野宮と波多野の別れにも、深くはかかわらない万太郎
屋台からの帰り道、波多野は万太郎に野宮の話をする。画工だった野宮と自分の“格差”について語る。自分は農科大学の教授の話を受けた、野宮は辞表を出すらしい。「結局僕は、野宮さんを見捨てたんだ」と。
ことほどさように、万太郎はただ“存在する”だけだ。そこに人が来て、ドラマが動き出す。野宮と波多野の別れが描かれた。そこに万太郎もいたが、かえって野宮に気を遣われる。最後に万太郎の長屋を訪ねた野宮が万太郎一家を写生しながら話したのが、アルミニウム印刷機だった。
23週の途中、『らんまん』の脚本家・長田育恵さんのインタビューがネット上にアップされた(9月7日『リアルサウンド』)。全話を書き終えての総括で、万太郎という人物について長田さんは、《『草花を一生涯愛した』というシンプルなテーマを持った槙野万太郎を、広場に見立てて、その人物の元に集まる人々や関係性、ネットワーク、皆の人生が咲き誇るさまを描き出そうとしていました》と語っていた。
そうか、万太郎は「広場」なのか。広場とはそこにあるもので、ドラマを動かすのは集まる人々。だから藤丸と綾と竹雄に泣けて、万太郎には泣けないのも当然なのだ。万太郎に感じる「残念さ」のからくりを理解した。長田さんの狙いどおり、私は最後、綾と竹雄と藤丸のお酒が完成する場面で泣きたい。
《執筆者プロフィール》
矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など