「夜明けのブレス」は「2分くらいで全部できた」フミヤへの祝福の気持ちも投入
では、鶴久が作曲を手がけたヒット曲の制作エピソードを語ってもらおう。まずは、第6位の「夜明けのブレス」から。
「当時から、風呂上がりの気持ちいいタイミングで曲を作るのですが、『夜明けのブレス』はギターを握って2分くらいでAメロ、Bメロ、サビと全部できました。でも、何かに似ているな……と気になっていたら、ジョン・レノンの『イマジン』。当時ずっと聴いていたので、メロディーが異なるとはいえ、サビまでの構想はまったく同じなんですよ。その後、『夜明けのブレス』はアルバムの中の1曲のつもりでレコーディングを進めていたのですが、フミヤさんから歌詞が出てきたら、世界観がものすごく広がったんです。それをディレクター陣が気に入ってシングルにしようと決めたところ、映画『タスマニア物語』のイメージソングに起用されたんですね」
本作は、'90年代の結婚式ソングの定番となったことも、今でもカラオケが大人気となっている要因のひとつだろう。
「これを作ったのは、フミヤさんが結婚を発表する前だったのですが、オケを作っていたときに、サビのところでおめでたい感じの鐘の音を入れてみたんですね。そうしたらフミヤさんの方から、《君のことを守りたい~》って歌詞が来たから、“ああ、自分の思いが伝わったんだなぁ”とうれしかったです。まぁ、後付けですけどね(笑)」
「Room」制作のヒントは当時大好きだった「ダンスはうまく踊れない」から
次に、第8位の「Room」。これは当時のJ-POPには珍しいレゲエ調で、アイドルというイメージにとどまらず、本格的でクールなバンドの風格も高めた1曲だろう。
「『Room』がシングルに選ばれるとは、まったく思っていなかったですね。当時は、自分のルーツから派生させて曲を作るということにしていて。あのころ、井上陽水さんが作って、石川セリさんが歌い、その後、ポニーキャニオンからも高樹澪さんがカバーしてヒットした『ダンスはうまく踊れない』が大好きだったので、この曲ではチェッカーズ風にアレンジしてみました。それで、みんなでオケを作ってみたら、なかなかカッコいい曲になって。イントロや、間奏部分の(藤井)尚之くんのサックスもめちゃくちゃいいですよね!」
ちなみに、当時の年間ランキングではシングルの37位に対し有線放送が17位と圧倒的に強く、スター性以上に楽曲が支持されていることがわかる。
「当時、われわれのヒットを予想する基準のひとつに、事務所の社長が車の中で“発売前の音源の入ったテープを何回再生するか”というのがあったんですよ。今のようにデジタルじゃないので、毎回、発売2か月から3か月前に作った音源をかけるのですが、この『Room』は、“発売前にしてもう1000回を越えていたので、間違いなくロングヒットだろう”と言われていたら、本当にヒットしたんですよ!」
鶴久は名曲をお手本にしつつも、チェッカーズの演奏や歌声を意識しながらオリジナリティを見い出すという作曲方法が実に鮮やか。幅広く世間を見渡しつつも身内の特性を反映させるという仕事ぶりは、まるで有能かつ謙虚な経営者のようにも思えて、チェッカーズ成功の秘訣に改めて触れた気がする。
次回は、そんなチェッカーズに訪れた“反抗期”(?)や、セルフ・プロデュース期のさらなる名曲に迫ってみる。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
鶴久政治(つるく・まさはる) ◎1964年3月31日、福岡県生まれ。'83年9月21日、 チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。サイドボーカル・メロディメーカーとして「夜明けのブレス」「Room」「ミセス マーメイド」をはじめとする数々のヒット曲を手がける。'92年12月31日、NHK紅白歌合戦への出演を最後にチェッカーズ解散。解散後もライブ、CD制作、作詞、作曲、プロデュース、役者等、幅広く活動。'22年、STU48に楽曲提供した「花は誰のもの?」は売上44万枚を超えるヒットを記録。'23年4月、ソロ名義でリリースした作品及びデュエット企画で発表した全81曲のサブスクでの配信を開始した。
◎鶴久政治 公式Instagram→https://www.instagram.com/masaharutsuruku/
◎鶴久政治 サブスク一覧→https://lnk.to/Tsurukumasaharu