1030
「1日1フム」生活。- フムフムニュース -
fumufumu news サイト休止のお知らせ
生き方

年商28億円、CELINE社長と対談、マイケル・ジャクソンと“マブダチ”。『セーラーズ』社長の全盛期がすごすぎる

SNSでの感想
ご自宅の玄関先にはセーラーズの希少な商品がいっぱい! カラフルな色味にときめきが止まらない 撮影/渡邉智裕
目次
  • レジにお札が入りきらず、ミカン箱に売上金を入れて管理
  • 令和にセーラーズ旋風、再び。『渋谷モディ』の売上更新
  • 30代で28億円のビルを購入。「今の若い子は夢がない」
  • マイケルジャクソンら世界中のセレブから愛されたブランド

 おニャン子クラブを始めとする80年代アイドルや海外のスターたちから愛されたアパレルブランド『SAILORS(セーラーズ)』。そのセーラーズを立ち上げたのが、三浦静加さん(69)。最盛期には目を見開くような売り上げを出した驚異のブランドですが、令和になってからもFANTASTICS from EXILE TRIBEや乃木坂46のメンバーがテレビ番組で着用し、再びブームになっています。

 セーラーズは2021年に、50周年を迎えました。昭和、平成、令和と3時代にわたって駆け抜けたセーラーズ大ブレイクの日々について、三浦さんにお聞きしました。(三浦さんの幼少期からセーラーズの黎明期までは第1弾で語っていただいています。記事:伝説のブランド『セーラーズ』三浦静加社長、おニャン子クラブへの衣装提供は「2回断っていた」

レジにお札が入りきらず、ミカン箱に売上金を入れて管理

──おニャン子クラブが番組で衣装を着用するようになった1985年には、渋谷のお店に毎日、長蛇の列ができるようになったそうですね。

「9坪ほどのお店でしたが、1日に2000人ほどいらしたので、混雑緩和のために整理券を配って、40人ずつ入店してもらっていたんです。入店時間を1人あたり15分、買い物は15万円までにしました。15分で40人分のレジを打つために、レジは値段を読み上げる人、打つ人、袋詰めの人の3人体制でやっていました。商品も出したそばから売れていくので忙しかったです」

──テレビのニュースで取り上げられるほどの社会現象になったと記憶しているのですが、実際には、どれくらい売り上げがあったのですか。

1日の最高売上額が3800万円で、年商は28億円ですね。お札ってかさばるから、180枚くらい集まると、すごい厚みが出るんです。レジのばねも開いちゃう。だから信用金庫の人が1日3回、3時間ごとに来てくれて、ミカン箱にお札を入れて銀行に持って行き、入金してくれていました

──信じられないような金額ですよね。

当時の28億円は、今の貨幣価値だと100億円に近いと思います。夜間金庫の中にも入らない金額なんですよ。家に帰ってから大量のお札を数えるのにもうんざりしていたから(笑)、自動で数える機械も証券会社から借りていました」

──当時は何人くらいで経営されていましたか?

「今も昔も、私ひとりです。商品管理から人材管理、商品のデザインを作るのまで、全部ひとりでやっています。最近も“大変だね”って言われるけれど、当時も今も大変とは思わないですね」

令和にセーラーズ旋風、再び。『渋谷モディ』の売上更新

──昨年、セーラーズ誕生50周年を記念した期間限定(2021年12月23〜27日)の店舗が『渋谷モディ』に登場し、徹夜組による行列もでき、話題になりましたね。

「あれはBASE(ベイス。オンラインのショッピングサイト)を使って販売している店舗のなかで、人気のあるショップということで選ばれたのです。4日間での売り上げは、モディ史上1位だそうです。でも、私からしたら、“この売り上げって、当時の数時間ぶんの額ですよ”って」

──(笑)。当時の勢いは本当にすごかったんですね。でも、そんなに人気があったのに、渋谷以外の店舗を作らなかった理由はあったのですか?

セーラーズの商品は、大量生産ではなくクオリティを重視しています。自分の息がかかった商品を作らないとダメになるって、わかっていたからです。今も当時のデザインを再現した商品を数量限定で販売していますが、“これ以上できない”ってほど、こだわって作っています」

モディでの店舗展開時の資料を開く三浦さん。「幅広い世代の方たちが来てくれてうれしかった」 撮影/渡邉智裕

──質も認められてか、セーラーズの商品は、30年以上前のものでも、フリマサイトで高額取引がなされていますよね。

以前、『CELINE』の女社長と対談したことがあったんです。そこにセーラーズのトレーナーを持って行った。すると、彼女はパッと裏返して、“すてきね。このクオリティを維持すれば成功するから”って言われたんです。“成功しているから、今こうやって対談できているんです”って思ったんですけれど(笑)。改めて、こだわりを大事にしなければならないって思いました」

──モディでの一件が話題にもなったと思うのですが、ほかでも出店してほしいという依頼があったのではないですか?

「たくさんありましたよ。でも全部、無理だって言って断っています。本当に、モディのときが大変でしたからね。素人がやっているから、接客のオペレーションがうまく回せなくて。『SAILORS FAN CLUB』(Facebookを中心に活動している会員制コミュニティ)の人たちからも、情報不足で叩かれました。伝票を書きながらお客さんと写真を撮ったりもするので、食事する暇もなかったですね。トイレに行くのも1日に1回とかでしたよ

読み込み中
LINE Twitter facebook hatena pocket copy