実に30年ぶりに、悲劇の皇太子が大劇場の舞台によみがえった。3月19日まで東京宝塚劇場で上演中の宝塚歌劇花組公演『うたかたの恋/ENCHANTEMENT(アンシャントマン)-華麗なる香水(パルファン)-』は、タカラヅカの超正統派な芝居とショーの2本立て。
白馬の王子様を体現したかのような男役の軍服姿と華やかな娘役のドレス姿。柚香光さん・星風まどかさんのトップコンビを中心に19世紀末のウィーンの、豪華絢爛ながら退廃的なミュージカルの模様を語りたい。
30年ぶりに大劇場で復活! 美貌の皇太子
19世紀末のオーストリア=ハンガリー帝国で起きた皇太子ルドルフの突然の心中事件を題材にした『うたかたの恋』。
初演は1982年で、当時人気絶頂の麻実れいさんと遥くららさんの雪組トップコンビにより上演。その後、何度も再演されてきたが、東西の本公演での上演は1993年の星組以来30年ぶり。全国ツアーでは公演期間も短く劇場のキャパシティも小さい。やはり本公演で生オケで見られれば……という長年のファンの願望がやっと叶(かな)ったというわけだ。
そのプロローグは、緞帳(どんちょう)が上がると大階段一面に敷かれた赤いカーペットに描かれたハプスブルク家の双頭の鷲の紋章。皇太子ルドルフ役の柚香光さんが、男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの星風まどかさんに優しく呼びかける。歌い継がれてきた主題歌のハーモニーを響かせながら大階段を下りてくるトップコンビ。「まるで1枚の完璧な絵のようだ!」との花組公演『ポーの一族』(2018年)で聴いた名台詞を連想させる美しさだ。
暗転すると、男役スターの水美舞斗さんを中心に男役と娘役がウィンナ・ワルツを踊り、華やかな宮廷舞踏会に。こうして観客は恍惚(こうこつ)としたまま、19世紀末のウィーンの世界に誘われていく。
マリーは「可憐な乙女」か? それとも……
再演が繰り返された名作ゆえに、多くの観客は結末を知っている。先に史実からネタばらしをしてしまうと1889年1月30日、当時30歳の帝国の皇太子ルドルフは、17歳の貴族令嬢マリー・ヴェッツェラと謎の死を遂げてしまう(マイヤーリンク事件)。状況だけを見れば心中事件なのだが、他殺説もあり真相は闇深い。事件を甘美な心中として描いたクロード・アネの小説を舞台化したのが数多の名作を生みだした昭和の宝塚の巨匠演出家、柴田侑宏氏。ゆえに間違いなく悲劇なのだが、衣装・音楽・キャストの美しさが悲劇性を際立たせている。
圧倒的な美貌とスタイルの柚香さんは、酒場で軍服の襟元をはだけた姿すら美しい。父帝フランツ・ヨーゼフとの対立、妻のステファニーとの不仲で自身と帝国の暗雲を予見する中で出会った、まだあどけなさの残るマリー。彼女の清新さに惹(ひ)かれつつ、2人の運命は狂っていく。
いわば、ルドルフにとってマリーは恋人というより、「ファム・ファタール(男を破滅させる運命の女)」でもあったのだ。そう考えると清純で娘役然とした星風さんのマリーの微笑(ほほえ)みも何やら意味ありげなものに思えてくる。無垢(むく)な少女ではなく、ルドルフを死に誘う魔性の存在にもなりうるのが、星風さんのスター性と表現力のなせる業であろう。
ルドルフとマリーに忍び寄る「死の影」
もうひとつ、劇中でギョッとするアイテムがルドルフの私室にある髑髏(どくろ)とピストル。髑髏といえば古来、西洋では死の象徴。ルドルフがすでに死に魅入られていることを暗示させるが、加えて美しい柚香さんが髑髏を手に取るシーンはクリムトの絵画を思わせる退廃的な魅力を放っている。
この、出会った初めから死の影がつきまとうルドルフとマリーのカップルに対して、対照的な雰囲気なのがルドルフの友人、ジャン・サルヴァドル大公(水美舞斗さん)と恋人ミリー(星空美咲さん)のカップル。古いしきたりを嫌うジャンは平民のミリーを恋人に選び、自由奔放な2人はルドルフが夢見た新しい時代の象徴のようだ。
それにしても、『エリザベート』のルドルフ、『はいからさんが通る』の伊集院少尉、そして『うたかたの恋』と柚香さんはどうしてこんなに軍服が似合うのか!
若き恋人にのしかかる「歴史の残酷さ」を思わずにいられない
舞台で展開されるビジュアルはこの世のものとは思えず、もはや本当に同じ人間が演じているのですか? と心酔してしまうのだが、今回の花組版は現代ならではの視点で「歴史の残酷さ」を伝え、舞台の悲劇性を高めている。
史実では、皇太子のルドルフが死んでしまったことでハプスブルク家の皇位継承者の地位がフランツ・フェルディナンド大公に移るが、その大公も帝冠を抱くことなく1914年にサラエボで妻とともに凶弾に斃(たお)れてしまう。サラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦が、700年間続いたハプスブルク帝国を滅ぼしたことを想起すれば、ルドルフの死は帝国の「終わりの始まり」でもあった。
この歴史を踏まえてか、永久輝せあさん演じるフェルディナンド大公の役の比重が過去より大きくなり、サラエボで運命をともにするソフィー・ホテク(美羽愛さん)との淡い恋の模様も描かれている。まだこのときは帝国を継ぐ立場にない永久輝さんの大公も、宮廷の格式に縛られず下級貴族のソフィーとの恋を成就させようとしていて、ジャンとミリーのカップル同様若々しく、前途も明るく映る。
身分違いのカップルに訪れる哀しい結末
しかし、現代に生きる観客はマイヤーリンク事件の後、このカップルと帝国に何が起きたかを知っている。ゆえに、フェルディナンド大公とソフィーのカップルにも悲劇が待っているのだ。さらに、劇中でジャンのモデルになった実在のヨハン・サルヴァドル大公も、ルドルフの死後に皇籍を離脱して恋人と大西洋の探検航海に出るが、船が遭難して行方不明に。ルドルフの死の翌年、1890年のことだったと伝わっている。
黄昏(たそがれ)のハプスブルクの軛(くびき)から逃れられなかったルドルフと違い、新しい時代の象徴のようだったジャンとミリー、フェルディナンドとソフィーの2組のカップルも、史実の結末は哀しい。
「戦争は他家にまかせておけ。幸運なオーストリアは結婚せよ」──この名言が伝わるように、ハプスブルク家は政略結婚で領土を拡大してきた王朝。それが世界大戦で滅び、若き皇族たちの身分違いの恋も実らなかったというのは皮肉なものだ。
もっとも、ルドルフとマリーは劇中でも同じ死に場所を得たし、ほか2組のカップルもどちらかが先立たれることなく、運命をともにしたと思うと当人たちにとっては必ずしも悲劇ではなかったかもしれない。
初演から40年を経ているだけに古めかしい作品でもあるのだが、花組版の演出を担当した小柳奈穂子さんの新しい脚色で、生き残ったカップルと帝国にも死の影がつきまとう。前出の髑髏が象徴する「メメント・モリ」──いつか訪れる死を忘れるな、のメッセージはこのラブロマンスに一抹の無常観をももたらしてくれる。
柚香・水美の花組生え抜きコンビは見納め。軍服の次はスーツで色気発揮
美しくも悲しい芝居の感傷を吹き飛ばすショーは『ENCHANTEMENT(アンシャントマン)-華麗なる香水(パルファン)-』。タイトルはフランス語で香水の意味。香水をテーマに、花組らしさにあふれたショーだ。
ひと口に宝塚といっても5つの組にそれぞれ組の雰囲気があり、いちばん古い花組はいわば“超正統派”。男役の美学をキザに追求し、ダンスが得意なスターを輩出したことから洗練されたダンスにもこだわりを持っている。ゆえにザ・宝塚──黒燕尾やスーツでキザる男役を堪能したいならうってつけだ。ましてトップスターの柚香さん、2番手の水美さんがともに生粋の花組育ちで、それが舞台にプラスアルファの熱気を生み出している。
そして、演出の野口幸作さんは筆者が今もっとも推している演出家。宝塚らしい大人数での豪華なショーを楽しみたければまずこの人のショーを見ろ! と力説する。なのでお芝居の美しさだけで燃え尽きてしまわないように。
先ほど柚香さんの軍服姿の美しさを熱弁してしまったばかりだが、この人はスーツも朝飯前に着こなしてしまう。またこの公演を最後に水美さんが専科に異動するので、柚香さんと水美さんの「れいまい」コンビはいったん見納めになる。とりわけ中詰めの後の第7章「Musk」の場面は、花組ファンなら2人の息の合ったダンスを目に焼きつけたくなるだろう。
芝居なら軍服、ショーはスーツに燕尾服と、男役の美麗さをたっぷり堪能できる3時間。布教にもぴったりの2本立てで、生観劇はもちろん、映像でも俗世を忘れて夢見心地になれる。
(取材・文/大宮高史)