《生きててよかった そんな夜を探してる》
今年で結成33年のフラワーカンパニーズ。彼らの代表曲である『深夜高速』。2004年リリースにもかかわらず、今年7月にはこの曲のファンである伊集院光さん、井ノ原快彦さん、大久保佳代子さんらが魅力を語る『アワー・フェイバリット・ソングVol.3~私が「深夜高速」を愛する理由~』(BSフジ)が放送され、根強い人気を証明しました。
そのフラカンのリーダーであり、株式会社フラワーカンパニーズの代表も務めるのがベーシストのグレートマエカワさん。バンドの中核メンバーであるマエカワさんに、『深夜高速』の誕生秘話や、コロナ禍で思ったこと、同世代の50代へのメッセージを聞きました。
【第1弾記事:フラワーカンパニーズのリーダー・グレートマエカワさんが振り返る、“メジャー契約終了”という危機からの奮起】
《生きててよかった》という歌詞を聴くのが、最初はつらかった
──『深夜高速』が生まれた経緯を教えてください。
「2001年にインディーズになってから、1年に1枚、アルバムを絶対作ろうって思っていたんです。でも1年に1枚だと間隔が長すぎるから、間にシングルを作ろうっていう話になった。『深夜高速』は2004年にCDシングルとして発売したんですが、本当に当時の生活を歌った曲なんですよ。その頃はライブが終わって、夜に車を走らせて次の街に移動することが多かったんです。
鈴木が書いた《そんな夜を探してる》という歌詞は、売れたいというか……もっといろんな人に見てもらいたいっていう気持ちのことだと思うんですけど。当時、鈴木は私生活があまり調子よくない感じだったので、《生きててよかった》っていう歌詞を歌うことに対して、正直、“ちょっとつらいなあ”って思ってましたね」
──あまりにも赤裸々な歌詞だったので、心配されたのですね。
「そう。僕もほかのメンバーも、私生活を含めた鈴木圭介という人間をよく知っているので、そう感じていたんです。でもCDを出してみたら、初めからお客さんがすごく反応してくれた。『深夜高速』が出た頃から、“フラカンいいぞ”みたいな感じで、改めてバンドもだいぶ認識されるようになった。この曲のおかげで活動が広がったところはありますね。“いい曲だけれど、ほかにもいい曲があるけどな”って、今も僕は思ってますけど(笑)」
──マエカワさんにとって、『深夜高速』はどんな曲ですか?
「2009年に『深夜高速 -生きててよかったの集い-』という、いろいろなミュージシャンが『深夜高速』をカバーしたトリビュートアルバムが発売されたんですけど、ほかの人がカバーをした『深夜高速』を聴いて、“これはいい曲だわ……”って改めて気づいた。それまで客観的に見えてなかったんだと思います。今は冗談抜きで『深夜高速』は教科書に載っていい曲だと思います」
──ライブやフェスでフラカンのライブを観たことがある人なら、「ヨサホイ」のかけ声で観客が一体になる『真冬の盆踊り』も代表曲だと思います。
「志村けんさんがいたザ・ドリフターズの曲に『のってる音頭』っていう曲があって、めちゃくちゃ好きだったんですよ。カバーでやろうって言ったら、鈴木が“同じようなリズムで曲を作ろう”って言ってきたんです。当時は周りから“あの曲はカッコ悪いからやめてよ”って言われたこともあったんですよ」
──フェスなどでも演奏されていると、みんな足を止めるほどインパクトがありますよね。
「僕も好きな曲なんだけれど、曲に頼りすぎたなって思うところがあって。でもコロナ禍以降、『真冬の盆踊り』はお客さんとのコールアンドレスポンスができないから、休ませているんですよね」
──早く声が出せるようになるといいですよね。定番といえば、ライブではマエカワさんの裸にオーバーオール姿も定番ですが、こちらもルーツがあるのですか?
「'70年代、欧米では裸にオーバーオールを着ている人が多くて、それをマネして日本でも着ている人がいたんです。沖縄のコンディション・グリーンというバンドは、3兄弟で裸にオーバーオール(笑)。それくらい流行っていたんですよ。すごく好きなスティーヴ・マリオット(イギリスのギタリスト)も若い頃は裸にオーバーオール。俺はオーバーオール以外にも、ヒッピーファッションが好きだったから、ベルボトムにサイケ柄のシャツっていうファッションもしていたんですよ」
──オーバーオールでの思い出ってありますか?
「2013年4月の野音(日比谷野外音楽堂)のライブの時、48年ぶりの寒波が来たんですよ。最低気温6℃で、観ている人たちも冬みたいな服装で。俺は気合いで行けるけど、お客さんから寒そうって思われたら嫌だから、アンコールだけ裸にオーバーオールで出ていったんです。そうしたら、“あー!!”って、その日いちばんの歓声でしたね(笑)」