最新刊『スマホを置いて旅したら』(大和書房)で、スマホなしの旅路を綴ったタレント・ふかわりょうさん。インタビュー前編では、スマホを手放した代わりにどんな収穫があったか率直な思いを語ってもらいました。後編では旅行観、コミュニケーションスタイルにも焦点を当て、ふかわさんの源泉に迫ります!
五線譜に書き留められない音に惹かれる理由
──後編では、まずふかわさんの旅行観をお聞きできれば。普段、旅に出るときはテーマを決めることが多いですか?
テーマというより「この温泉に入る」みたいに目的を決めることが多いかな。どんな気分になりたいかも重要です。基本的にのんびり過ごしたいので、観光名所を次々に巡るような旅はあんまりしません。
今回は「スマホなしで旅に出たらどうなるんだろう」という実感に焦点を絞りたかったので、奇をてらうことなくスタンダードな旅程にしました。「スマホがないだけで、こうも感じ方や見えてくるものが変わるのか」というのを感じ取りたかったんです。
──数ある旅行先の中で、岐阜県美濃地方の「水琴窟」を聞きに行こうと思った理由を教えてください。
水琴窟って、水が跳ねて響く音が心地いいんですよね。きっと、水琴窟は五線譜に書き留められない音を奏でているからなのだろうと。
「やっと、会えた」
それは、松の木の根元にありました。大きな岩に囲まれて、ひとつだけ苔むした手水鉢に、鹿威(ししおど)しのような竹筒が斜めに立てかけられています。柄杓が横たわり、下には赤みを帯びた不揃いの玉石が敷き詰められています。
手水鉢に溜まった水を柄杓で流すと、ぴしゃんと音をたてながら、玉石たちが濡れて光沢を帯びていきます。そして、聞こえてきました。ちんちんちんと、涼しげな音色。これです。この音を私は聴きに来たのです。これが、旅の目的のひとつ。美濃にやって来た理由。
「この音だ」
それは「水琴窟(すいきんくつ)」と呼ばれる、江戸時代に庭園に設置された音響装置。水の琴。全国各地に点在しています。
水滴が、地中に埋められた甕(かめ)の中を跳ねて、琴のような音色を響かせています。手を洗った時に流れる水を利用して音を鳴らそうという発想もさることながら、ネーミングも素晴らしい。水琴窟。これ以上しっくりくる表現があるでしょうか。
『スマホを置いて旅したら』より
僕の中では、スマホが手放せない社会と五線譜が重なっていて。それで以前から気になっていた水琴窟の音を聞きに行こうと思ったんです。スマホを置いて出かける旅先としてちょうどいいんじゃないかって。
水琴窟は東京にもあるんですが、岐阜には数多く点在している。巡るにはぴったりの場所だと判断しました。
──水琴窟を目的としながらも、美濃和紙の紙漉(す)き体験や地元の方とスナックに繰り出すなど、現地での出会いや交流を大切にしていらっしゃる様子もうかがえました。事前に計画した目的と気持ちの向くまま行動することのバランスについて、どう考えていらっしゃいますか?
スマホの中にあるアルゴリズムに引っ張られず、その時々で気の向くまま出会った人に牽引されるのが心地よかったです。道草をたくさん食べ、寄り道をたくさんしたい。巻末に旅のしおりを載せましたが、これはプランではなく、結果的に立ち寄ったところ。ほとんどその場の思いつきなので、ほぼなりゆきに任せた旅といえるんじゃないかな。
スマホなし生活は無理にチャレンジすることでもない
──私は時間の余白を予定で埋めたくなってしまうので、その場の流れで動く旅に憧れます。ただ、そういうタイプの人間は同時に「スマホを置いた旅」にハードルの高さを感じてしまうのですが……手始めにやるとしたら、どんなことがいいですか?
この作品でも、スマホなし旅の前に「予行演習」をしていますが……よく言われるのは「寝室にスマホを置かない」ですよね。さらにやるなら散歩や近所のカフェでお茶するときにスマホを持って行かない、あたりでしょうか。
最近はスマホ決済できる店も増えていますし、持ち歩くことは「悪」じゃない。だから、手放すことをすすめているわけではなく、この作品も「スマホを置いて旅したら、僕はこういう体験をしました」という報告でしかありません。
──それでもきっと、やってみたいと感じている人はいるんじゃないかな。
そういえば旅先で出会った人たちに「スマホを持たずに旅しているんです」とお伝えしたときの反応が、わりとポジティブだったんですよね。みなさん、心のどこかでモヤモヤしている思いがあるのかもしれません。でも無理にチャレンジすることでもないんじゃないかな。
──スマホを置いた旅を実践することで、あらかじめふかわさんの中で「こういう収穫が得られるんだろうな」という予想があったと思うんですが……それを超えてどんな豊かさに出会えましたか?
和紙の素晴らしさ。これに尽きます。
──「書き心地が素晴らしい」と本作の中でおっしゃっていましたよね。
想定外の魅力でした。「こんなにも素晴らしいものなんだ!」って感動しました。PCやスマホで文字を打つ習慣があるからこそ、宿で記帳するときのインクが染み込む様子にぞわぞわっとしました。人間ってそういうアナログな感触をキャッチできるじゃないですか。バシバシ刺激されました。
──日常に戻っても、和紙を生活の中に取り入れているんですか?
おみやげをたくさん買ってきたのと、書籍の扉に和紙を使いました。あとやっぱり住むなら障子があるような和室の部屋がいい、とも。和紙に囲まれる空間が必要だなって。和紙を見ているだけで酒の肴になるんですよ。
──えー! つまみになります?(爆笑)
(即答して)なりますよ! 和紙を見ながらお酒を楽しめるくらい、虜(とりこ)になりましたね。触り心地もいいし、見ているだけで心が和んで落ち着くんですよ。和食屋さんでも和紙の上に料理が載っているほうが日本酒もおいしく感じる気がして。こんなに和紙の魅力に取り憑かれることは予想していなかったですね。思わず紙漉き体験に向かったほどですから。もう「和紙熱」が収まらなくて(笑)。
自己完結しないオープンマインドが、外との関わりを生む
──本作を拝読して、ふかわさんのコミュニケーションスタイルが気になりました。初対面の相手(特にスナックをご一緒したおじさん)と一定の距離を保ちながらもいつの間にか懐へ入って仲良くなるのが、ふかわさんの不思議な魅力だな、と。普段どんなことを大切にしながら、他者と接していらっしゃるのですか?
(しばらく考えて)どうだろう、入れてもらえない懐のほうが多い気がしますけどね。むしろコミュニケーション下手だと思います。
ただ海外を含めて、一人で旅することは多いんですよね。特に海外ではタレントとして知られていないこともあって、一人の旅人として向き合ってくださるわけで。そういうところではオープンマインドになっているのかもしれません。今回もスマホを持たないことで、そういう気持ちに押し上げてくれたのかな。
トラブルがあってもスマホで調べて検索すれば、自己完結じゃないですか。でもスマホがないことによって外とのかかわりに意識が向きます。台風で岐阜に入るまでの鉄路が名古屋駅で絶たれたときも、駅のアナウンスに耳を傾け駅係員に尋ねることで、バスで向かえることを知り。「自己完結しない」って姿勢が、外とのつながりになっていくんじゃないでしょうか。
──それは旅先だけでなく、普段の日常生活でも心がけていることですか? タモリさん、内村光良さん、有吉弘行さん、マツコ・デラックスさんといった芸能界のお歴々から、ふかわさんが愛されているのを感じるので。
いやいや、普段はまったくそんなこと意識していないですね。仕事上で出会った方は、たまたま相性がよかっただけ。何か特別なことをしているように見えているのかもしれないけど、僕を受けつけない方もたくさんいらっしゃるので。
──そうですかね? でも過去の著作を拝読すると「世の中とご自身の隔たり」をいたるところに感じていらっしゃる様子がうかがえます。そんなふかわさんならではの着眼点を生かしながら、今後どのような活動や仕事をしたいと感じていらっしゃいますか?
視点というほどでもないんですが、やっぱり日常なんですよね。暮らしのささやかなところに人が感じ取れる豊かさは潜んでいると思うので、基本的にはそういったことを引き続き見つめていたいです。アイスランドの旅行記にしても、激しいアクシデントやドラマがあったわけじゃない。出会った人との会話や育んだ関係性に、一瞬の輝きを感じるので。
たぶん、そういう人間なんですよ。そういったことにアンテナが反応するので、引っかかったものを宝箱に詰めてしまう(笑)。
根底には「生きているって素晴らしいはずなのに、どうしてそれを実感する局面が少ないんだろう?」「何十億年という歴史の中で、いま同時に生きている人たちがどうして争うんだろう?」という思いがあるんです。
もしかするとスマホを手放すことで人生の優先順位や景色が変わるんじゃないか。そうすれば日常、もっと言えば生きていることは素晴らしいと感じられるんじゃないか──。それを確かめたくて、活動している気がします。
(取材・文/岡山朋代、編集/福アニー、撮影/junko)
【Information】
●書籍『スマホを置いて旅したら』(ふかわりょう著、大和書房刊)
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