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生き方

「人間は植物より偉い」は本当?『植物考』著者と見つめ直す、現代人が圧倒的に忘れていること

SNSでの感想
藤原辰史さん。目からウロコのエピソードの数々を話してくださいました! 写真/本人提供
目次
  • 「自分は植物より偉い存在」って、本当?
  • 植物の視点で物事をとらえ直してみたら──
  • 植物はゆっくり、そして激しく動いている
  • 植物性のひとつ、「浸り」は人間にとっても重要
  • 「植物の根はアンパンマン的」知られざる土壌内の世界
  • 現代人は“待つ”ことを忘れすぎている

 植物は私たちの生活において、意識せずともいつも身近にある。室内の観葉植物、庭の花壇や家庭菜園を愛でている人はもちろん、そうでなくとも普段歩く道では雑草を目にしているだろうし、毎日のように野菜を口にしているはずだ。

 しかし、人々は無意識に植物を下等なものとみなしていないだろうか? はたして本当に人間は植物よりも高等なのか? そうした問いのもと、植物のふるまいについて歴史学や哲学、生物学などを横断して論じた書籍が『植物考』(生きのびるブックス)。植物に対するステレオタイプが次々と崩されていく快著だ。

 著者の歴史学者・藤原辰史さんに、植物を通じて見えてきたことについてうかがった。

「自分は植物より偉い存在」って、本当?

──植物はマイルドでヒーリング効果のあるものとしてとらえていましたが、本書を読むと、凶暴で派手な動きをする不気味な印象も受けました。ヒッチコックの『鳥』という映画があって、野生の鳥が突如、人々を襲うようになりますが、同じように植物が反乱を起こすような映像も浮かんできます。

「そう言っていただけるのは大変光栄です。私、『植物考』の冒頭は一種のホラーのつもりで書いてみたんです。人間が植物に乗っ取られる日なんて、決してSFだけにはとどまらないことですよ。でも、将来、人間がもっと生きる力を失っていけば、ありうるかもしれませんね」

──今回、なぜ植物をテーマにしたのでしょう?

「私は食べることが好きなので、これまで食べ物としての植物ばかりを見てきたんです。食と農業の歴史を研究していますし、植物を“食えるかどうか”という、非常に雑な視点でしかとらえていませんでした。

 ところが、それだけでは『食』そのものさえも論じきれないという思いに駆られたんです。あるとき、ミニトマトを栽培していたら、間違って茎を折ってしまいました。罪悪感に苛(さいな)まれながら、折れた枝を水に挿しておいたら、白い根がどんどん生えてきて、必死に生き延びようとしていた。そのうち、花も元気を取り戻して、“なんだこの根性は!”と、不思議と勇気づけられたんです。

 よくよく考えると、自分は植物より優れた存在なのだと、ずっとマインドセットされていたことに気づきました。しかし、その考え方を注意深く頭の中で外してみることで、私の人間中心主義的な見方が崩されていくかもしれないと予感を抱いたのでした」

起死回生をはたしたミニトマト。白い根がぐんぐん伸びている 写真/本人提供

植物の視点で物事をとらえ直してみたら──

──人間は植物を上から目線で捉えすぎではないかと論じています。なぜでしょう?

「私たちの身の回りを注意深く観察すれば、その理由はわかると思います。例えば、本は樹木を加工してできたパルプからできている。綿のシャツはふわふわの綿花の実から作られている。食べ物も、野菜はいうまでもなく、牛、鶏、豚などの動物だって、植物からできた飼料を食べないと育ちません。そもそも、なぜ人間が呼吸できているかというと、空中に酸素があるからですね。これは人類が誕生する前から、植物がせっせと供給してくれたおかげですから。そして、植物だけが太陽光を用いて二酸化炭素と水からデンプンを生産できます。

 つまり、私たちの生活の土台は植物によって成り立っているわけです。だから人間側が植物を征服し、コントロールしているととらえられてきたのでしょうが、それは人間が考えるものさしで価値を測っていただけにすぎないと思います。

 もしそれを“植物のものさし“に置き換えたらどうでしょう。例えば、植物が自ら移動できないのは、むしろ“移動しなくても生きていけるから”。食べないのは、“食べる必要がないから”。もし植物が言葉を使えたら、人間に対して、“わざわざ口からご飯を入れないといけないなんて。葉緑体がない下等なやつらだ”と言うかもしれない。また、家を建てている人間を見ると、“なんと過剰な設備だろう”と感じるかもしれない。もっと言えば、植物は人間がいなくても生きていけますが、人間は植物が存在しなければ生きていけません」

──確かに私たちは人間視点で考えすぎてしまっているのですね。

「もちろん、この世界では人間はまだまだ大事にされていないと思います。安易な『人間中心主義批判』が巷(ちまた)にあふれていますが、人間社会の多様性に目を向けないものが多く、かえって危険です。これでは有益な人間の遺伝子だけを生き残らせようとする優生学にも容易に転びます。そうではなくて、植物を論じることで、そんな価値判断をしてしまう人間そのものも見つめ直し、もっと人間を深く理解したいのです。私たちは、近代社会に押しつけられた“人間”という概念の中で生きている。言語を操り、文明や文化を築いてきたことにアイデンティティを求めすぎてしまった。それが、今の社会を人間が窮屈に感じる原因のひとつだと思っています。もっと人間の人間的なものを、植物を観察することでより近くに感じたい。

『植物考』の読者の方から、“自由に考えられた”、“解放された”という感想をいただけて、うれしく思いました。植物のもつ意味を理解して人間の驕(おご)りを諌(いさ)める本なのに、人間であることの自由さを感じられるんですね。人間が持つものさしは狭すぎたんとちゃうか? と逆に問いたかったんです」

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