レスラーたちと一緒に練習することがレフェリー修業
──念願のレフェリーにはどのようにしてなったのですか?
「レフェリー見習いになったけれど、僕のほかにももう1人、見習いがいたんです。高木さんから“松井さんに無理だって言われたらきっぱり諦めてくれ”って言われていて、もう1人の彼はデビューまで至らなかった。その後、修業をして半年後の2010年にレフェリーとしてデビューしました」
──レフェリーとしての修業はどのようなことをしたのですか?
「選手と一緒に練習するんです。僕は30歳から始めたので、10歳下の練習生と一緒に合同練習に出ていました。途中まではレスラーと同じ練習をして、レフェリーもやるって感じですね。基本的なルールもあるんですけれど、結局、実際にプロレスをやらないとわからないというか……。とにかく練習をして慣れるしかない。上司だった松井さんが、練習中の道場にもよく来てくれて、“こうしたほうがいいんじゃないか”と指導してもらった。それを半年くらい続けていましたね」
──レスラーと一緒に練習することに対して、抵抗はありませんでしたか?
「僕自身も練習することで、選手との信頼関係を築くという意味があったんです。急にレフェリーとしてやってくるよりは、一緒に練習をしているほうがちゃんと努力しているって認められる。やっぱり実際にリングに立つと、想像とはかなり違うんですよ。選手が走ると“こんなにもリングって揺れるのか!”って体感したり。背中にロープが当たらないようにしても当たってしまったり……。そういう感覚的なものが、実際にやってみると違いましたね」
──レフェリーを始めて、ほかにも違和感や戸惑いなどはありましたか?
「格闘技の審判をやっていたから、選手との距離が近いって言われました。レフェリーとしてデビューしたてのころは、選手との距離が近すぎて投げられた選手の足が当たったことも。危ないのでめっちゃ怒られましたね。ある試合で、なるべくテレビカメラの前を遮(さえぎ)らないようにしつつ、お客さんからも見やすいようにずっと動いていたんですが、そうしたら、タッグマッチの控えの選手から“邪魔だよ!”って言われたんです。怖い選手だと、本当にもう背中にナイフを突きつけられているような(笑)殺気を感じるんですよ」
──基本的に、レフェリーはリング内にいるんですよね。
「リング内ですね。そこでお客さんとマスコミの邪魔になりすぎないように気を遣いつつ、試合の状況を見ているんです。フォールを取るときは、どうしても肩のほうから見て数えないと技を返したか見えない。だから位置取りが必要っていうのはありますね」
レフェリーに技をかける選手も。試合中、選手のキックが入り流血!
──試合を観ていると、それでもレフェリーのもらい事故ってありますよね。
「選手って、みんなデカいじゃないですか。だからみなさんが思っている以上に衝撃がすごくあるんです。例えば、佐々木さん(佐々木大輔。DDT所属)は、なぜか試合後に僕にみちのくドライバーという技をかけて帰っていたんです。控室に戻ってしばらく休んでから“大丈夫です”って言っていても、次の日になると首の後ろがムチ打ちのような感じになって。軽い交通事故に遭ったくらいの衝撃はありますよね」
──木曽さんはほかのレフェリーよりも選手からよく投げられていますよね。
「僕は身体が小さいので投げやすいんですかね(笑)。子どものころ、レフェリーのジョー樋口さんが失神しているのを見て“なんで!?”って思っていましたけれど、実際にそうなっちゃうんですよね」
──試合中、危険だったなと感じたことはありましたか? DDTでは男色ディーノ選手(注:男性にキスをしたり、相手選手の顔に、露出したお尻をぶつけたりする)からキスをされたりもありますが……。
「あ~、おじさんからキスされるのも嫌ですね……(苦笑)。お尻もお尻で嫌ですけど。いちばん大変だったのは、場外乱闘をしている佐藤光留さん(レスラー、格闘家)を止めに行ったとき。佐藤さんが場外乱闘でめっちゃ怒っていて、蹴られたんですよ」
──90キロほどあるレスラーから蹴られたら、致命傷ですよね。
「まず場外で蹴られる前に、コーナーポストのところで僕の前に立っていた選手が佐藤さんの蹴りを避けたんですが、僕の顔に佐藤さんのブーツが当たって昏倒してしまって。目を覚ましたら鼻血まみれでしたね(笑)。それで佐藤さんが場外乱闘をしていたので止めに行ったら、キックをくらって。佐藤さんレベルになると、バットで叩かれたみたいな衝撃でしたよ。骨が硬いんです。たぶん、蹴っているうちにどんどん足が強くなるんじゃないですか(笑)。めちゃくちゃ痛かったです」