デビュー当時の甘えと逃げていた自分
――さて、桜井さんは芸能界に入られて今年で10年目になりました。改めて振り返って、こうした点は変化したと感じるところはありますか?
仕事に対しての向き合い方です。10年前は全然違ったと思います。デビュー当時の私はというと、CMの印象が強かったのかなと思います。本当にありがたいことに、それこそ運が強かった。それが、当時の自分には甘えにも働いてしまった面がありました。
すごく頼れるマネージャーがついていてくれて、その人が愛を持って、私に厳しい言葉をかけてくれているのに、私自身の覚悟がないままに、幸運にもお仕事を始められてしまって。“自分自身で頑張る”という気持ちを持つより先に、世に出てしまった。
そのことで、例えば少し評判がよくなかった時期があったりすると、“別に私は、この仕事でやっていかなくてもいいし……”と、どこか“逃げ”の気持ちが出てしまっていたんです。それがつらかったです。
――自分の中に、“逃げ”の気持ちが出てしまうことがつらかった。
はい。でもいまは、いろいろお仕事を重ねていくなかで、ちゃんと責任を背負いながら、自分自身がどうしたいのか強い意志を持ちながらでないと、立てない仕事だとわかっています。
この世界にはものすごく才能のある人がたくさんいて、「女優でやっていきたいんだ」と強い覚悟のある人がたくさんいる。そのなかで、一つひとつのお仕事を、“やらされているのではなく、自分がやりたくてやっているんだ”と、思ってやるようになりました。そこが10年前とはまったく違います。
――いまのCMのお話もそうですが、桜井さんといえば、それこそデビュー当時、「岡山の奇跡」と呼ばれて大きな注目を浴びました。正直、重荷になった時期はありませんでしたか?
ありました。紹介されて、「そうです」とも言えないし、でも「違います」と言うのも違いますし。なんて答えていいのかわからなくて困りました(苦笑)。
相変わらず、その紹介のされ方はどうしていいのか戸惑いますが、でもそれで覚えていただいたのは事実ですから。そこからもう何年もたっていますし、そう呼ばれなくても、ただ「桜井日奈子」で浸透するようにしていきたいと、そう思っています。
(取材・文/望月ふみ、編集/本間美帆、ヘアメイク/白水真佑子、スタイリスト/入江未悠(LINX))
【PROFILE】
桜井日奈子(さくらい・ひなこ) ◎1997年4月2日生まれ、岡山県出身。2014年「第1回おかやま美少女美人コンテスト」で美少女グランプリを獲得し芸能界デビュー。“岡山の奇跡”と注目を集める。2015年大東建託の『いい部屋ネット』のCMで全国的な知名度を獲得した。2016年に『そして、誰もいなくなった』(日本テレビ系)で連続テレビドラマの初出演を果たし、2018年に映画『ママレード・ボーイ』で初主演を飾った(吉沢亮とのダブル主演)。近年の主な出演作に、映画『任侠学園』(2019年)『殺さない彼と死なない彼女』(2019年)など。話題作の映画『キングダム 運命の炎』の公開も2023年7月28日に控える。Twitter→@hinako_incent、Instagram→@sakurai.hinako_official