若き恋人にのしかかる「歴史の残酷さ」を思わずにいられない

 舞台で展開されるビジュアルはこの世のものとは思えず、もはや本当に同じ人間が演じているのですか? と心酔してしまうのだが、今回の花組版は現代ならではの視点で「歴史の残酷さ」を伝え、舞台の悲劇性を高めている。

 史実では、皇太子のルドルフが死んでしまったことでハプスブルク家の皇位継承者の地位がフランツ・フェルディナンド大公に移るが、その大公も帝冠を抱くことなく1914年にサラエボで妻とともに凶弾に斃(たお)れてしまう。サラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦が、700年間続いたハプスブルク帝国を滅ぼしたことを想起すれば、ルドルフの死は帝国の「終わりの始まり」でもあった。

 この歴史を踏まえてか、永久輝せあさん演じるフェルディナンド大公の役の比重が過去より大きくなり、サラエボで運命をともにするソフィー・ホテク(美羽愛さん)との淡い恋の模様も描かれている。まだこのときは帝国を継ぐ立場にない永久輝さんの大公も、宮廷の格式に縛られず下級貴族のソフィーとの恋を成就させようとしていて、ジャンとミリーのカップル同様若々しく、前途も明るく映る。

身分違いのカップルに訪れる哀しい結末

 しかし、現代に生きる観客はマイヤーリンク事件の後、このカップルと帝国に何が起きたかを知っている。ゆえに、フェルディナンド大公とソフィーのカップルにも悲劇が待っているのだ。さらに、劇中でジャンのモデルになった実在のヨハン・サルヴァドル大公も、ルドルフの死後に皇籍を離脱して恋人と大西洋の探検航海に出るが、船が遭難して行方不明に。ルドルフの死の翌年、1890年のことだったと伝わっている。

 黄昏(たそがれ)のハプスブルクの軛(くびき)から逃れられなかったルドルフと違い、新しい時代の象徴のようだったジャンとミリー、フェルディナンドとソフィーの2組のカップルも、史実の結末は哀しい。

「戦争は他家にまかせておけ。幸運なオーストリアは結婚せよ」──この名言が伝わるように、ハプスブルク家は政略結婚で領土を拡大してきた王朝。それが世界大戦で滅び、若き皇族たちの身分違いの恋も実らなかったというのは皮肉なものだ。

 もっとも、ルドルフとマリーは劇中でも同じ死に場所を得たし、ほか2組のカップルもどちらかが先立たれることなく、運命をともにしたと思うと当人たちにとっては必ずしも悲劇ではなかったかもしれない。

 初演から40年を経ているだけに古めかしい作品でもあるのだが、花組版の演出を担当した小柳奈穂子さんの新しい脚色で、生き残ったカップルと帝国にも死の影がつきまとう。前出の髑髏が象徴する「メメント・モリ」──いつか訪れる死を忘れるな、のメッセージはこのラブロマンスに一抹の無常観をももたらしてくれる。