『らんまん』第23週、万太郎(神木隆之介)は虎鉄(濱田龍臣)を伴い、東北へ植物採集に行った。2か月後に帰宅してからは、寿恵子(浜辺美波)が渋谷で開店する待合茶屋を応援、末っ子の千鶴をおぶって部屋の掃除をし、庭に木を植えることを提案した。と、書いたけれど、実のところ今週の万太郎、かなり存在感が薄めだった。
理由はわかっている。最終回まで残り3週、ここから万太郎の「図鑑出版」への猛ダッシュが始まる。それを前にとりあえず万太郎はさておいて、最終回へ向けての布石を打つ。そういう週だったのだと思う。
図鑑出版へ向けて打たれた布石は、アルミニウム印刷機だ。図鑑の成功の最終兵器になると、見ている全員が思ったはずだ。
まずは、東京に竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)が出てきた。綾と寿恵子が万太郎について語る。そこで寿恵子が、石板印刷では図版を大量に刷れないと訴える。ややあって、野宮(亀田佳明)が万太郎の家を尋ねてくる。彼が語ったのが、西洋で発明されたアルミニウムの印刷機。筆遣いそのままに版下が作れて大量に刷れる、と。
同時進行で、寿恵子のビジネスの手腕が描かれた。千鶴を出産後、渋谷に通っては現地の長所を把握、キーパーソンに声をかけて協力を取りつけ、万全の態勢で開業する。途中、万太郎へのプレゼンでは「この街はきっと唯一無二の街になります」と宣言する。「先見の明」ありまくりの寿恵子だが、このビジネスの目標が店の成功にとどまらないのは言うまでもない。アルミニウムの印刷機は「2000円? 5000円?」と万太郎に問う。買う気満々の寿恵子のビジネスモデルは、外食産業の成功→印刷業への設備投資→出版ビジネスの成功。明治の出版プロデューサーなのだ。
藤丸の一人語りと、意気投合した綾と竹雄の関係に泣ける
最終回に向けての筋道は見えた。問題は、万太郎がどう動くかだ。実はこれも見えている。私の想像では、たぶん何もしない。十徳長屋で標本を整理していると、いろんな人がやってくる。そこからドラマが起きて、最後は成功へ。そう予想する根拠は、それが万太郎だからだ。
23週もそうだった。まず綾と竹雄が上京し、長屋近くで屋台を開いた。万太郎と寿恵子が食べているところにやってきたのが、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)だ。そこから、「醸造学」の話になる。酒造りをあきらめていない綾と竹雄が、醸造を研究する学者を知らないかと2人に尋ねる。手を挙げたのが、藤丸だった。
東大を卒業し、菌類の研究ができないか探したがどこにもなく、今は実家の酒問屋を手伝っている。それが藤丸の現在地だ。だから、手の挙げ方が奥ゆかしい。「もう1杯、飲んでいく」と万太郎と波多野に言って、屋台に残る。何のお酒がいいかと綾に聞かれ、綾と竹雄が造る新しい酒がいい、と答える。わかりにくいが、これが挙手なのだ。
そこからなぜか、「俺、きっと無理なんですが」と言う。「おいおい」とツッコミたくなるが、ここからの藤丸のセリフが聞かせた。無理なのに研究がしたくなった、菌類なら何でも好きなのだ、醸造と菌類の研究はまったく違うから一から学ばねばならない、だけど外国の文献を読むことならできる。藤丸の声は甘えん坊の声。そうずっと思っていた。その声のまま、一気に語る藤丸。優しく、メンタルが弱い。だけど心では、何かを成し遂げたいと思ってきた。それが伝わってきて、ちょっと泣けた。
綾は藤丸をまっすぐに見て、小さくうなずいていた。そしてこう言った。「新しい酒の注文、承りました。きっとうまいです。私らの学者先生と造るがですき」。竹雄が「藤丸さん、よろしゅうお頼み申します」と続けた。相当泣けた。勝ち組じゃないけど心優しい者同士が、ともに歩んでいこうとする。こういう場面に私は弱い。
野宮と波多野の別れにも、深くはかかわらない万太郎
屋台からの帰り道、波多野は万太郎に野宮の話をする。画工だった野宮と自分の“格差”について語る。自分は農科大学の教授の話を受けた、野宮は辞表を出すらしい。「結局僕は、野宮さんを見捨てたんだ」と。
ことほどさように、万太郎はただ“存在する”だけだ。そこに人が来て、ドラマが動き出す。野宮と波多野の別れが描かれた。そこに万太郎もいたが、かえって野宮に気を遣われる。最後に万太郎の長屋を訪ねた野宮が万太郎一家を写生しながら話したのが、アルミニウム印刷機だった。
23週の途中、『らんまん』の脚本家・長田育恵さんのインタビューがネット上にアップされた(9月7日『リアルサウンド』)。全話を書き終えての総括で、万太郎という人物について長田さんは、《『草花を一生涯愛した』というシンプルなテーマを持った槙野万太郎を、広場に見立てて、その人物の元に集まる人々や関係性、ネットワーク、皆の人生が咲き誇るさまを描き出そうとしていました》と語っていた。
そうか、万太郎は「広場」なのか。広場とはそこにあるもので、ドラマを動かすのは集まる人々。だから藤丸と綾と竹雄に泣けて、万太郎には泣けないのも当然なのだ。万太郎に感じる「残念さ」のからくりを理解した。長田さんの狙いどおり、私は最後、綾と竹雄と藤丸のお酒が完成する場面で泣きたい。
《執筆者プロフィール》
矢部万紀子(やべ・まきこ)/コラムニスト。1961年、三重県生まれ。1983年、朝日新聞社入社。アエラ編集長代理、書籍部長などを務め、2011年退社。シニア女性誌「ハルメク」編集長を経て2017年よりフリー。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』など