80年代の音楽シーンに颯爽と現れ、若者を中心に熱狂的なファンを獲得したパンクバンド・アナーキー(亜無亜危異)。彼らのバンドヒストリーとも重なる映画『GOLDFISH』の監督を務めたのが、アナーキーのギタリスト・藤沼伸一(63)。
自身のすべてを本作のモチーフにしたという藤沼さんに、バンド結成までのいきさつや映画を撮影するきっかけなどをお聞きしました。
中学や高校の同級生とバンド結成、コンテストからメジャーデビュー
──藤沼さんの音楽との出合いはいつでしたか?
「パンクより前に、中学校の先輩からピンク・フロイドとか大人のロックを “これ、聴いてみろよ”って教えてもらいました。日本だと村八分(山口富士夫率いる伝説のロックバンド)を教えてくれて、“カッコいいな”って思っていた。その後に、パンクムーブメントが起きた感じだね」
──ギターはいつごろから始められましたか?
「中学のときにフォークソングが流行(はや)って、親にアコギ(アコースティックギター)を買ってもらいました。エレキは高かったからね。同じ中学のコバン(小林高夫・アナーキーのドラム)と寺岡(寺岡信芳・アナーキーのベース)が、“高校に入ったらバンドやろうぜ”と言っていた。そして、高校に行ったらマリ(逸見泰成さん・通称マリ。アナーキーのギター)と茂(仲野茂・アナーキーのボーカル)と出会って。パンクや音楽が好きっていう共通項があって、すぐ親しくなりましたね」
──そこからアナーキー結成につながるのですか?
「最初はみんなお互い違うバンドを組んでいて、公民館とかのホールを借りて、友達を呼んでライブやったりしていた。あるとき茂が俺のところに来て、“隣のクラスの仲野だけれど、バンド入れてよ”って言ってきたんです。“やだよ”って言ったんだけど。あのままにしておけばよかったかな(笑)」
──バンド活動はどのように続けていましたか?
「バンドは組んだけれど、どうすればいいのかわからない。そういう情報に疎かったんだよね。最初は、江古田マーキーというライブハウスに出たんだけど、お客も全部友達。メンバー紹介してもみんな知っている(笑)。そうこうしているうちに、俺らがよく練習していたスタジオの人が、『EastWest』というヤマハ主催のアマチュアバンドのコンテストにテープを送ってくれて。そうしたら最終まで残って賞を獲ったんです。ちなみに、そのとき優勝したのはKODOMO BAND(うじきつよしがボーカルを務めるバンド)だったね」
──そこからデビューまでは順調でしたか?
「青田買いのようにレコード会社からの誘いが来て、デビューできました。パンクのくせにコンテスト出身で、大手のレコード会社からバンッてデビューしたからストリート感はゼロだった。80年代は打ち込みの音楽と一緒に、パンクもニューウェーブのくくりで捉えられていたけどね。イデオロギーとか思想じゃなく、音楽形態の新しい波みたいなものかな」