どうも、ミュージシャン、作家のタカハシヒョウリです。

 今回は、2022年を振り返ったコラムということで、2022年の映画について。

 今月末に、映画トークのイベントに登壇するというのもあって、ちょうど今、昨年に見た映画を振り返っていたところ。

 昨年は、映画館の客足も盛況を取り戻し、国内外で特大の話題作がめじろ押しの華やかな一年だった。

 まず年始には、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。これは本当に素晴らしかった。映画を見ていて、人生でいったいあと何度これほどのサプライズを見ることができるだろうか、という映画体験をした。ちなみに、僕はそのときトイレに行きたかった。

 マーベルと来たら、同じヒーロー映画のDC。バットマンをダークにリブートした『ザ・バットマン』は、嗜好にもブッ刺さるとんでもない傑作だった。あと、このときもトイレに行きたかった。

 インド映画『RRR』も、最高だった。映画の娯楽っぷりを見せつけられた。あと、ものすごいトイレに行きたかった。

『ジュラシックワールド 新たなる支配者』は、第一作からグラント博士の再登場に感動しながら、トイレに行きたかった。

 

 待てよ……!

 昨年の映画の記憶を思い出すと、いつもトイレに行きたい記憶がついて回ってくるじゃないか。
 ということで、僕の2022年気になったことは、「映画上映中のトイレ問題」なのだ。

 

 この「映画の途中にトイレに行きたくなって、映画に集中できない」という問題、もちろん今に始まったことではない。

 だが、昨年は特にトイレ問題を感じる瞬間が多かった。

 ひとつには、自分が30代の後半に差しかかり、知らぬ間にトイレが近くなったというのがあると思う。

 だが、最大の要因は、昨今の大作映画が上映時間2時間を大きくオーバーし、3時間を超えるものも少なくない、文字どおりの大作っぷりを発揮しているからだ。

(冒頭で挙げた映画の上映時間は、軒並み2時間半以上である)

 

 いや、映画が大作化するのはいい。映画館の大スクリーンで見る壮大な抒情詩、圧巻のスペクタクルは、映画の醍醐味と言ってもいいだろう。

 僕も、大スクリーンで見る迫力のバトルが大好きだ。

 だが、こちらは尿意とも戦っているのだ。一度にふたつの相手と戦う大変さにも思いを馳せたいところだ。

 実は、自分の周りには「トイレに行きたくなるのが嫌で、映画館では映画を見ない」と断言している過激派の友人までいる。

 ひとりの人間から映画鑑賞という文化を奪った尿意、罪深いやつだぜ。

 というわけで映画の大作化と切っても切り離せない「上映中のトイレ問題」は、かなり気になる話題だ。

 

「上映中に席を立って、トイレに行けばいいんじゃないの?」とお考えの読者もいるかもしれない。

 だが、いざとなるとその決心はなかなかつかないものなのだ。

 もちろん周りの観客に対する気遣いもあるが、最大の問題は「映画を見逃したくない」からだ。

「わがまま言うなよ! この尿袋!」という声もあるかもしれないが、仮にありったけの尿意を抱いていても、心は映画好きの端くれ、ボロは着てても心は錦、やっぱり全シーン見たいんだ。

 それでも、どうしても我慢できないときは、自分の感覚をフル稼働させて、「ここがストーリー的にはもっとも重大じゃないシーンでは?」という場面を無理やり見きわめて、「ここだ!」というシーンでトイレに行くのだ。

 ……だが、しかしである。最近の映画はサービス精神がどんどん旺盛になってきている。どんなシーンでも気が抜けない。

 日常シーンと思わせておいて、突如敵が襲来! 大バトルに発展!! とか、あえてさりげないシーンに重大な伏線やイースターエッグ(隠し要素)が仕込まれていた!! とか、全然あるわけだ。

 今だ! と決心して、トイレで用を足してたら、突然ドーンという低音が響いてきて、「騙されたーー!! 一度下げて上げるタイプのシーンだったー!」ってなったらどうしようとか、そんなことを考えると、なかなか席を立てないのだ。

 もういっそそんなにサービス精神を発揮するのは、やめていただきたいとまで思う。映画の途中に少しくらい、あからさまに「ここはテキトーに見ていいですよ~、トイレ行くなら今ですよ~」というシーンがあってもいいじゃないか。

 キャプテンアメリカが「よし! アベンジャーズ! 5分間瞑想しよう!!」とか言い出して、定点カメラで5分間何もしなくたっていいじゃないか。無理か。

 

 もうひとつ、終わりどきに関する問題も難しい。

 尿意にもペース配分というのがあり、ゴールが見えてくると膀胱(ぼうこう)もハイになり、意外と我慢できたりするのだ(これは結構同意を得られるんじゃないだろうか)。

 クライマックスには、映画の盛り上がりに比例して自分の膀胱にも界王拳をかけ、総力戦で一気に最後まで見切ってしまう。

 エンドロールでは、映画の感動と、尿意を耐え切った感動で、2倍の感動のフィナーレを迎えることができる。

 だが、ここでさっきも言った最近の映画のサービス精神の旺盛さが、またもムクリと顔を出してくるのだ。

 そう、クライマックスだと思ったアクションシーンが、前哨戦に過ぎなかった!! ということが結構な頻度であるのだ。

「ここまでだ! 完!!」と思ったら、真の敵が登場してそこから30分続く、とかザラにある。

 もう膀胱のライフはゼロ、界王拳を使い終わった悟空のようにボロボロの満身創痍でラスボス戦である。

 しかも、そこからが真のクライマックスなわけだから、なおさら目を離すことができない。地獄である。

 

 さて、そんな「映画上映中のトイレ問題」。実は強く意識したのは、一昨年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』だった。

 世代的にもエヴァに強い思い入れがあり、全シーンに映るありとあらゆるものを取りこぼさないようにと全力で見ていたのだが、そこに尿意くんこんにちは。

 エヴァは絶対に見逃せない……! という意地でなんとか最後まで見切ろうとしたのだが、シンエヴァも2時間半以上ある。

 どうしても我慢できず、「シンエヴァを見ながら失禁するか、トイレに行くか」を検討した結果トイレに立ったため、一つのシーンを見逃してしまった(結局、その後すぐ2回目を見て補完することに)。

 その経験以来、映画を見ている最中はもちろん、見る前にも飲み物は飲まない、とかいろいろと気をつけるようになった。それにより、途中退座するほどの限界は昨年はなかったと思う(いや、1、2回あった)。

 

 昨年は、ネット上でもトイレ問題が結構話題になっていた印象で、長尺の映画の場合には上映前にしっかりトイレを済ませておくことを推奨するファンの呼びかけとか、「餅や団子を食べるといい」みたいな都市伝説めいた話まで(本当に効果があるらしい)、いろいろと目にする機会が多かった。

 さまざまな対策が考えられているが、個人的には、長編映画の途中に入る休憩時間=「インターミッション」を復活させてもいいのでは? と思っている。

 映画がフィルム上映だったころ、長尺の映画は2本以上のフィルムリールに記録されていたため、上映の途中でリールの交換をする時間が必要だった。

 こういう技術的な必要性があって、映画の途中に「インターミッション」と呼ばれる休憩時間が入っていたわけだが、その時間は観客の休息時間としても有効に機能していた。

 現在では上映方式がデジタルになったこともあり、このインターミッションという文化はほとんど消滅している。

(ちなみに、3時間超えのインド映画『RRR』では、インド本国の上映時には入っていたインターミッションが、日本上映時にはカットされているのがちょっと話題になっていた。もしかしたら、国によっては続投している文化なのかもしれない)

 このインターミッション、複数の映画を同時に上映している現在のシネコンスタイルだと実現が難しい部分もあるだろうが、このまま映画の大作化が進むなら、なんとか復活できないだろうか。

 

 あとは、膀胱弱弱族のためのプレミアムシート、バリアフリーならぬ「トイレフリー席」はどうだろうか。

 もちろん、座席にトイレが付いていて、そのまま用が足せるんですよ、ガハハハなんて小学生みたいなことは言わない。

 その席は、トイレへの導線が他の人の邪魔になりにくい位置にあり、スッと行って最短距離でスッと帰ってこられるのだ。

 膀胱に自信のない方は、もしものために300円追加でこの「トイレフリー席」どうですか?

 

 あとは、トイレでも映画の続きが見られたら最高だけど、さすがに無理だよな……、と思ったら、スイスにトイレの中にもスクリーンが設置された映画館があるらしい

 これもまたいろいろと制約があると思うので、そう簡単には導入できないだろうが、世界のどこかには映画の途中でトイレに行きたくなった人のためのユートピアがあるんだ、と思えば尿意も和らぐってものだろう。

 

 そんなわけで、昨年気になった「映画上映中のトイレ問題」。

 これを通して考えたのは、実は、人間の感動ってわれわれ自身がイメージする「純粋なエモーショナル」さだけでなく、意外とシステマティックで体系的な部分があるんだということ。

 例えば同じ映画でも、イスの座り心地ひとつで映画の感動も変質するだろうし、トイレのことが気になっていたら目いっぱい感動することはできなくなるわけだ。

 そういった無数の要素が菌糸のように寄り集まって、感動という感情を形作っているわけだ。

 もちろん、作品が持っている力というのは「素晴らしいもの」だと信じているが、決して「絶対的なもの」ではないのだ。

 感動ってすごく受動的なものに見えて、実は能動的なものでもあるのだ。

 今は、情報をいかに「素早く」「的確に」伝えられるか、というスキルの「発信力」が重視されているけど、いかに「快適に」「的確に」情報を摂取して、その中から好きなものを楽しむかという「受信力」も隠れた重要スキルなのではないだろうか。

(文・イラスト/タカハシヒョウリ、編集/福アニー)

【Profile】
●タカハシヒョウリ
ミュージシャン・作家。ロックバンド「オワリカラ」のボーカル・ギター、作詞作曲家。さまざまなカルチャーへの偏愛と造詣から、コラム寄稿、番組・イベント出演など多数。

Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri

【Information】
●トークイベント「『映画雑談』の会 2023」
日時:2023年1月27日(金)
場所:新宿ROCK CAFE LOFT(配信あり)
出演:カシマエスヒロ(映画感想家/BOSSSTON CRUIZING MANIA)、張江浩司(ライター)
ゲスト:タカハシヒョウリ(オワリカラ)、八木光太郎

​チケット購入サイト:https://www.loft-prj.co.jp/schedule/rockcafe/238455