は大空祐飛さんに憧れて、月組ファンになりました。ですから、自分が入団して月組への配属が決まったときは大感激でした。宝塚受験は、3回目で合格しました。
宝塚音楽学校に入学すると、ファンモードはすっかり消えてすぐに「仕事」という意識に変わっていきました。入団2年目の新人公演(入団7年目までの団員で通常公演と同じ作品を1度だけ上演する、若手育成のための公演)『ラストプレイ』で、霧矢大夢さんの役に配役されたのですが、とてつもないプレッシャーでした。月組の大スターだった明日海りおさんの、最後の新人公演主演でしたから、私が失敗したら明日海さんの最後の新人公演を台なしにしてしまうと思い、そうならないよう死に物狂いで本役の霧矢さんの姿を追っていました。
次の新人公演『スカーレット・ピンパーネル』では、主役のパーシー役をいただいたんです。いつか出てみたいと思っていた大好きな作品でしたので、パーシー役のオーディションを受ける際、“何が何でもチャンスをつかみたい”と必死に練習して臨んだ思い出があります。そのとき、相手役だった彩星りおんさんと、ショーブラン役を演じられた紫門ゆりやさんがサポートしてくださって、いい関係で舞台を作り上げていくことができ、パーシーを演じられたことが本当に幸せでした。
今振り返ると、新人公演初演出だった生田大和先生が、3年目の私でもきちんと主演に見えるようにと演出を考え、せり上がりからの目立つ登場に変えてくださったのかなと感じます。舞台に出たときの照明のまぶしさは、今でもよく覚えています。怖いもの知らずだったので、ただただ楽しく演じられたのですが、それ以降は、だんだん舞台に立つ怖さがわかってきました。