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音楽

メロコアブームの雄『SNAIL RAMP』竹村哲が語る、バンド結成から活動休止までの裏話

SNSでの感想
竹村哲さん。SNAIL RAMP時代から変わらないビッグスマイルを前に、取材班も思わず笑顔 撮影/高梨俊浩
目次
  • ブルーハーツに衝撃。文化祭でバンド結成
  • 28歳でメジャーデビュー。メロコア、スカコアブームの渦中に
  • 『HEY!HEY!HEY!』に出演。あのモーニング娘。からの一言
  • 好きだったバンド活動が、ストレスに

 歌いやすいキャッチーな英語詞に、激しいリズム。パンクロックから派生し、1990年代後半に誕生した「メロコア(メロディック・ハードコア)」と呼ばれた音楽ムーブメント。海外ではGreen Dayやオフスプリングなどのバンドに代表され、日本では、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にも出演したギタリスト・横山健が在籍しているHi-STANDARDと言えば、ピンと来る人も多いだろう。

 メロコア、スカコアと呼ばれたムーブメントの中で、オリコンチャートの上位にもランクインし、その名をとどろかせたバンド、SNAIL RAMP(スネイルランプ)。そのフロントマンでもあり中心メンバーだった竹村哲(あきら)。

 現在50歳の彼は、43歳のときに第12代NKBウェルター級王座を獲得。現在は、ジムのトレーナーとNKBのマッチメイクを務めている。インタビュー#1では、唯一無二ともいえる竹村のキャリアに迫った。

ブルーハーツに衝撃。文化祭でバンド結成

──子どものころは、どういうタイプの子でしたか?

活発な子で、小学生くらいのときに“格闘技をやりたい”って言ったらしいです。だけど、親がやらせてくれなかった。子どものころは短気で、何かあるとすぐ手が出る子どもだったんで、格闘技を習わせたら人にケガさせるからって心配されたんです。親には“剣道だったらいいよ”って言われてやり始めたんですが、稽古が始まる30分くらい前に道場に行って、面とか籠手をつけてそこでボクシングやるっていう(笑)

──音楽はいつごろから興味を持ち始めましたか?

「中学校からどんどん音楽に興味が傾いていきましたね。その当時、ラジオのヘビーリスナーだったんですが、ラジオ番組の中で流れてきたのがザ・ブルーハーツの『人にやさしく』。瞬間的に“うわっすごいな”って衝撃を受けたんです。これがパンクロックって言うんだって知って、いろいろと聴き始めました

──バンドを組み始めたのはいつごろでしたか?

高校文化祭で、みんなライブやったりするからそれに出ようぜってなったんです。そこで、バンドを組んだ。4人バンドで、僕はボーカルでした。当時、イカ天ブーム(注:TBS系で'89〜'90年に放送された『三宅裕司のいかすバンド天国』に端を発するバンドブーム)の真っ最中で、『えび』っていうパンクバンドがいたんです。僕はえびが好きだったんで、それをコピーした。人気投票したらブルーハーツには負けたけれど、僅差で2位になって意外と盛り上がったんです

──スネイルランプをやる前には、ほかのバンドも組んでいましたか?

スネイルの前には2つくらいバンドやりましたね。メンバーを探さないとと思いつつも、だらだらと日ばかりが過ぎていっていました。当時は、“メンバー募集”って紙に書いて、スタジオや楽器屋さんに貼っていたし、あとは音楽雑誌に募集も載せていたんです。今、考えるとありえないですけどね。家の住所とか電話番号が載っているって(笑)。知らないやつから家電にかかってくるんですよ」

──スネイルランプのメンバーはどうやって集めたのですか?

「スネイルのメンバーは雑誌の“メン募”もあったけれど、メンバー探しのサークルっていうのがあって、そこで見つけたんです。2週間に1回くらい、集会所みたいな場所に行くと、そこに集まった人間だけじゃなくて、それまで訪れたやつのパーソナルデータが、小学校のときのサイン帳みたいなものに書き込まれてファイルされているんです

──凄いアナログですね。

どういう音楽が好きとか、どんなメンバーを探しているかというデータもファイルされているから、その中からギター候補を何十人もピックアップして片っ端から電話をかけましたね。その中で話が合いそうだった10人位をスタジオに呼んで、オーディションをしました

竹村哲さん 撮影/高梨俊浩

──竹村さんが楽器を始めたのはいつだったのですか?

「20歳でベースを始めました。スネイルを作ったのが25歳でメジャーデビューは28歳のときです」

──なぜベースを選ばれたのですか。

一番弾かなくてもバレないかなって(笑)。僕は楽器を弾きたいわけではなくて、ライブがしたかった。暴れたい衝動のほうが強かった。ボーカルはルックスもいいやつを探して、自分は違う要員としてバンドにいたかったんです

──でも、実際はベースを弾きながらボーカルもされていますよね。

ボーカルがなかなか見つからなくて、とりあえず仮で僕が歌っていたら、“タケちゃん歌ってるから、そのまま歌っちゃえば”って感じで始まった。

 '95年春に結成して、その年の年末にはドラムが抜けたんですが、そのタイミングで代わりに石丸が加入したんです。僕は“やっぱりボーカルを入れたほうがいい”と思ったので、再度、ボーカルを探して1回、4人でライブをやって。そのときのボーカルが米田という、のちにギターで加入するメンバー。本当は米田をボーカルで入れたかったけれど、3人バンドのほうがいいって周りに言われて、加入を見送るんです。結局、その後にギターが抜けたので、米田にメンバーになってもらいました

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