被災地を回りながら演奏する中で、いろんなことを学ばせてもらった
──被災地での演奏で、気をつけていたことはありましたか?
「避難所での演奏は、初めは室内ではやらないようにしてた。かなり寒い冬やったけど、音楽なんて聴きたくないっていう人のことも想定して、必ず外で演奏をしてた。そんな中、ボランティアの方から“避難所の中で演奏してください”と言われるようになって。それが3月4日、長田区野田高校体育館避難所で、めちゃくちゃ盛り上がったんやけど、いちばん後ろのほうに座ってた2人のおばあちゃんが演奏している壇上のほうに全然、向かなかった。気になったヒデ坊(伊丹英子)が演奏後に近寄って話しかけてみたら、足がなくて置かれてる状態やったんよね。実は、倒壊した家屋の中で長時間挟まれてしまった、足を切断したお年寄りが多かったんよね。避難所の中で演奏してください、というのは、身体上、野外に出られない人がいる、ということやった」
──中川さんにとって忘れられない出会いがいろいろとあったのですね。
「あの数年間、被災地を回りながら演奏する中で、音楽と場にまつわる、あらゆることを学ばせてもらった。“うたのありか”みたいなことをね」
ずっと住み続けている大阪の魅力
──中川さんは今も大阪にお住まいなんですよね。上京しようと思ったことはなかったですか?
「これは成り行きかな。たまたまずっと同じ場所に住んでるだけみたいな感覚。なにか大きなタイミングがあれば、関東に出て来てたかもしれないけど、そういうこともなかったし。もう東京に住みたいとは思わなくなったなー。家賃も駐車場代も外食費も高すぎるし、みんな仕事ばっかりしててしんどそうやんか(笑)。今住んでる場所が、山や川が近くにある、適度に田舎で、いい具合に音楽活動とメリハリがつくんよね」
──ずっと住んでいらっしゃる大阪の中で、好きな場所ってどこですか?
「甲子園球場(笑)。コロナ禍になってからは行けてないけど。中川敬にとっての甲子園球場は、いわばエルサレム的な場所ですね(笑)。関西って、かなり小さな空間に、滋賀県やら奈良県やら京都府やら大阪府やら兵庫県やらが密集してあって、コロナ禍以降特に、車で、自然の中に入っていくときが至福の時間やね。時間が空いたら、結構車でうろうろしてます」
──関東と関西ではお客さんの盛り上がりが違ったりしますか?
「それは一口には言えないかな。やっぱり条件がそろえば盛り上がるよね。大阪と東京の比較ではなくて、日本と海外という視点になると、日本人はシャイやね。みんなが盛り上がれば盛り上がる。みんながおとなしかったらおとなしい。海外で、特に知られてないモノノケが演奏すると、欧州であろうが、アジアであろうが、めちゃくちゃ盛り上がるんよ。やっぱり民族性の違いはある。ただ、一見盛り上がってないように見える音楽空間でも、聴いてる人ひとりひとりの胸の中には熱いものが流れてたりするんよね。ロック・バンドであろうが弾き語りであろうが、それぞれに、自由に楽しんでほしいね」
◇ ◇ ◇
気さくな関西弁で当時の心情を包み隠さず語る中川さん。その人間性がにじみ出た音楽だからこそ、人々の胸を打つのかもしれません。
(取材・文/池守りぜね、編集/小新井知子)
《PROFILE》
中川敬(なかがわ・たかし)
1966年3月29日生まれ、兵庫県西宮市出身の日本のミュージシャン。ニューエスト・モデルなどのバンド活動を経た後、'93年にソウル・フラワー・ユニオンを結成。ロック、アイリッシュ、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエなどさまざまな要素を貪欲にとりこんだ雑多な音楽性で高い評価を得る。'95年にはソウル・フラワー・モノノケ・サミットを結成し、被災地での出前ライヴを開始。そのほか別ユニット活動も精力的。2011年にリリースしたアルバム『街道筋の着地しないブルース』がファースト・ソロ作。
★2023年7月5日にソロ・アルバム第5弾『夜汽車を貫通するメロディヤ』発売!
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