今回は、異色の経歴を持ちながら「カルチャーの魅力を伝える」という共通のスタンスを持って活動する2組のクリエイターによる対談をお届けしたい。
まず1組目は、サブカル解説YouTuberの「おませちゃんブラザーズ」から、わるい本田、矢崎、池田ビッグベイビーの3人。2019年の結成以来、漫画や映画、音楽の魅力をパッションを持って紹介するスタイルで注目を集めている。
そしてもう1人が、ミュージシャン・作家のタカハシヒョウリ。ロックバンド・オワリカラのボーカリストとして活動しながら、独自の言葉で語られるカルチャー愛でコラム執筆やラジオでも活躍。近年は、特撮系のフィールドでの活動も多い。
そんな2組、実は同じ大学の音楽サークルの先輩と後輩という関係でもある。
対談Part1では、そんな2組の出会い、そしてマルチな現在地へとたどり着いた経緯を語ってもらった。
自分の言葉で伝えられるなら、フォーマットはなんでもいい
──タカハシヒョウリさんとおませちゃんブラザーズの本田さん・矢崎さんは、大学時代の先輩・後輩ということですが、まずは出会いから教えていただけますか?(編集担当)
わるい本田(以下、本田):大学で音楽サークルに入って、そこにタカハシさんがいたんですよ。バンドを最前線でバリバリやってて、めちゃくちゃかっこいい人って印象で。あの時、何年生だったんですか?
タカハシヒョウリ(以下、ヒョウリ):5年か、6年かな。なかなか人生で2回ないと言われる5、6年生。
実は、大学時代に本田たちと遊んだ記憶っていうのは、そこまでないんだよね。代も少し離れていたし、バンドを一緒にやったこともなくて。ちょうど間の代のトリプルファイヤー吉田とは仲良かったから、よく遊んでたけど。
矢崎:僕らにとっては、カリスマ化してて、気軽に話しには行けないような感じでしたよ。憧れてましたよ!
ヒョウリ:今も憧れてくれよ。
本田:絶対に朝の通勤電車には乗らないだろうな、この人は、っていうイメージがすごかったですね。みんなが乗ったとしても、この人は乗らないだろうっていう(笑)。
ヒョウリ:そんなわれわれをつないだのが、「マジック:ザ・ギャザリング(MtG)」っていうカードゲーム。2016年くらいに僕がMtGにハマった時に、本田と矢崎もMtGやってて……。
本田:タカハシさんがMtGやってるって聞いて、僕から連絡しましたね。
ヒョウリ:そこから、死ぬほど会うようになって、趣味も合うし、この人たち妙に頭いいし、面白いな!って。
で、本田がラジオの作家をやっていたので、番組に呼んでもらったり、一緒に企画を立てたりするようになったんだね。
矢崎:本田は、その頃からタカハシさんがバンド活動だけじゃなくて、カルチャー系の仕事もやってるっていうのは知ってたの?
本田:もちろん、書いてるものも読んでたし。僕は、タカハシさんがしゃべることを発信するのが生きがいだったんですよ。
一同:(笑)
本田:だって僕は、番組の勝負どころでタカハシさんを呼んでましたから。タカハシさんがしゃべってるのを編集してるのが一番楽しかったです。
ヒョウリ:たしかに、高橋みなみさんの番組に呼んでくれてね。今でこそラジオとか呼んでもらうけど、「オワリカラをやってるバンドマンとしてのタカハシヒョウリ」じゃなくて、「なんかしゃべってるのが楽しい人」っていうくくりで呼んでくれたのって、本田が本当に最初かも。
本田:めっちゃうれしい!
ヒョウリ:20代の頃は狂ったようにライブしてて、とにかくバンド活動が中心の人生だったんだけど、30代になったあたりで事務所を辞めて……。というかソニー系で続けられるほど売れてなかったのでクビみたいなもんなんだけど。それでメンバーの環境の変化もあって、ちょっと立ち止まった時期だったと思う。
そのタイミングで、執筆とか、特撮関連のこととか誘ってもらって、「自分の好きなものを自分の言葉で伝えられるなら、どんなフォーマットでもやってみよう」ってモードになった時に、本田もラジオに誘ってくれた。
そんな感じで2人とは仲良くなったね。でも、池田のことは本当に知らない(笑)。
矢崎:いまだに知らないですよね(笑)。
ヒョウリ:池田のことを知るためにも、おませちゃんブラザーズ結成への経緯を聞きたいな。
「自分でメディアをやっちゃえばよくない?」苦悩の中で気づいたこと
ヒョウリ:まず、YouTubeを最初に始めたのは、矢崎だったよね。
矢崎:そうですね、音楽サークル出身で、最初になぜかYouTubeを始めたのが僕ですね。僕が大学を中退してWebの広告代理店に勤めていた時に、その会社の中で始めたのがラーメンYouTuberの「SUSURU TV.」なんです。SUSURUも同じサークルで、僕らのさらに下の後輩なんです。だから、最初は会社の中の事業として始めたんですよ。
本田:SUSURU TV.に関しては、挫折したことがないんでしょ?
矢崎:挫折っていうのはないね。 SUSURUも最初のほうはいろいろ大変でしたけど、わりとすぐに軌道に乗りました。なんなら、スタートして1か月くらいで手応えは感じてたかな。
ヒョウリ:矢崎がYouTubeで成功してるっていうのは知ってたけど、昨年SUSURU TV.にキアヌ・リーブスが出てて、とんでもないなと(笑)。もうわけわからなくて、感動したよ。
矢崎:そんな感じで、本田が放送作家をやっている頃には、もうYouTubeを始めてましたね。
ヒョウリ:それで、次は本田がYouTubeを始めるわけか。でも、本田は放送作家として面白かったと思ってるし、YouTuberになるとは思ってなかったんだよね。
本田:僕は、ラジオの番組制作会社に入って放送作家を6年やったんです。4年くらい下積みして、ラスト1年くらいで本格的に作家になったんですけど、キツすぎて……!
まず給料がめちゃくちゃ安かったんです。最初、給料7万円スタートだったんですよ。
矢崎:法的にダメでしょ(笑)。
本田:それでカードゲーム屋でバイトしながらギリギリ生活してたんです。ある時、バイトで作家の仕事に入れないことがあったんですけど、そしたらブチギレられて。それで、「給料いくらだったらバイトやめられるんだよ?」って聞かれたんですけど、なんか僕の金銭感覚がおかしくて「10万円です」って答えちゃったんですよ(笑)。それで、月10万円の地獄のような生活が始まっちゃって……。
ヒョウリ:それが、よく遊ぶようになった頃の本田だね。極貧で、出たカードを売ってご飯を食べてた。
本田:ただ、番組を作ることは好きだったし、作家になったら給料も17万円くらいまで上がって、やっとまともになったんですけど、そしたら別のキツさが出てきて……。
激務に加えて、数字のプレッシャーとか人間関係もあって、その頃に「どこかに属している必要ってあるのか?」と思い始めて。「自分でメディアをやっちゃえばよくない?」って思ったんですよね。
たとえば、タカハシさんと「サブカル分かれ道」っていう番組をやった時とか、「これ、別に自分たちだけでもできるな」って思ったんですよね。むしろ、この番組をYouTubeでやったほうが、もっとアクセスしやすいし、自由に制約なくできるじゃんって。
そんなことを考えてた時に、ちょうど池田も仕事で悩んでたんです。
ヒョウリ:ここで、やっと! 池田の登場!
サブカル解説YouTuber「おませちゃんブラザーズ」は、放課後の延長
池田ビッグベイビー(以下、池田):僕は、矢崎と中学・高校の同級生で、大学時代に矢崎の紹介で本田と知り合ったんです。タカハシさんと知り合ったのは最近ですけど、実は大学時代にオワリカラのキーボードのカメダタクさんと同じサークルだったんですよ。だから、オワリカラもタカハシさんのことも知ってたんです。
僕もバンドをやっていたんですけど、卒業のタイミングで夢を追ってフリーターとしてがんばっていくのかってなった時に、僕は就職して土日は音楽に集中するっていうのを選びました。
だから、仕事も「土日にバンドができるか」っていう基準だけで選んだんです。それで、CMの制作会社の総務に入ったんです。理由は、制作会社って東京からの転勤がないし、事務系の仕事なら土日も休みだろう、と思って。
ヒョウリ:すごい考えてたんだね、すごいな。
池田:仕事自体は全然向いてなかったんですけど、がんばって。でも、しばらくして喧嘩とかあってバンドが解散しちゃったんですよね。それで、その仕事を続ける意味もないし、もっと自分を生かせる仕事がないかなって思って、M-1出たり、キングオブコント出たりしたんですけど、うまくいかなくて。それで本田に相談したんです。
ヒョウリ:ちょっと聞いてみたいんだけど、矢崎たちもバンド「スライディングが普通の歩き方」をやっていて注目され始めてたよね。池田もリリースとかツアーとかしてたし、本格的に音楽だけでやっていこうっていう気持ちはなかった?
矢崎:それはなかったですね。そもそもスライディングは、遊びでやっていこうって組んだバンドだし、バンド一本でやっていくっていうのは無理だと思ってました。
池田:バンドメンバーがみんな就職したっていうのもあるんですけど、やってるうちにお金じゃなくて好きなことやっていこうっていう考え方になってましたね。
ヒョウリ:僕は、20代はバンドと音楽をすべての中心にしていて、今から見ると不器用とも言えるスタイルを選んでいたんだけど、そういう「バンドロマン」みたいなものって自分がギリギリ最後くらいの世代だという感じはあるんだよね。
そのあとに大きな価値の変換が起きたって思ってるんだけど、本田たちからは柔軟さを感じて刺激を受けるんだよね。
で、池田が本田に相談してYouTubeを始めることになった?
本田:YouTubeを始める時、自分は裏方でやろうかなって思ってたんですよね。だから表に出る役で面白い人が欲しくて。池田は、僕の身の回りにいる中で一番面白いうちの1人だったんですよ。僕は、トリプルファイヤーの吉田さんか、池田と一緒にやりたくて。
ちょうどそのタイミングで池田から相談されて、友達としても一緒に抜け出したかったし。それで、一緒にYouTubeを始めました。
ヒョウリ:最初は、矢崎はいなくて、池田を前に出した架空ドキュメンタリーみたいなことやってたよね。YouTubeで、どういうことをやるかっていうイメージはあったの?
本田:全然ないっす。フェイクドキュメンタリー作ったり、下手なハイパーヨーヨーやったり(笑)、わけわかんないことして迷走してました。僕と池田2人だと、暴走しちゃうんですよね。
池田:矢崎には前からYouTubeの相談をしていたんですけど、自分たちの中で3人だとバランスいいなって思ったんですよね。その時にちょうど矢崎も「俺も入りたい」って言ってくれて。
その時に矢崎に言われたのが、「無名の人たちが突然YouTubeやっても、誰だよ?ってなるだけだから、みんなが知ってるものを介して知ってもらわないといけない」ってことなんです。
それで、自分たちの世代の「平成の懐かしいもの」を扱うっていうのを始めたんです。
それで…………、変わったね?
ヒョウリ:なんなの、その間(笑)。
本田:それで、カルチャーを語るっていうスタイルが、自分たち的にも興味を持っていたし、これなら続けられるし、いいねってなって。
ヒョウリ:矢崎は、SUSURU TV.で忙しいと思うんだけど、おませちゃんに参加したのはなんでなの?
本田:友達感が強かったんで、「2人が旅行に行くなら、俺も行きたい、仲間外れにされたくない」って感覚だと思います。
矢崎:そうだね、その乗っかりだね。
ヒョウリ:だから、放課後の延長だよね。自分も含めて、高校の放課後とか、大学のサークルで話してた時間の延長を生きてるって感じ。僕らは、大学の「文カフェ」っていうカフェテラスに集まって、くだらない話とか、音楽の話とかしていたんだけど、あの文カフェの時間が、いつの間にか仕事っぽくなったようなところはある。大人になったつもりだったけど、気づいたら仮想の文カフェにいるような……。
本田:あの「文カフェ」を再現したいっていう気持ちはめっちゃありますね。音楽にめっちゃ詳しい先輩とかいて、聞いていて全然わからないんだけど、面白い、知りたいっていう、ああいう時間をネットで体験してほしいっていうのはありますね。
ヒョウリ:おませちゃんは、「ナードだけどポップ」っていうのがいいと思うんだよね。海外だと、ナードなゲーム配信者なんだけど、めっちゃカルチャースターっていう人がいるじゃない。日本だと「オタクはオタク」っていう閉じた構造になりがちだけど、おませちゃんにはポップさがある。それは、その友達感、文カフェ感なのかもしれないな。
対談Part2では、それぞれが考える「カルチャーの魅力の伝え方」などを語ってもらいます!
(構成/タカハシヒョウリ、編集/福アニー)
【Profile】
●タカハシヒョウリ
ミュージシャン・作家。ロックバンド「オワリカラ」のボーカル・ギター、作詞作曲家。さまざまなカルチャーへの偏愛と造詣から、コラム寄稿、番組・イベント出演など多数。
●おませちゃんブラザーズ
ニッチでおませなサブカルチャーを紹介するYouTubeチャンネル。クラスで2~3人しか知らない映画や音楽、漫画をわかりやすく伝える。