人気沸騰の中、メンバーが刑事事件を起こす

──デビュー当時、特に同世代の若者から支持されたことをどう感じていましたか?

レコード会社と事務所があったから売れたんだけれど、なんかすごい才能があるんじゃないかって、うぬぼれていたからね(笑)。パンクは上の世代から“聴いちゃダメ”って反対されていたもの。でも本当は、“俺たちは我慢していたのに、若いヤツが自由なのは面白くない”っていう思いがあったんじゃないかな

──パンクシーンを代表するバンドになりましたが、藤沼さんは周りの反応をどう感じていましたか?

「俺はカテゴリーにはまるのがすごく嫌いだったんです。ジョニー・ロットンがセックス・ピストルズを辞めて『PiL(パブリック・イメージ・リミテッド)』を始めたじゃないですか。そうしたら、パンクスが怒ったんですよ。でも俺は“やられた~”って気持ちよかったんだよね。頭が固い人と柔軟な人って年齢とか関係ないって思うんだ。若くても頭がいいヤツもいるし、年寄りでも大丈夫か? っていう人もいる。“現状をどうやって生きていくか”を考えているか、考えてないか違いのような気がするね」

──バンド活動の中で、挫折を感じたことはありましたか?

メンバーが刑事事件を起こして、アナーキーというバンド名を使ってはいけないってなったときだね。ボブ・ディランが『ザ・バンド』を組んでいて、すごくカッコよかったんだけど、それにロックをつけて『THE ROCK BAND』っていう名前に変えて活動を続けました。俺が“パンクよりも前の60年代や70年代の音楽を焼き直してみない?”ってメンバーに提案して。だから音楽もタテノリからヨコノリに変わったんです。

 俺はひとつのカテゴリーに入っているとすごく居心地が悪くなっちゃうんだよね。しがみついている感がすごくあって嫌。でも意外に、お客さんのほうが変わるのを受け入れないこともあるけどね」

藤沼伸一さん 撮影/矢島泰輔

60代で映画監督デビューした理由。2年かけて脚本を制作

──今作で初めて映画監督に挑戦されましたが、きっかけは何でしたか?

「俺はバンドとか不良になる前は、かわいい男の子だったんで(笑)、もともと絵を描いたりひとりで映画館に行くのが好きでした。でもそのうちカツアゲに遭ったりして、“これは不良にならないとまずいな……”って。そういう道に行ったら、音楽と不良がリンクしていたんだよね。

『GOLDFISH』を撮るきっかけは、アナーキーの初期に手伝っていただいていたスタッフが今は映画のプロデューサーをしていて、マリが亡くなったのもあってその人から俺の軌跡みたいなものを映画として撮らないかって言われたこと。映画が好きだったから興味があったけれど、最初はちょっと荷が重かった」

──監督をされるうえで、プレッシャーがあったのですか?

ファンにとってはみんな知っていることじゃないですか。“俺らのアナーキーはこんなんじゃなかった”みたいな、自分の思い出のまま語られたら面倒だなって思って。だからドキュメンタリーにはしませんでした。バンドのドキュメンタリーだと昔、バンドマンに殴られた人は観たくないでしょ(笑)。それにバンドや音楽映画になるとジャンルがすごくカテゴライズされてしまう。でも恋愛や死っていうテーマなら誰でも経験することだから、多くの人に観られる映画にしたかったんだよね

──映画製作で苦労された部分は?

「映画の設計図になる脚本を作るのに2年かかっているからね。俺もマリが刑務所から出てきて一緒に仕事をしていた人とか、いろんな人にインタビュー取材しました。脚本家の港(岳彦)さんも俺にいろいろと聞いてきて、刑事ドラマみたいにホワイトボードに相関図を書いて、“ここはフィクションにして、こういうエピソードがあったことにしよう”とか言いながらアイデアを出し合いました。俺はプライベートでは男の子の父親だけれど、映画ではニコっていう女の子を永瀬さんの娘役で出して。キーパーソンになるのは女の子のほうが神秘的な感じがしたんです」

(c)2023 GOLDFISH製作委員会

──映画の中でのライブシーンは、臨場感がありました。撮影法にこだわりましたか?

音楽を扱った映画って、ライブシーンがちょっとシラけちゃったりするんだよね。観ている側から“当て振り(※)だ”って思われちゃったら、音楽をやっている人間からするともっと感じるから。だから、映画では演奏シーンは極力少なくしようと思いました。でも、例えば織田信長役を演じるときに織田信長本人に話を聞くことはできないけれど(笑)、この映画はバンドマンが映画監督をしているわけだから、俳優も聞きやすかったと思うよ」

※録音済み音源を流し、それに合わせて楽器を演奏するふりをすること。