植物はゆっくり、そして激しく動いている

──本書では植物に対するさまざまなステレオタイプが覆(くつがえ)されていきますが、中でも植物は「動く」とされていたのが印象的です。

「人間視点では動いていないように見えますが、実はものすごくゆっくりと、激しく動いていることは植物学者の研究を読んで知ることができました。人間とは違う時間軸であるだけなんですね。植物の定点カメラ映像を倍速で見ると、私にはダンスをしているように見えます。私たちがマネしたくなるほど、しなやかな肢体を伸ばしてバレエダンサーのように動いている。私だけかもしれませんが、太陽光を探っていく様子など、静けさよりも激しさを感じるんですよね。

 また、私たちが見落としがちなのは、地上からは見えない根です。根は土壌の中で水分やミネラルを吸収している。無数の根があって、動物の毛細血管のように細い根毛がうごめいていて、センサーを使って土壌の栄養物質や、あらゆるものを探している。まるで地底世界を探検する冒険家のようです。

 そして種も移動します。私たちは生殖において、第三者に任せるなんてことはしない。しかし植物は、ミツバチ、鳥、風などに任せたりする。自分の子孫の移動を他者依存しているというのは、人間目線からすれば驚嘆すべき世界だと思うわけです」

植物性のひとつ、「浸り」は人間にとっても重要

──他に「植物性」としては何があるでしょう?

「まず、葉っぱの中にまで空気が入り込んでいるところ。本当に穴だらけなので、植物そのものが空気と共存しているともいえます。それから、いろいろなところにキスマークのような気孔がついていて、水分を排出するための蒸散をしたり、呼吸をして二酸化炭素や酸素を外界と交換したりしています。

 そうした“浸り”は植物性のひとつでしょう。風でも日光でも、その環境の中に浸れるということ。ただ実は、そんな性質は私たち人間の中にもあります。湯船につかる、森林浴で深呼吸をする、食事を味わうなどですね。しかし現代人は慌ただしく、浸ることをせずに生活している。植物がじっくりと自然の恵みから栄養を取り入れるのを見ていると、私たちも本来そうあるべきだと思います」

──藤原さんは人間も「植物」のひとつだととらえられるかもしれない、と論じています。とてもスリリングな解釈だと思いました。

「もちろん、これは人間=植物だと言いたいわけではありません。私たちの身体をよく観察すると、そういう面が多々あると思う、という意味です。例えば、肺や胃や腸などを『内臓』と呼んでいますが、実は外界と接しています。口から入ってきたものが通るわけですから、“内なる外”を持っているわけです。

 肺では毛細血管という根を張りめぐらして、酸素の取り込みを、赤血球中のヘモグロビンを通じて行っている。腸はもっとリアルでしょう。食べたものにいろいろな酵素をかけて、いわば土のようなものを作るわけです。それを体内に溜めている間に、栄養を吸い取るんです。

 結局、植物も人間も、土のようなものから微生物の力を借りて栄養を吸い取ることをしている。ここだけを見れば、私たちは、動く植物だと考えることもできなくはない。人間は大地の恵みを直接には吸い取れないので、植物のほうがショートカットができているので効率的かもしれません」