柔道の名門・国士館中学・高校の柔道部で鍛え、その後、大手の建材会社でトップの営業マンとして活躍。さらに、妻の実家が営む会社でも1年で年商を3億円アップさせ営業本部長になるなど、順風満帆な人生を送っていた「ミンナのミカタぐるーぷ」代表の兼子文晴氏(42)。しかし突然、義理の父である社長から「倉庫番」を命じられるというドラマのような嫌がらせを受け、うつに。一時は自殺すら考えたものの、すがる思いで心療内科を受診し、投薬治療により布団から起き上がれるようになってきた。そんなとき、今後の人生を大きく左右する出会いがあった──。
(兼子氏が営業の才能に目覚め会社で会社で活躍し続けたあと、転職し、うつになってしまうまでの道のりはインタビュー第1弾でお聞きしました:国士館柔道部で優勝、建材大手で売り上げ1位、順風満帆な元営業マンが職を失い「うつ」になってしまった理由)
「日本一になりたい」という夢を再び掲げ、起業へ
ほぼ寝たきりの状態から、少しずつ動けるようになった兼子氏は、主治医から就労継続支援A型事業所を紹介される。就労継続支援A型とは、一般就労が難しい障がいや難病のある方が、雇用契約を結んだ上で一定の支援がある職場で働くことができる福祉サービスだ。
「そろそろ仕事を探してみよう……と思っていたタイミングで、ひとつの候補として“こういう場所があるから見学に行ってみたら”と紹介されました。実際に訪れると、今まで自分がイメージしていたものと異なっていて驚きましたね。
障がい者の就労継続支援施設は、『24時間テレビ』で見るような、車いすやダウン症など見た目ですぐに、“障がいを持っている方だ”とわかるような人ばかりが働いている場所だと想像していました。しかし、特にA型の事業所は軽度な障がいを持った人が多いこともあり、パッと見では誰がどんな障がいを持っているのか、まったくわからないんです。かろうじて、“名札をかけている人がスタッフなのかな?”とわかるくらい」
就労継続支援事業所のイメージが変わった兼子氏だったが、その現状を調べて驚いたという。当時住んでいた栃木県鹿沼市には約4000人もの障がいを持った人がいたにも関わらず、就労継続支援A型事業所は、たった1か所しかないことがわかったのだ。
「事業所の定員は25人ほどです。ぜんぜん足りていないという現状に驚きました。鹿沼市だけでなく全国で考えても、800万人もの障がいを持った人がいるのに、その数が足りていないのではないか……そんな課題を感じたときに、“この現状を自分がなんとかしたい”と力がわいてきました。そうすることで日本一を目指せるのではないかと、再び学生時代からの《日本一になりたい》という夢が復活してきたんです」
とはいえ当時はまだ、うつで投薬中。1日に3~4時間程度しか活動することはできない状態だった。そんな中でも事業計画を立て、資金繰りをし、なんとか会社を立ち上げた。起業経験はなかったものの、会社員時代に経営の様子を見たり、数字に関わる資料を作ったり、銀行の担当者と交渉していた経験が役に立ったのだ。
そうして立ち上げた会社では、就労継続支援A型事業所の運営を開始。少しずつ軌道に乗せていく中で、関わりを持った障がいを持つ人たちと話すことが楽しく、そのことが、うつからの回復に大きな影響を与えたという。
「気づいたら病院に通わなくてもいいくらいに回復していました。みなさんと笑い合っているうちによくなったんです。やはり、人と話すことが自分は好きだったんだと気づきました。
元気になったこともあり、さらに会社を拡大すべく、『日本から障がい者という言葉と概念をなくす』というミッションを掲げ、就労継続支援B型事業所(※)や、グループホームの運営も始めました」
(※障がいや難病があり、年齢や体力などの理由から企業等で雇用契約を結んで働くことが困難な方が、軽作業などの就労訓練を行うことができる福祉サービス)
突然パニック障害に、そして障がい者手帳を取得
うつから回復し、会社も拡大していくなど順調に進んでいるように思えたが、起業して6年目に事件が起きる。
「さらに事業を大きくすべく、VC(※1)が行う『インパクト投資』(※2)で1億円の資金調達を目指していたときのことです。7500万円を出資してくれるという企業が現れて、さらに、とある地方銀行のビジネスプランコンテストで評価されたことから9500万円の出資をしてもらえるチャンスもあって、どちらかを選ぶことになりました。金額が大きかったこと、そして地元の企業と連携をすることも大事だと感じたことから、後者の出資を受けることにしたのです」
(※1 ベンチャーキャピタル。ハイリターンを狙ってアグレッシブに投資する投資会社のこと)
(※2 慈善活動と利益獲得の2つを目標とする投資手法。経済的利益の追求と同時に、貧困や飢餓、差別、環境破壊といった社会問題の解決を目指すとことろに特徴がある)
資金を得られるめどがたったため事務所を借り、人員も増やして準備をしていたにもかかわらず、ある日その地方銀行は「融資は1000万円、出資は500万円までしかできない」と手のひらを返した。当然、すでに断ってしまった企業からの7500万円の出資も、今さら受けることはできなくなっていた。
「抗議や交渉を続けたものの、結果が覆ることはありませんでした。結局、資金が不足し、リストラせざるをえない事態となりました。事務所も解約し、大幅な経費削減も行いましたが、ぜんぜん足りなかった」
リストラにひどく心を痛めながら、毎日のように資金繰りに奔走する中、運転中に突然、過呼吸を起こしてしまう。
「初めてのことだったので何が起きたのかわからなくて。意識が遠のく中、たまたま見つけたコンビニに慌てて車を停めて駆け込んだら、店員さんから“過呼吸よ、それ”と言われ……。病院に行くと、いきなり発症したパニック障害によるものでした」
再び心療内科に通うことになり、そこで医師からの勧めもあって、障がい者手帳を取得することを決意した。障がい者手帳というと、どうしてもネガティブなイメージが先行するためか、取得したがらない人が多いのも現状だ。しかし、兼子氏は「取れるなら取ったほうがいいと思う」と話す。
「障がい者手帳を持っていることでマイナスに働くことはないと考えています。持っていないと就労支援施設に通えないですし、持っていることで助けられることも多いんです。さまざまな割引が効くというメリットもありますし、一般企業の障がい者雇用枠で働けるチャンスも増えます。また、障がい者手帳を持っていることで自分の状態を認めることにもつながり、障がいを受け入れて強く生きていける、という考え方もできるのではないでしょうか」
「障がい者社長」としてミンナに恩返しがしたい
一時は資金調達で苦労し、障がいも抱えたものの、出資してくれる企業が見つかり、現在は順調に資金調達が実現できている。
「最近、力を入れているのは『ミンナのシゴト』という、障がい者就労支援事業所に企業から受注した仕事を発注するマッチングサービス事業です。就労支援事業所は国からお金をもらう補助金ビジネスでもあるのですが、それに便乗する形だけのA型事業所が増えすぎてしまった背景もあり、あるときから国が法律を厳しくし、十分な売り上げを作ることができない事業所は閉業せざるを得なくなってしまいました。
事業所がなくなってしまったら、障がいを持った方々の仕事がなくなってしまいますし、何より、一緒に働く仲間が減ってしまいます。これは頑張りどきだと」
福祉関連の仕事に就く人の多くは営業が苦手、つまり、就労支援事業所で請け負うための仕事を取ってくることが苦手だという。一方で、兼子氏は営業を得意とする。
「これは自分の出番だ! と思って。自らどんどん営業をかけて企業からの仕事を受注し、それを全国のA型事業所にマッチングしています。仕事内容は例えば、名刺アプリへの入力作業や、自動運転・腹腔鏡手術などに使われるAI(人工知能)のアノテーション(機械学習のモデルとして正解のデータやラベルを作成すること)です。
AIってすべてが自動で行われるイメージがあるかもしれませんが、実は、最初は基本的に人力なんです。例えば、自動運転なら膨大なドライブレコーダーのデータをもとに、“これは人”、“これは車”、“これは信号”と映像とひもづける作業を人間がやっています。
また、名刺アプリには読み込んだ画像から名前や部署名をオペレーターが手打ちし、アプリに反映させていく仕組みがある。こうした作業を請け負う人材が必要とされているんですが、障がいを持った人の中には、これらの作業が得意な人もいます。名刺の入力作業は、私がやると4時間で400枚くらいが限界でした。でも、うちのスタッフは同じ時間で4000枚も入力ができる。すごい子だと9000枚、入力できる子もいるんです。対人関係が苦手で言葉はうまく話せなくても書くのが得意で、ライティングの才能があるスタッフもいて。そういう障がいを持った人は、たとえ平均的な仕事はできなくても、突出した能力がある人が多いんです。
障がい者=かわいそうな人、守らないといけない人……じゃなくて、能力のある人材だということを、これからもっと伝えていきたいですね」
自身も障がい者手帳を持つ身であるからこそ、気持ちがわかる部分もある。現在は通院しつつ、仕事の合間にプールでの運動や銭湯でのリラックス時間、朝は景色のいい場所でコーヒーを飲む時間を確保するなど体調と向き合いながら、社長業もこなしている兼子氏。「僕は障がいを持った彼らに出会わなかったら死んでいたかもしれない。彼らに生かされているんです。だから、これからの人生は彼らのために使いたい」という言葉が印象的だった。
兼子氏はこれからも、「日本から障がい者という言葉と概念をなくす」というミッションを支えに、うつにも障がいにも負けることなくパワフルに突き進んでいく。
(取材・文/松本果歩)
《INFORMATION》
兼子文晴(かねこ・ふみはる) ◎1979年生まれ、東京都大田区出身。国士舘中・高で柔道部に所属。国士舘大卒業後、建材大手の会社に入社。木材卸・加工販売会社を経て2013年、就労継続支援A型事業所を運営する「ミンナのミライ」を設立。その後、B型事業所を営む「ミンナのナカマ」も立ち上げ、2018年5月には「ミンナのシゴト」をスタート。現在はこれらの事業を束ねる「ミンナのミカタぐるーぷ」の代表を勤め、障がい者に寄り添った就労支援を行なっている。