楽しい思い出しかないけれど……

「(病気をしてからは)お酒そんなに飲んだら駄目なのに、水のふりして焼酎を飲んでるので、それを僕が水にかえて。そしたらそれをまた秀樹さんが焼酎にかえてとか(笑)。

 僕は“秀樹さん、飲みすぎたら駄目ですよ”って、ちょっと母親のようにお酒の心配をしていましたね。すると、その横で片方さんが、小っちゃい声で“ちょっと焼酎入れて……”とかって言ってるんですよ(笑)」

──あ、完全な真水だとバレバレですからね(笑)。

「本当にいろいろなツアー、ブラジル、サンフランシスコ、オーストラリア、韓国……海外にも連れていっていただいて。

 だから勉強させてもらいながらも家族旅行をしていました。演奏が終われば、叔父さんとの家族旅行になるんです」

ブラジル、サンパウロ公演の楽屋でくつろぐふたり。2度目の脳こうそくから復帰し、海外コンサートも敢行した(2012年9月) 提供/宅見将典

──そういうときは、やはり呼び方とかも変わるんですか?

「ふだんから “まーくん”だったり、“お前”だったり。まず “将典”とは言わなかったですね。
 1回メンバー紹介のときに僕のフルネームを忘れて、“オン・ギター……”で迷って、迷ったあげく “まーくん!”って言ったことがあります(笑)。ドラムの方は渡辺豊さんなんですけど、豊を忘れて “ドラム………渡辺!”と言ったこともあります(笑)」

──そんなところもチャーミングですね。

「もう楽しい思い出しかありません。悲しい話なんてひとつもない。

 ただ1度だけ、とってもつらいことがありました。あるときスタジオでリハーサル中にすごく嫌なことを言われて。もちろん秀樹さんは冗談のつもりだったんですが、あまりにも僕の顔色が変わっていったので、みんなが見ている前で僕に頭を90度ぐらい下げられたんです。

 なんかもう泣けてくるんですけど……。

 許せなかった自分への葛藤というか、なんであなたがそんなことを言うのって悔しさとか、いろんな感情がごっちゃになって、僕もボロボロ泣いちゃって。最終的には頭を下げられたことが、また悲しくて。こんな大尊敬する叔父さんに、なんてことしちゃったんだろう、と」

定番の秋コンサートのためリハーサルスタジオに入った秀樹さん。いつでもどこでも仲間たちの視線の中心にいた(2011年9月) 提供/宅見将典

「でも次の日が面白いんです。またリハだったので “おはようございます!”って入っていったら、秀樹さんがチラッチラッこっちを見てくるんですよ。何かこう、僕がずっと怒っているんじゃないか!?  みたいな。けっこう、気にしぃなんです(笑)。

 そのとき、秀樹さんは赤いジャケットを着ていたんですけど、急に “お前、これ着てみよろよ”って服をプレゼントしようとしてくるわけですよ(笑)。まだ僕ガリガリでやっと着られるぐらいで、どう見ても袖も長くてブカブカで」

──秀樹さん、背が高いですからね(身長182cm)。

「なのに “着てみろ”と言って。手なんてぜんぜん出てないのに “ぴったりじゃないか!”って嘘までついて(笑)。 “お前、着て帰れ”って、寒いのにTシャツのまま帰られました。僕、大切にその赤いジャケットを持ってます」

夢に出てくる秀樹さん

──お亡くなりになる前に、最後にお話したのはいつだったんですか?

「2017年のコンサートが終わったあと、ビザを取ってロサンゼルスに移住することが決まっていまして。僕が出発する直前にお電話をくださいました。

 たぶん、しゃべるのもつらかったと思うんですけど、“頑張ってね”とひと言だけ。それが最後の会話になりました

 秀樹さんが倒れた2018年4月。宅見さんはたまたま所用で日本に帰ってきており、病室に駆けつけることができたという。

 5月16日、享年63歳──。

 東京・青山斎場で営まれた通夜・告別式(5月25日・26日)には友人、知人、関係者のみならず、日本全国から1万人ものファンが参列した。

「葬儀まで本当にいろいろな準備があってご家族は大変だったので、僕も半分アースコーポレーション(事務所)の社員のようになって、お手伝いをさせていただきました。出棺のときに流された『ブルースカイ ブルー』は、秀樹さんがいちばん好きなバラード。西城秀樹といえば『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』だろうという話もあったんですが、それはちょっと……。秀樹さんがきっと “それ、おかしいよ”って言うだろうなぁって。

 あとはやっぱりご本人のこと。葬儀までけっこう日数があったので、秀樹さんがなるべくいい状態でいられるようにしてほしいとお願いしました」

──では、本当に最後の最後まで、カッコいい秀樹さんだったんですね。

はい、カッコよかったですね。病院で寝ている最中も、最初はどうしても水分でむくむんですけれど、どんどんシャープになっていくんです。ものすごくカッコよくなっている。最後がいちばんカッコよかった。だから、本当にすごいなぁと思います。

 秀樹さんはご病気もあって最後は細かったんですけど、太っていたときもあったんです。僕のいちばん好きなお姿は40代。男の色気がたっぷりのヒゲが生えた秀樹さん。まさにそういうお姿でしたね。変な話なんですけども、若返っていったという感じがしました」

──棺の中の秀樹さんは何を着ていらしゃったんですか?

「赤いシャツを。祭壇にも飾られた、あの写真のシャツを着ていらっしゃいました」

お気に入りの赤いシャツを身にまとった秀樹さん。青山斎場には、ファンなど一般参列者用の祭壇も設営された(2018年5月) 撮影/北村史成

「今でも秀樹さんの夢を見るんです。夢の中ではすごくお元気で、復活している。“もう治ったよ”みたいな、めっちゃ元気な秀樹さんがよく出てきます。

 きっと僕が望んでいる、今でもそうなってほしいと思っているからなんでしょう」

──それはファンのみなさんも僕らも一緒ですよね。そういう意味で、今回の新曲『終わらない夜』はかけがえのない贈り物になったような気がします。

「そう言ってもらえるとうれしいです。これは後付けになりますけど、あの曲のラストは《終わらない〜》という歌詞と歌声で終わっているんです。そこにすごく秀樹さんからのメッセージを感じてほしい。

 最初にレコーディングしたときは、まさか死後に出そうなんてお気持ちはなかったと思うんですけれども。本当に最後に出る曲の最後の歌詞で《終わらない》って歌っているので、すごく希望を持てるというか」

大盛況のうちに幕を閉じた『西城秀樹フェスタ・イン・東京 ヒデキ・エモーション2022』。ライブコンサートで秀樹さんとの再会にカンゲキ!(2022年9月) 撮影/北村史成

やっぱりファンの人たちにとっては、“もう、この先に何もないんだ”という気持ちが、何よりも喪失感を生むと思うんです。そこで《終わらない》と秀樹さんが言っている。

 僕らバンドが参加するコンサートは終わるかもしれません。でも、求めてくださっている方がいるかぎり、フイルムだけのコンサートだったり、別のかたちのイベントはあると思います。またいつかね、秀樹さんの魅力をお伝えする何かができたら面白いだろうな、と僕は思っているんです」

インタビューの後編では素顔の秀樹さんについてさらに語っていただきます。

(取材・文/川合文哉)