かつて、日本テレビ系で毎年、数週間にわたって放送されていた人気番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下、ウルトラクイズ)。
国内予選を勝ち抜いた一般視聴者である挑戦者をアメリカへ連れて行き、チェックポイントごとにクイズで競って1人~2人ずつ帰国させ、最後はニューヨークで決勝を行うという壮大な番組です。
私は就職して1年目の1986年に行われた第10回ウルトラクイズで、運よく決勝まで行かせていただきました。
以前に、このfumufumu newsでウルトラクイズの「罰ゲームの謎」について書かせていただきましたが、(記事:伝説の『アメリカ横断ウルトラクイズ』、砂漠を歩いて帰るなど、罰ゲームの“裏側”)、今回は、裏話の第2弾。現地での、クイズの本番収録に関する謎について。
収録に使う機材は全部で4トン!
ウルトラクイズの旅のあいだ、クイズの収録が行われたのは2~3日に一度というペースでした。
なにしろ広大なアメリカ大陸。次のチェックポイントへの移動は、ごく一部のバス移動以外は、ほとんどが飛行機での移動です。
クイズの本番が終わったら、その足でホテルに一泊。翌日は午前中から空港に向かい、次の都市へフライトして、空港からそのままホテルへ……。移動時間と、現地でスタッフがクイズを収録するための準備時間などを考えると、どうしても本番は2~3日に一度になってしまうのですね。
クイズの収録場所へは、ホテルからバスで向かいます。
チャレンジャー用とスタッフ用で、大型バスが2台。
スタッフとチャレンジャーのバスを分けるのは、スタッフとチャレンジャーが仲良くなってしまうと、それが画面を通して視聴者に伝わってしまうので、それを避けるため。
そして、大型バスの理由は、撮影のための機材が大量だからです。
なにしろ、聞くところによると、テレビカメラや解答席など、本番に使う機材は全部で約4トンだとか。チャレンジャーの人数が少なくなっても、バスの床下部分の荷台でその機材を運ばなければならないため、どうしても大型バスが2台必要なのです。
ちなみに、運ぶ機材はほとんどがジュラルミンケース。バスからの積み出しのときに一度だけ持たせてもらったことがありますが、ものすごい重さでした。
あの大量の機材を本番のたびにバスへ積み込むスタッフのみなさんは、本当に重労働だったと思います。
収録場所の近くで数時間待ち
クイズの収録がある日。バスでクイズ会場の近くに着いたチャレンジャーたちは、クイズの収録場所から少し離れたところで待機します。
クイズがどんなルールで行われるかは、本番までチャレンジャーには秘密なので、そのヒントになってしまう収録セットが見えないところで、本番が始まるまで待つのです。
この時間がとにかく長かった。
収録場所ではスタッフたちによる入念な用意とリハーサルが行われていましたから、チャレンジャーは、何もない場所で2~3時間くらい待たされるのはざらだったのです。
負ければ即、帰国というプレッシャーのなか、いつまで待っても本番がはじまらず、この待ち時間に精神的に参ってしまうチャレンジャーもいたと聞きます(ちなみに私は緊張から、冗談を言いまくっていました)。
待機場所でずっと待っていると、やがて、スタッフが呼びにきてくれます。
そこからクイズの収録場所までは歩いて移動。その移動の際、チャレンジャーは全員、目隠しをさせられました。
なぜ、目隠しをさせられたのか?
目隠しをしたチャレンジャーは、スタッフに手を引かれて収録場所に向かいます。
解答席に座るときも、手を引いてくれているスタッフから「ここがイスです。気をつけて」なんて言われて座ります。
解答席に座ったあとも、本番が始まるまでは目隠しのまま。
やっと「目隠しを外してください」と声がかかって外してみると、間髪を入れずに本番がスタートするのです。
なぜ、わざわざ目隠しをするかというと、そのチェックポイントでどんなクイズが行われるか、本番開始までわからないようにするためです。
例えば、もし目隠しをしないでクイズの収録場所に行ったとき、解答席に早押し機が乗っていたら、「これから早押しクイズなんだな」とわかってしまいます。解答席に早押しボタンがなくて、スケッチブックとペンが置かれていたら、「書き取りクイズなんだな」ってわかってしまいますよね。
各チェックポイントでのルールは、本番がスタートして、司会の福留功男さんがルール説明をしたときに、はじめて明かされる。
スタッフは、そのルールを聞いて、「えーっ!」なんて一喜一憂するチャレンジャーの表情を撮りたいのです。
私はスタッフから直接、「ウルトラクイズはクイズ番組ではなく、人間ドキュメンタリーだと思って作っている」と聞いたことがあります。
事前にクイズのルールを教えず、チャレンジャーたちの「素の表情」をカメラに収める。
そんな、細やかなこだわりにも、ウルトラクイズがたくさんの人たちを夢中にさせた魅力の一端があったのではないかと思うのです。
(文/西沢泰生)