日本を代表するギタリスト、布袋寅泰さん。昨年「東京2020パラリンピック」開会式での圧巻のパフォーマンスに、多くの人が誇らしい気持ちになったのではないだろうか。1981年に伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとしてデビュー。1988年のソロデビュー以降は、日本のみならず世界を舞台に活躍を続け、2021年にアーティスト活動40周年アニヴァーサリーを迎えた。その40年の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『Still Dreamin’―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』が、2月4日から2週間限定で公開。
これまでの貴重な未公開映像を多数フィーチャーした軌跡にとどまらず、“WITHコロナ”生活における音楽との向き合い方についても赤裸々に告白するなど、ミュージシャンとしてだけでなく、ひとりの人間としての葛藤も描かれ、その想いがひしひしと伝わってくる。さらに、新型コロナウイルスに打ち勝とうとする彼の不屈の精神や「アーティストとして今、自身がやるべきこと」を行動に移す姿、前向きな言葉の数々が生きる勇気を与えてくれる。
2月1日に60歳を迎えた布袋さんに、自身初のドキュメンタリー映画について、アーティスト人生を振り返って忘れられないこと、家族への想い、チャレンジしたい夢などを、たっぷり語っていただきました。
とにかく元気になる映画にしよう
──完成された映画をご覧になって、どのようなことを思われましたか?
「40周年を記念してドキュメンタリー映画を作らないか? というオファーをいただいたときは、正直、自分の40年のアーティスト人生がちゃんとストーリーになっているのか少し不安でしたし、少し照れくさい部分もありました。
でも、監督の石田(雄介)さんがとにかく誠実な方で、しっかりと僕の歴史と向き合ってくれて。いいところばかりではなく、ちゃんと人間としての葛藤や、20代から50代までそれぞれの年代で歩んできた一歩一歩を丁寧につないでくださったので、初めて完成した作品を観たときに、なんだか自分のストーリーに感動しましたね。“こうやって僕はここまでたどり着いたんだ”ってことを客観的に見る機会ってないことですから。あのころは気づかなかったけど、みんなつながっていたんだと、自分の年月を受け入れることができたので、監督には非常に感謝しています」
──「ここはこだわりたい」など、布袋さんから監督にリクエストされたことはあったのでしょうか?
「ドキュメンタリーですから当たり前だけれども、ウソ偽りのないものにすること。監督のほうからは、ただ映像を時間軸でつなぎ合わせた歴史をお見せするんじゃなくて、見終わった後に“もう一歩前に踏み出そう”という勇気をもらえるようなポジティブなエンディングにしたいとう話があって。“とにかく元気になる映画にしよう”っていうのは初めから一貫していましたね。もうひとつ監督の案で、現在の布袋寅泰が過去の布袋寅泰と心通わせ合うような、少しファンタジーな部分があるので、そこも映画として魅力になっていると思います」
──そこは普通のドキュメンタリー映画と違うところですね。約1時間半ですが、あっという間でした。
「“あっという間”っていう言葉ほど、僕らにとって嬉しい感想はないです。ただ、コロナ禍になって、撮影が予定通りにいかないこともありました。映画の中で描かれている、無観客の武道館もそうです。本当は満杯の観客の武道館ライブがエンディングのシーンになる予定だったんですね。
また、パラリンピックは守秘義務があって監督にも言えなかったので、彼らはドキュメンタリーを作りながら僕が開会式に出演することを知らないっていう。でも、逆にいうと、そういうのがリアリティですよね。制作側の都合だけでつなげた“布袋史”だけじゃなくて、そういった今そのものが映っているから生々しい。コロナの中で、昨年は踏みとどまるだけでなく、やれることをチームで力を合わせてやっていこうという、その一歩も描かれています」
BOØWYでスタートできたことは、かけがえのないこと
──ライブが中止になったり無観客になったり……コロナショックは考え方が変わるきっかけになりましたか?
「僕は、ロックダウンが始まったころのロンドンにいましたから、とにかく身動きがとれず、マーケットに買い物に行くにもゴム手袋をしていくような状態で、この世界はどうなるんだろうっていう、味わったことがないような恐怖感から始まりましたからね。さらに、10年前の渡英から積み重ねてきたことが少しずつ現実化していって、小さなヨーロッパツアーやワールドツアーもそろそろ実現できるところに近づいてきた矢先のコロナだったので、もろもろ全部リセットしなければいけなかったし、やっぱり心が折れましたよ。
そこから、ロックダウンで何か月も家にこもる中、自分の心のセラピーのような形で曲作りを始めたり、音楽が結果的に自分を支えてくれたところはあります。“不要不急”という言葉でいろいろと考えさせられたけど、やっぱり大切なものってあるじゃないですか。何も身動きできないところから、少しずつその中でやれることを精いっぱいやっていこうってことで、このドキュメンタリーのスタッフもそうだし、われわれ音楽チームも少しずつ前進した2年ですね」
──多くのドラマティックな経験をされている40年のアーティスト人生を振り返って、特に忘れられないことは?
「忘れられないことの連続で、この映画にあるエピソードがすべてそうですけど。でもやはり始まりがあるから今があるという意味合いでは、BOØWYですね。BOØWYの4人で運命のように、右も左もわからない東京でバンドを組むところから始めて。お客さんのいないライブハウスから始めて励まし合いながら、ひとつの成功まで4人で行けたっていうのは、やっぱりある意味、僕の音楽家人生のすべてのような気もしますよね。活動期間は6年と短かったし、解散後のほうがキャリアとしては長いわけですけど、バンドとしてスタートできたことは、自分の音楽史のスタートであるという意味で、やはりかけがえのないことです。
また、2002年に負った頭のケガや東日本大震災など、命に関して改めて考えさせられるような出来事は何度かありました。そこも人間としては大きなことですね。それから娘が生まれたり、家族とのいろいろなストーリーも忘れられないことです」
イギリス生活を支えてくれた妻への感謝
──ご家族は布袋さんにとって、どのような存在でしょうか?
「特にロンドンに移住してからのここ10年、家族の絆はより強くなっていますし、60歳や40周年を幸せに迎える上で、家族の力は一番大きいと思いますね。僕が50の声を聞く直前に、長年の夢である世界への挑戦を理由に、家族と一緒に英国に移住することを提案して、半ば強引に決めたんですけども。でもそこには、僕の夢だけじゃなくて、娘にも世界を感じる人生を歩んでほしい、いつかは外国で学んで視野を広くもってもらいたいという思いがあったので、移住というのは大変なチョイスだけど、必ず彼女の人生にとってプラスになるという確信もあって。
それで、家族で10年前にイギリスに移り住んだわけですけど、(妻の今井)美樹さんはこの10年を、多くの時間を夫の挑戦や娘のさまざまな初めての経験をサポートすることに費やしてくれました。一番大変だったのは美樹さんだったと思いますし、感謝しています」
──ロンドンで一から生活を作っていくのはご苦労もあったでしょうね?
「そうですね。僕は音楽の現場で挑戦しているから、ある意味、自分の世界の中で戦ってはいるけれど、彼女は生活のことや学校のことや10代の娘のこと……向き合うものが多かったですから。英語教室に通って一生懸命勉強したり、真面目な人ですから頑張ってくれましたね」
──映画をご覧になった、奥さまとお嬢さまのご感想は?
「残念ながらスクリーンではなくロンドンの自宅で観てくれたのですが、“素晴らしい! 感動した!”と言ってくれました。特にロンドン生活で僕がもがいているところは、家族が一番知っていますからね。雨の中、僕がギターを担いでバスや地下鉄に乗ってオーディションに出かけたり、肩を落として帰ってくる姿を見ていますから。逆に、美樹さんも娘も知らない20代の僕が描かれているところは、今20歳の娘からすると興味深いだろうし。ちょうど僕がデビューしたのが20歳ですから、そこから40年という年月はきっと計り知れないだろうから。
最近は、ブレずに頑張ってきたこの10年のチャレンジが実を結んでいる部分もあって、もちろんいろいろな方の協力があってのことですけど、今いちばん自分でも充実している時期だと思うんです。そんな中で、去年はパラリンピックや、制限がある中でも全国ツアーをチームで頑張って成功させたり、紅白歌合戦に出演させていただいたり、いろいろなところで自分らしさを表現できたので。娘はテキストで“あなたが世界で一番かっこいい男だ”って、言ってくれました」
──それは父親としては最高に嬉しい言葉ですね。
「よし! よしよしって(笑)。僕は悔しい状況において、それを楽しみながら、負けるもんかって思いで、前に進んで行くタイプだと思うんですよね。何かひとつ形ができあがると、また違う扉を開けたくなるというか。それはやっぱり、変化をずっと求めてきた人間だから。ただ、60代を迎える今、ここからはまたその自分の完成形に近づいていくというか、自分を磨いていく時期だろうし。やっと手に入れた充実した表現力や今までの経験も含めて、自分が楽しめる時期がやってきたのかなと思います」
60歳、自分のなりたかった自分になれている
──アーティストとして、年齢を重ねることによって変化していることはありますか?
「ステージで高いところからのジャンプは怖くなりましたけども(笑)、そのぶん音楽の説得力は絶対的に手に入れたと思うしね。自分のなりたかった自分になれているんじゃないかな」
──2月1日に還暦を迎えられましたが、それは通過点という感じでしょうか?
「いや、けっこうショックですよ(笑)。いよいよ若ぶるのはみっともないし、逆にいったら、大人ぶる必要はない。60っていうのはそういう年齢かなと。ただ、矢沢(永吉)さんやザ・ローリング・ストーンズのような元気な先輩方もいるので、まだまだ60とも思う。たぶん70になったときには、“60は若いよ”と思うんでしょうけど。
とはいえ、僕の憧れのデヴィッド・ボウイは69歳で亡くなっていますしね。これからキャリアもできる限り続けていきたいし、ステージに立つために身体をメンテナンスしていこうとは思う。今まで何千回ってやってきましたけど、これから先どのくらいライブをやれるのかなと思うと限られているだろうし、一本一本が大切ですよね。今までにも増して、自分に言い訳をしないように充実させていきたいと思います」
──変わらぬ若さと健康を保つ秘訣(ひけつ)は?
「散歩したり、YouTubeを見ながらヨガもどきみたいなことをやったり、軽くストレッチをしたりするくらいです。筋トレはあまり好きじゃないし、なんとなく似合わないじゃない?(笑)。年齢を重ねていくと無理をしないことのほうが大事だと思うし、実際、身体の調子もいいですし。無理しないのが秘訣ですね」
──プライベートでリラックスする時間は?
「散歩は好きです。ツアー中もライブの前に、朝8時くらいに起きて散歩に出かけてます。朝5時まで飲んでいた昔からは考えられないですね(笑)。最近は、城めぐりが楽しくなってきたり。昨年のパラリンピックからずっと東京にいるので、家族とも7か月会っていませんから、ひとり時間の使い方が上手にならざるをえないですよね。
本当は旅が好きだし、ロンドンに住んでいると、東京から北海道や沖縄に行くぐらいの感覚でイタリアやスペインやヨーロッパのあちこちに行けますから、それもロンドンに住む楽しみのひとつだったんですけど。それも今はまだ、ままならないので。コロナがひと段落したら、日本ツアーのあとの夏休みは、家族でどこか島にでも行きたいですけどね」
生き方で大事にしていること
──今、生き方で大事にされているのはどんなことでしょうか?
「やっぱり仕事が好きですしね。仕事=僕の一番好きな音楽なので、音楽を作って、音楽を聴いてもらって、そのためのプロモーションも、今はすごく楽しい。いろいろ楽しめるのは集中力が出てきた証拠だと思うんですけどね。
何を大切にしているかというと、昔から、よくON/OFFの切り替えとは言ってたけど、それって本当に大事なことで。今言ったように集中力がやっと発揮できる年代なのか、キャリアなのか、今の自分の充実感っていうのは、そこだと思うんですね。必要以上に頑張らないから、必要以上に疲れないし、それで集中するときはガチっとやる。それは、人に点数をつけてほしいんじゃなくて、自分の中の100点にいかに近づけるかという自分の中での戦いなんです。それに尽きますかね」
──これからチャレンジしたい夢は?
「そこはゴールではないのかもしれないけど、その言葉が僕をずっと動かし続けているという意味では、やっぱりワールドツアーの成功ですね。それはライブハウスであろうと、どんな規模であろうと、ギターとともに世界を旅するという少年時代の夢は、いかなる形でも叶えたいなと思います」
──布袋さんの夢を諦めない原動力は何なのでしょうか?
「それはやっぱりCuriosity(キュリオシティ)。好奇心だと思いますね。何か事柄がひとつ結末を迎えたとき、その先に何があるんだろうって好奇心を持ったときには、もう一歩前に踏み出しますからね。それが一番だと思う」
(取材・文/井ノ口裕子)
《PROFILE》
ほてい・ともやす 1962年2月1日、群馬県高崎市出身。伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍し、1988年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。プロデューサー、作詞・作曲家としても才能を高く評価されており、クエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより、『BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)』が映画『KILL BILL』のテーマ曲となり世界的にも大きな評価を受ける。2012年よりイギリスへ移住。4度のロンドン公演を成功させるなど、世界的な活動を続けている。アーティスト活動歴40周年を迎えた2021年1月、日本武道館にて『HOTEI 40th ANNIVERSARY Live”Message from Budokan”』、無観客配信ライブ開催。同年8月24日には「東京2020パラリンピック」開会式にて、『TSUBASA』『HIKARI』の2曲を制作し出演。圧倒的なパフォーマンスを披露。9月から12月まで全国26公演の40周年ツアー『HOTEI 40th Anniversary~Double Fantasy Tour~“BLACK or WHITE ?”』を実施。2022年2月1日にリリースした20 thアルバム『Still Dreamin’』を携えた全国ツアー『HOTEI the LIVE 2022”Still Dreamin’ Tour”』の開催が決定。5月7日群馬・高崎芸術劇場よりスタートする。
『Still Dreamin’―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』
監督・脚本:石田雄介
制作:東北新社
配給:東宝 映像事業部
(c)2022「Still Dreamin」製作委員会
公開:2022年2月4日(金)〈2週間限定〉全国ロードショー