コロナ禍での活動停止中は、心が休まった

──コロナ禍になって、音楽活動ができなかったときはどのように感じていましたか?

これは誤解を恐れずに言えば、という話ですが、僕ね、コロナのタイミングで本当にやることがなくなって、ホッとしたんですよ。みんなには言えなかったけれど。毎日、人前に立ってステージで歌わなければならない。作品を作って売らなきゃならない。『氣志團万博』や自分たちのGIGも、どうやって集客するのか、どうやって収益をあげるのか、メンバーやスタッフたちの生活、みんなを楽しませるには……飽きられないためには……だなんて、常に考えていたんでしょうね。それがこんなにプレッシャーだったんだって初めて気づいて

──氣志團の活動をやっていくうえでのプレッシャーが大きかったのですね。

「バンド活動を1年やって、また来年になると新しい時代が始まる。たまに“本当に自分のやりたいこと”をやっているのかもわからなくなる。こんな大所帯を食わせていくのは大変だなって常に危惧していた。でもファンのみなさんには会いたいし、ステージが嫌なわけではないんです

──ライブや音楽活動ができない間は、どのように過ごされていましたか。

「酒を飲みに行くのもはばかられる中で唯一、誘ってくれたのが、Psycho le Cemu(サイコ・ル・シェイム)のボーカルのDAISHI君。彼がやっているジムに、チャリで毎日通っていましたね。普段はタイアップが決まってから曲を作るような、ミュージシャンとしてクソみたいな僕が(笑)、暇すぎてチャリに乗りながら全部、鼻歌で作ったんです。それがニューアルバムに収録されている『房総魂』と『Do Me』です

綾小路 翔さん 撮影/山田智絵

──ご自宅では楽器を演奏されないのですか?

「引っ越したばかりで、家には旅行用に買ったアコースティックギターが1本置いてあるだけだったんですよ(笑)。そういう状況で作った曲なんですよね。音楽活動ができなかったときにしていたことは、キャンプとジム通いですね。キャンプに行って、自分で作った曲を野外で聴いていました。そんなことばかりしていましたね」