「私が欲しいものは、あなたには絶対出せない」

千尋の両親が、店の食べ物を食べるシーン

 また序盤では、店の食べ物を食い散らかした千尋の両親が湯婆婆の魔法により豚にされてしまう展開がある。恐れおののいた千尋はハクに助け出され、油屋で働くことを促される。この世界では働かざるものは豚にされてしまうということも、そのときに聞かされる。

 油屋の就労システムは非常に人間的であり、怠惰な者はその象徴ともいえる豚に姿を変えられてしまうという掟(おきて)で「働くことの意義」「金が人々にもたらすもの」「怠けること、励むこと」というテーマを内在させている。

 千尋に存在を認められたいがあまり、巨大化したカオナシが手のひらから出す砂金に群がる大人たち。しかし千尋はそれを拒み、こう言い放つ。

「私が欲しいものは、あなたには絶対出せない」

 このシーンでは、金や物欲に支配されない子どもの千尋と対比させて、大人が醜く見えるように描き出している。食欲に支配されたがゆえに豚となってしまった千尋の両親も、欲深い人間ないしは大人という存在のメタファーとして描かれている。

油屋の掟を破り、豚にされてしまった千尋の父

 ジブリ作品では、しばしば純粋な子ども像というのが描かれる。例として『となりのトトロ』に登場するトトロは、純粋な心を持つ子どもにしか見えない存在として登場している。純粋な存在を描くことによって、俗世における金や独裁といった欲の権化を反語的に表現しているのだ。