売野雅勇の歌詞と相性◎。鶴久に与えられたソロ曲「HE ME TWO」には驚き

 もともとデビュー前から、メンバーが一部の自作曲を手がけていたチェッカーズだが、'86年まではすべてのシングル表題曲が芹澤廣明によるもの。ヒットを飛ばしてきたものの、そこでの葛藤はあったのだろうか?

「確かに『ギザギザハートの子守唄』がデビュー曲だと言われたときは、それまでアマチュアでやっていたアメリカン・ポップス路線とは系統が異なるので、戸惑いました。でも先生は僕たちの意見もちゃんと聞いてくださっていて、“まずはヒットしないと、何もできない。これは(作詞家の)康珍化さんと作って書き溜めていた自信作で、これが似合うアーティスト用に、とっておいたんだ”とおっしゃって。それに、『ギザギザハートの子守唄』は1回聴いたら覚えてしまうほどインパクトありますから、納得しました。しかも、2曲目の『涙のリクエスト』は、僕らのルーツとなるアメリカン・ポップスを売野雅勇さんが歌詞に反映させてくださったので、すごく入りやすかったです

 納得のうえでの職業作家路線だったようだ。そして、売野雅勇の歌詞については、

「(藤井)フミヤさんがよく言っていたのが、“売野さんの詞は歌っていると熱くなってくるから、ライブのときに感情移入しやすい”ということです。僕は、アルバムのソロの曲で同性愛をテーマにした『HE ME TWO』を歌うことになってビックリしましたけどね(笑)。たぶん、当時カルチャー・クラブが流行(はや)っていたのと、(メンバーの)高杢(禎彦)さんが硬派なパートだから、バランスとして、僕はそっち担当だったんでしょうね。数年前に売野さんにお会いしたとき、“俺はあの曲好きなんだよ”っておっしゃっていて、アルバムの1曲でもよく覚えていらっしゃるんだなと感心しました。当時は、上京して引き出しが何もないころで、プロの作家の方のそういった思いも知らずに歌っていましたね~。

 売野さんに作ってもらった中で僕がいちばん好きなのは、‘86年の『Song for U.S.A.』ですね(Spotify第7位)。サビが英語なのもカッコいいじゃないですか。これは、もともと'85年のアルバム『毎日!!チェッカーズ』用の1曲だったのですが、会社のお偉いさん方がとても気に入られて、曲ありきで映画を作りたい、という話があれよあれよと実現していって、翌年にシングルで発売となったんです

鶴久の作曲した楽曲たちは「歌っていて気持ちいいところ」も長く愛される秘訣

 そして、メンバーが詞曲を手がけた楽曲は、第5位の「I Love you,SAYONARA」、第6位の「夜明けのブレス」、第8位の「Room」、第9位の「素直にI'm Sorry」、第10位の「Blue Moon Stone」と5曲がランクイン。いずれも当時のシングル売り上げ順よりも上位となっており、時間をかけてより本格的なヒット曲に成長していったことがわかる。

 このうち「夜明けのブレス」と「Room」が鶴久の作曲で、いずれもロングヒットしたイメージが強い。

「この2曲は、カラオケの歌唱回数がめちゃくちゃ多いんですよ。特に『夜明けのブレス』はぶっちぎりで。2曲とも、ただ聴くよりも歌っていて気持ちいいことも、多くの方の心に刺さっているんじゃないですかね。自分の思いが必ずしも正解というわけでもないのですが、幼いころから、自分が好きになる曲がヒット曲ばかりだったんですよ。例えば、洋楽のアルバムを借りてきても、自分がいいと思った楽曲が、後にシングルでリカットされるということが多くて、そういったわかりやすい感覚を持っているんだと思います。

 チェッカーズの曲の採択方法は身内でのコンペ形式です。ポニーキャニオンと当時の事務所、双方のディレクターとメンバー7人による話し合いで決めています。その中で、僕の楽曲が多いのは……みんなが酒を飲んで遊んでいるときに、コツコツと作曲していたからじゃないでしょうか(笑)。僕が曲を作り始めたのは高校生のころからですね。でも、作り方もよくわからないので、1年に1曲ペースとかでしたね。作曲がうまかったわけでもなく、鼻歌の延長でギターでなぞって作る感じで。今ならば、“こういうコード進行にしちゃダメだ”とか経験則が出てしまいますが、当時は本能丸出しで作っていました。だから最近では、まずは20代のときの本能の部分を大切にして作曲することも多いですよ