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人生100年時代。今や日本人のおよそ半分は50歳以上です。「NEOFIFTY」では、これから50代を迎える人にとって、その先にある老後が「終活の始まり」ではなく「新しい人生がもう一度始まる」と思えるように、素敵な生き方をしている人たちの言葉を紹介していきます。

NEOFIFTY -新50代の生き方-

ソウル・フラワー・ユニオン中川敬が歌い続ける理由。阪神・淡路大震災の被災地での活動から生まれた『満月の夕』

SNSでの感想
中川敬さん 撮影/山田智絵
目次
  • 世界各地での音楽活動から得た経験
  • 阪神・淡路大震災の避難所で演奏しはじめた理由
  • また余震が来るかも……。不安の中、見上げた空に満月
  • 被災地を回りながら演奏する中で、いろんなことを学ばせてもらった
  • ずっと住み続けている大阪の魅力

 今年で結成30周年を迎える「ソウル・フラワー・ユニオン」。バンドでボーカルとギターを務め、楽曲の作詞作曲も手がけているのが中川敬(57歳)。

 ソウル・フラワー・ユニオンのメンバーを中心としたアコースティック・ユニット「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」(以下、モノノケ)では、阪神・淡路大震災の被災地でのボランティア活動や、海外遠征も数多く行ってきました。

 インタビュー後編では、中川さんが作詞した『満月の夕』の誕生秘話や、ホームタウンである大阪の魅力についてお聞きしました。

世界各地での音楽活動から得た経験

──コロナ禍でのライブ活動はどうでしたか。

「やっぱり大変やったよ。特に弾き語りの地方ツアーはほとんど中止になって。収入激減で、子どもと一緒にサイゼリヤとか吉野家ばっかり行くロックスターな日々が始まる(笑)。もう、配信ライブをやりながら、ひたすら曲を作るしかないなー、ということになったね」

──ちなみに、音楽活動で行かれた国はこれまで何か国になりますか。

「(指折り数えながら)香港、北朝鮮、ベトナム、フィリピン、東ティモールの独立記念式典に、国後島。国後島は楽屋がムネオハウス(注:日本人とロシア人の友好の家の通称)やった(笑)。フランスは1年に3回行って、26か所でライブして。それぞれを語るだけで1冊の本になるね(笑)。パレスチナの難民キャンプ、台湾、アイルランド、イギリス……。ぱっと思い出しただけで11か国。もっとありそうやけど、すぐには思い出せないな」

2002年、東ティモールの独立祝賀コンサートで演奏するソウル・フラワー・モノノケ・サミット

阪神・淡路大震災の避難所で演奏しはじめた理由

──『満月の夕』は中川さんの作詞作曲ですが、誕生のきっかけは阪神・淡路大震災だったと伺いました。

「1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きたときは28歳で、今も同じところ(北摂)に住んでんねんけど、かなり大きな揺れで、立てかけてた鏡が割れたり本棚が倒れてきたり。実は朝まで飲んでて地震の瞬間も起きてたんやけど、最初は何が起きたかまったくわからなかった。街全体が1時間くらい停電になった後に、長田(兵庫県神戸市)の下町が、火に包まれていってるニュースを見て、そこからはずっとテレビばかり見て眠れない日々が始まった」

──そこから、被災地で演奏されたのはどうしてでしたか?

震災当初は、被災地にボランティアで行くっていう発想がなかった。でも震災から1週間ぐらいたったころに、伊丹英子(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット)が、“避難所で民謡を演奏しない?”って言い出した。“避難所という場所は、お年寄りや障がい者や貧困層がどんどん取り残されていく場所になっていくと思う。演奏した後に、おばあちゃんおじいちゃんと大変でしたねってお茶でも飲みながら交流したりできるんじゃないか”って。震災後の5年間は、避難所、仮設住宅、復興住宅でかなりの本数のライブをやった

──音楽でボランティア活動をされようと思った原動力は何でしたか?

「もちろん若かったっていうのもあるけど、当時メジャー・レーベルと契約してて、メンバー全員が関西在住でソウル・フラワー・ユニオンしかやってなかった、というのは大きかったね」

──モノノケではどのような曲を演奏されていましたか?

明治・大正年間のはやり唄、日本列島周辺の民謡(ヤマト、沖縄、朝鮮、アイヌ)、労働歌、革命歌を、三線(沖縄の三味線)を弾きながら歌う。バンド音楽的にも、三線やチンドン太鼓、チャンゴ(朝鮮の太鼓)とか、当時の自分たちには新鮮で、面白いことをやってるなーっていう実感の中で、ずぶずぶハマっていったね。日々、ソウル・フラワー・ユニオンを知らない人たちの前で演奏するのが刺激的で。ソウル・フラワー・ユニオンと違ってモノノケは、楽器や機材的にも身軽やし、海外にも行きやすい、というのがあった」

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