宝塚歌劇団OGの輪をつないで、リレー形式で人気スターの現在を紹介する連載「宝塚歌劇団 華麗なるOGリレーサロン」。第2回目は、第1回で登場してくれた和央ようかさんからのご指名で、元雪組トップスターの早霧せいなさんにお話を伺いました!
元宝塚歌劇団雪組トップスター。愛称は「ちぎ」。’01年’に入団後、’06年には和央ようか・花總まりトップコンビ退団公演となる『NEVER SAY GOODBYE-ある愛の軌跡-』で新人公演初主演。’09年に雪組へと組替えし、主演を重ね、’14年に雪組トップ就任。’98年に創設された宙組出身者から初めてのトップスターとなる。トップ就任後の大劇場主演作は5作連続で客席稼働率100%超えを達成し、宝塚史上初の偉業を成し遂げた。
’17年に『幕末太陽傳/Dramatic “S”!』千秋楽をもって退団。その後は舞台『るろうに剣心』『ウーマン・オブ・ザ・イヤー』やドラマ『科捜研の女』(テレビ朝日系)、『ドラゴン桜』(TBS系)などに出演。現在は舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』でハーマイオニー・グレンジャー役を熱演中。
組配属になったときに、きれいな子が入ってきたな、と思っていたのが、ちぎ(早霧せいなさんの愛称)でした。とても努力家で、私の退団公演『NEVER SAY GOODBYE-ある愛の軌跡-』の新人公演で、私の役・ジョルジュを演じてくれたんですよね。ちぎの退団公演は、夫のフランク(世界的な作曲家のフランク・ワイルドホーン氏)と一緒に観に行っています。今はロングランの出演舞台『ハリーポッターと呪いの子』で忙しいと思いますが、日々がんばっている姿に、私も励まされています!
真矢みきさんに魅せられ宝塚へ、身長の壁に悩みながら自分なりの男役像を模索
和央ようかさんとフランク・ワイルドホーンさんご夫妻には、退団公演の千秋楽のときに楽屋に来ていただいて、それはもう大感激でした。宙組は初舞台で出させていただいた組で、そのときのトップが和央さん。私にとっては、雲の上の方でしたから。
宝塚では初舞台が終わったあとに、どの組に配属されるかが決まるのですが、どうしても初舞台への思い入れが強くなって、そのとき出演した組への配属を希望する人が多いんです。私も宙組に配属されることを願っていましたが、背が高い男役が多い組だったので、167センチの私は身長的に無理だろうな、と諦めていました。でも、結果的に宙組への配属となり、発表を見たときは、うれしくて仕方なかったですね。
そもそも宝塚を知ったきっかけは、真矢みき(現・真矢ミキ)さんを紹介した記事でした。
ある雑誌で、真矢さんの舞台写真と素顔の写真が並んで掲載されている記事がふと目に入ったのですが、スーツを羽織ってポーズを決めている舞台写真が、男性でも女性でない、非現実的な姿に感じられて。見たとたん、「カッコいい!」と衝撃を受けました。舞台メイクの真矢さんは、素顔とはまるで別人。どちらの真矢さんもすてきですが、「人はここまで変身することができるんだ」と驚愕しました。
宝塚歌劇という存在をそこで初めて知るのですが、「女性だけで演じる世界で唯一の劇団」と説明されていて、「え、そんな世界があるんだ!」と、またも衝撃を受けました。当時はまだ、簡単にインターネットで情報を調べることができない時代。具体的にどんな仕事なのか、まるでわからず、舞台を観たこともないまま「この劇団に入りたい」と決心したんです。当時は長崎の中学生で、非日常の世界に憧れるだけの14歳でしたが、やっと将来の夢が持てました。
そのあと、初めて観に行った宝塚の舞台は、偶然にも真矢みきさんの福岡公演『エデンの東/ダンディズム!』。当時は電話でチケットを取るのですが、つながる前にいつも完売になってしまっていた中で、ようやく取れた貴重なチケットです。上演中はオペラグラスを覗(のぞ)いて、動く真矢さんをずっと追いかけていました。
そのころ、花組の安寿ミラさんと真矢みきさんの「ヤンみきコンビ」(ヤンは安寿ミラさんの愛称)が人気で、私も2人の織りなす世界観が大好きでした。ヤンさん、みきさんのようなトップ像を目指していたのですが、入団してからは「憧れの男役さんを追いかけるより、自分だからこそ描ける独自の男役像を追い求めていきたい」という気持ちで、まい進していきました。
宙組への配属になったのはよかったものの、周りは170センチ以上ある背の高い男役ばかり。私の身長では、和央さんのような長身でノーブルな王子役はまわってこず、子役や弟分的な役、市民の役しかやらせてもらえない。新人時代は「早くそこから脱却して、背が低くてもサマになる大人の役をやりたい」と、自分なりの男役像を模索し続けていました。徐々に「正統派で二枚目の王子様系よりも、人間味があって泥くさい役のほうが自分に合っているかな」とわかってきたので、そこを磨こうとがんばっていましたね。
初めて大人の役を演じられたのが、冒頭でもお話しした、和央さんの退団公演『NEVER SAY GOODBYE-ある愛の軌跡-』の新人公演(入団7年目までの団員で通常公演と同じ作品を一度だけ上演する、若手育成のための公演)。スペイン内戦に自ら身を投じるカメラマン・ジョルジュ役に抜てきされました。ミュージカル界の大御所、フランク・ワイルドホーンさんが全曲書き下ろしたミュージカルで、新人公演初主演でしたから、これほど光栄でうれしいことはありません。一方で、すでに芝居も歌も仕上がっている和央さんが演じた役で、海外ミュージカルの大作。とてつもないプレッシャーもありました。
なにしろ、フランクさんの難曲ぞろい。歌に対する苦手意識が強かったので、とにかくなんとかしなければ、と焦るばかり。しかもラブストーリーでしたから、大人の男性として、歌で愛を伝えなければなりません。何もかも初めてづくしで、ハードルがとても高かったんです。今までにない経験ができる喜びと、求めるところに全然達していない自分の不甲斐なさへの落胆、その葛藤がすさまじかったですね。
新人時代にこんな難しい役がまわってくるとは考えもしなかったので、自分史上、いちばん必死になって稽古しました。通常公演もありましたから、新人公演の練習をする時間をどこかで捻出しないと、と思うものの、削るところは睡眠しかないという忙しすぎる毎日でしたね。この公演中は、ほとんど寝ないで舞台に立っていました。また、私の役はみんなを引っ張っていく人物でしたので、吸引力を持って舞台に立たなけばなりません。「未熟な自分にできるだろうか、という不安を乗り越えるには、稽古しかない」と必死でした。
「和央さんのように演じたい」と意気込んでいたものの、新人公演の演出家・小柳奈穂子先生は、私のことを私以上にわかってくれていたんです。私が演じるジョルジュについては、快活な人物像をイメージして、「和央さんがノーブルだったら、あなたはもうちょっとガッツがある役作りはどうか」と提案していただきました。
最初のうちは「和央さんと違った王子像を演じるのは、彼女のようにできないからという“逃げ”なんじゃないか」と自分の中に抵抗感もあったのですが、稽古をしていくうちに「先生の言葉は、自分を生かすためのアドバイスだったんだ」と理解できるようになり、その方向性が正しいんだと信じて、公演に臨みました。公演では、当時の自分が持つすべてを出し切れたと思います。お芝居の難しさを感じつつ、面白さもわかってきた時期でした。だからこそ、忘れられない作品なんです。
2番手からすぐにトップになれず落胆、お披露目公演をへて対峙した“大きな重圧”
その後、雪組に組替えとなり、音月桂さんがトップに、私が2番手のポジションについてからは、新たな試練が始まりました。私は周りが気になってしまうタイプで、自分の力不足を感じるたびに悩んでは、心をすり減らしていました。音月さんに相談したくても、「忙しいトップさんを煩わせてはいけない」と遠慮して壁を作ってしまっていたように思います。そんな中で音月さんが退団を発表。通常、トップが退団したら2番手が次のトップに指名されることが多いので、「次は私かも」と少し期待することもあったのですが、劇団が次のトップとして発表したのは、当時、花組にいらした壮一帆さんでした。
「自分がトップに選ばれるのではないか」という局面で壮さんが入ってきたときには、たいへんな挫折感を味わいました。宝塚に入ったからには、みんな口には出さなくても、トップへの夢を持って精進します。でも振り返ると、当時の私は2番手という位置にいながら、トップになる覚悟を持ちきれていなかったように思います。心の奥では、トップへの夢を抱いて、毎日ものすごくがんばっているのに、どこかで「私なんかがトップになりたいと思ってはいけない。もっとなりたがっている人たちがいるから」などと葛藤して、意志が揺らいでいる部分があったのかなと。だから、「しかるべきときに、壮さんが来てくださったんだ」と自分に言い聞かせました。
しかし、そこで火がついて、改めて「絶対にトップになりたい」という決心がついたんです。これまで以上に稽古に励む日々でした。
壮さんが退団を発表されたあと、劇団からはギリギリまでトップの指名がありませんでした。そんな中でついにトップ就任のお話をいただいたときは、喜びもものすごく大きかったのですが、「ここからまた、やることが山ほどあるな。自分には何ができるだろう」と、まず気を引き締めました。やるしかない、と決めてからは、スッキリしましたね。もやから抜け出し、視界が良好になって、「目の前のことからひとつずつやっていこう」と、前進していく気持ちが芽ばえました。
トップお披露目の作品となったのは、『ルパン三世』です。実は、最初にルパン役でお披露目と聞いたときは、正直ショックでした。宝塚らしい作品ではなく、アニメ原作のものでしたから。でも、ふたを開けてみたら宝塚を知らない方にも観ていただけて、客席の入りが千秋楽までずっと100%超え。うれしくて気合いが入りました。
ただ、たいへんな好評をいただいてしまったため、次の舞台はもっと、その次はもっとよくしなければ、と自分にプレッシャーを与え続けてしまい、重圧に押しつぶされそうになったんです。トップである自分に何かあったら、舞台を止めてしまう。作品の良し悪しを決める要となる自分がうまく回らないと、確実にみんなを巻き込んでしまう。確立されたポジションをひとりで担いつつ、雪組全体のことも考えねばならないという責任の重さがのしかかり、もがく時期もありました。
ありがたいことに、その後の公演でも高い客席稼働率をキープすることができましたが、私にとっては稼働率以上に、「いかにおもしろい舞台をお客様に届け続けられるか」が何より大切でした。もちろん上層部は稼働率を気にしていたかもしれませんが、タカラジェンヌはそこに生きてはいないんです。商業演劇ではあるけれども、歌劇団員の意識は少し違う。純粋に、「いいものを作れるかどうか」その1点に集中しているんですよね。
思えばトップになってから演じたのは、ルパンをはじめ個性的なキャラばかりでした。ときには「演出家の方たち、私のことをよくわかってますよね」と自虐的になったりして。二枚目の役って、来なかったですもんね(笑)。でも、だからこそ楽しかった。型にはめられるのが嫌いなので、はまらなくてすむものばかりで、自由度が高く、ビジュアルの作り込みにものめり込みました。2番手の時代に『Shall we ダンス?』 や『ベルサイユのばら』といった原作がある作品に出演する機会が多くあったことで、原作を舞台で立体化することが身体に染み込んでいたんです。原作のある作品をどう演じるかの引き出しは多かったかもしれません。その点は、未熟な自分を助けてくれる武器として、存分に使えました。
しかし、自分ひとりががんばるだけでは足りません。上の学年になればなるほど、「出演者が一丸となって舞台を作り上げないことには、お客さまにクオリティの高い作品を届けられない」と思っていたんです。ですから下級生には、「お客様に楽しんでいただくためには、あなたはこんなこともできるよ」などと、可能性を示してあげられるような言葉をかけるよう心がけました。自分が上級生とうまくコミュニケーションがとれず壁を作ってしまっていたので、下級生にはなるべく思ったことを伝えるとともに、下級生の意見も取り入れようとしていました。
退団後の舞台『るろうに剣心』で、この先自分が本当にやりたいことがわかった
そんなこんなで仲間と切磋琢磨しながら宝塚での日々を過ごし、入団から16年後の’17年に退団しました。退団後の活動は、白紙でした。在団中に舞台出演は決まっていましたが、本当にできるのか、やりたいのか、やれるのか、すべて半信半疑だったんです。それでも「いつか“これだ”と思えるものに出会えるはず。だから役者を続けてみよう」と自分に言い聞かせていました。
とはいえ、宝塚卒業までにさまざまな夢が叶(かな)いすぎていたので、退団直後は、残りの人生をもう“余生”と呼んでいたんです。いわゆる「燃え尽き症候群」ですね。でも、そのころは気づかなくて、最近です。「あ、あのとき燃え尽きていたんだ」とわかったのは(笑)。
燃え尽きながらも舞台に出続け、まだ宝塚の延長にいるような、もう違う世界にいるような、不安定な時期が続いていましたが、’18年に大きなターニングポイントがありました。『るろうに剣心』の舞台に主演し、再び男役を演じたことです。演じてみて、正直「男役はもう、おなかいっぱい」となりました。女性が男性を演じるには、とてつもないエネルギーが必要です。パワーや迫力は、男性の役者たちにどうしてもかなわない。でも、虚勢を張ってでも堂々としていないと、強い剣心には見えない。周囲のサポートのおかげで、舞台では私なりの剣心を演じられたと納得はできましたが、「これは自分が今、そしてこれから、やりたいことではない。今後は純粋に女性の演者としてお芝居がしたい」と気持ちの整理ができました。
『ハリー・ポッターと呪いの子』は体力勝負、見どころはキャラクターの“4変化”
現在、出演中の舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、 J.K.ローリングによるベストセラーのファンタジー小説『ハリー・ポッター』の「8番目の物語」にあたるシリーズです。オーディションのお話をいただいて、「話題の舞台に参加できるチャンスがあれば」と受けることにしました。私が演じるのは主要キャストのひとりであるハーマイオニー・グレンジャーで、映画のシリーズでは、エマ・ワトソンが演じていた役です。ホグワーツ魔法魔術学校のグリフィンドール寮に所属し、親友のハリー・ポッター、ロン・ウィーズリーといつも3人で行動しながら、さまざまな問題を解決していきます。
コロナ禍でしたので、一次、二次は映像での審査でした。そのあと、イギリスから来日したオリジナルの舞台スタッフの前で、演技とムーブメント審査、さらには体力審査まであり、厳しいオーディションでしたね。でも、ダメもとで「私が考えたハーマイオニー・グレンジャーはこうなんです!」と、思い切りチャレンジさせていただきました。受かるかどうかの不安より、「やったるでー」という気持ちのほうが大きかったんです。
まさにハリー・ポッターの世界に入り込んだような舞台で、本棚に吸い込まれたり、魔法を使って変身したりなど、演じていてこんなに楽しい作品はないほどです。次から次へと魔法が繰り出されますので、身体を使う仕掛けが多く、体力勝負でもあります。ですから稽古では、毎朝必ず1時間、全体で筋トレやウォームアップをする習慣までありました。でも、これは私にとっては得意分野。宝塚時代から、お芝居で煮詰まった翌日にショーの振りつけで動くと心身がリフレッシュされて、スッキリとした頭でお芝居を見つめ直すことができました。私にとっては、身体を動かすことがプラスに作用するんです。
1か月もの舞台稽古があり、役作りもじっくり考えながらしていったのですが、初日が開けてしばらくたった今では、自分のお芝居がかなり変化しています。自分の感情はもうベースとして蓄積されているので、相手の気持ちを引き出すためには、いかにその感情を使えばいいかと考え、その手法を相手によって変えられるようになりました。
1年以上のロングラン公演で、しかもダブルキャスト、トリプルキャストと日によって共演者が変わるから、自分を固定させてしまうと、スケールが小さくなってしまうんですよね。柔軟さが必要不可欠です。目の前にいる相手がどう出てくるか、自分はそこで一歩踏み出すのか、引くのか。そういうやりとりが、自然にできるようになってきました。ロンと私の役はガッツリ芝居をするというより、場面を説明するようなアシスト的な役回りですが、だからこそ見せ場をしっかり印象づけたい、というモチベーションのもと演じています。
時空を超えて、過去と現在が交錯するなか、現実の世界では、自分の心情よりも物語を運んでいくことに専念し、別次元では、ロンとしっかり向き合い、本心を語っています。そんななか、ハーマイオニーのキャラクターは4種類に変化していきます。その演じ分けが、最大の見どころです。ぜひ、劇場でその変身術を堪能していただけたらうれしいです。
宝塚時代から、常に葛藤を抱えながらも、確実に成長を重ね続けてらっしゃる早霧さん。今後のご活躍がますます楽しみです。早霧さんがバトンを渡すのは、元月組トップスターの珠城りょうさんです!
【取材・文/Miki D’Angelo Yamashita、ヘアメイク/飯嶋恵太(mod’shair)、スタイリスト/田中雅美】
《出演情報》
舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』
【公演概要】
2022年7月8日〜2023年5月31日 東京都TBS赤坂ACTシアターにて
※2023年6月以降も上演予定
【スタッフ】
オリジナルストーリー: J.K.ローリング/脚本・オリジナルストーリー:ジャック・ソーン/演出・オリジナルストーリー:ジョン・ティファニー ほか
【キャスト】
ハリー・ポッター :藤原竜也、石丸幹二、向井 理/ハーマイオニー・グレンジャー:中別府 葵、早霧せいな/ロン・ウィーズリー:エハラマサヒロ、竪山隼太 ほか
【チケット】
2023年5月公演分まで、ホリプロステージまたはTBSチケットにて好評販売中
◎公式Twitter→@hpstagetokyo(https://twitter.com/hpstagetokyo)
◎公式Instagram→hpstagetokyo(https://www.instagram.com/hpstagetokyo/)
※公演詳細やチケット情報→https://www.harrypotter-stage.jp