2023年3月上旬(1日~10日)、浅草演芸ホール夜の部にて、「桃組」と題されて全出演者が女性の公演がおこなわれた。毎日公演が開催されている都内の寄席定席は4軒あるが、女性だけでの10日間の興行は初めて。落語のみならず、漫才、講談、太神楽、奇術、三味線漫談などもすべて女性で、人気女性落語家の蝶花楼桃花さんの呼びかけで実現した。10日間の興行は日を追うごとに話題を呼び、ほぼ満席が続いた。女性の芸人さんたちも、通常の寄席よりどこか自由で弾けているのが印象的だった。
いつの間にか、ひとつの興行が女性だけで成り立つほど女性芸人が増えていたのだ。古くからの寄席ファンにとっては目から鱗(うろこ)が落ちたような気持ちだったはず。
柳亭こみちさんが女性版の古典落語を精力的に作り出すワケは
伝統芸能である落語の世界も、もう「女性だから」「男性だから」という時代ではない。そんな中、ここ数年、気になってしかたがない女性落語家がいた。
柳亭こみちさん、48歳。
彼女も「桃組」に出演していた。いつもニコニコと機嫌よく出てきてふわりと座り、お辞儀をして顔を上げると、「なんだかおかしい」。小柄で童顔なのだが、もちろんそれがおかしいわけではなく、こみちさんの全身から放たれる雰囲気が、いかにもこれから楽しい時間に誘ってくれそうで、思わず前のめりになってしまうのだ。
こみちさんの持ち味は、従来の古典落語に加えて、登場人物を女性に変えたり、出てくる女性の視点で練り直したりと工夫を施した古典落語だ。試行錯誤を重ねながら、今のスタイルに行き着いた。
「例えば寄席で、“爆笑派”と呼ばれる男性師匠のあとに私が出て、コテコテの古典落語をやってもインパクトは少ないんですよ。とにかくお客様に笑顔になっていただきたいのに、笑いの量では男性に負けちゃう。まっすぐに古典落語をやって、“うまい”と言われるようになりたいと思ってきたけれど、それが必ずしもお客様に喜んでもらえるわけではない。じゃあ、お客様が笑ってくれるのはどういうときなのか。二ツ目に昇進してから、ずっとそれを考えていました」
有名な「時そば」という噺(はなし)がある。そばの屋台で繰り広げられる滑稽噺だ。冬の深夜にそば屋を呼び止めた男が、屋台の提灯から割り箸、器にいたるまで褒めまくって、そのあげく代金をちょろまかす。それをこっそり見ていた別の男がその手口に感心し、翌日、自分もやってみようとして失敗するのだが、こみちさんはこの噺に登場する最初の男を女性に変えた。屋台の店主も口を挟めないようなマシンガントークでしゃべり倒したあげく、華麗に代金をちょろまかして去って行くのが、なんともいえずおもしろい。
主役を女性に変えることで、女性の噺家が演じる際に無理をしなくてすむ。店主の男性に対し、「気の毒に」という客の心理も生まれやすい。だから翌日、それを見ていた若い男が同じようにちょろまかそうとして失敗、店主に軍配が上がると、溜飲(りゅういん)が下がるような気にもなる。登場人物を女性に変えることで、逆に周りの男性たちも生きてくるのだ。
こみちさんはひとりでもがき続け、いろいろな人の意見を参考にしながら、死に物狂いで女性目線の古典落語を作り出してきた。その数、今は30を越える。この世界に入って20年、真打ちになって6年。試行錯誤を重ねてきてようやく自分の道、自分の形が見えてきたところだと彼女は言う。
根っからの“お祭り女”、バリバリの営業職からまさかの落語家へ
「昔からよく、『剽軽者(ひょうきんもの)』と言われていました」
こみちさんは、そうつぶやく。
「友達を笑わせるのが大好きで、小学校のころから学芸会に命をかけていて目立つ役をやりたがったり、注目される楽器を弾きたがったり。中学・高校でも、学園祭に1年間のアドレナリンをすべて投入するお祭り女だったと思います」
小学校の卒業文集に担任の先生が書いてくれた言葉は、「いつも豊かな表現力でみんなを楽しませてくれたね」というものだったという。
根っからのお祭り女。サービス精神旺盛な高座は今も当時のままだ。
演劇が大好きで、大学を卒業し社会人になってからは、毎週何本もの小劇場系の観劇を続けていた。だがあるとき、当日券が手に入らず、友人から「予約がいらない寄席に行ってみれば?」とすすめられて足を運んだ。今まで見ていた芝居とはまったく違う空間に触れ、その日はあっけにとられているだけだった。
「でも、そこからどっぷりと落語にハマったんですよ。特に(一昨年に亡くなった、柳家)小三治の噺を聞いて、世界一おもしろいと思った。目の前に、行ったこともない江戸が見えた。芝居はいろいろな人が登場するけれど、落語はたったひとりですべてを表現するんです。とんでもないことだ、魔法のようなすさまじさだと感激して。2年くらい熱烈に落語を聞いていたんですが、そのうち噺家になりたい、なるんだと決めました」
小三治さんの弟子である七代目柳亭燕路さんに弟子入りを頼んだが、最初は「あなたが男なら弟子としてとるけれど」と渋られた。落語界は長らく男性社会であったし、燕路さんがすぐには首を縦に振れないのもわかる。だが、こみちさんは「女性だって芸一筋に頑張れば、落語家になれるはずです」と押し切り、燕路師匠に粘り勝ちしたらしい。
当時28歳。出版社の営業として“ガンガン仕事をしていた”のに、ある日突然、辞表を提出。驚いた部長に「落語家になりたいんです」と言った。
「すると部長が、机にバタッと前のめりに倒れ込んで、あーっと呻(うめ)いた。そして顔を上げると、“会社としては痛手だけど、夢を持つのはいいことだよね。応援するよ”と。うれしかったですね。部長は今も高座を見に来てくださるんですよ。当時の営業仲間も来てくれる。ありがたいなと思っています」
朝から夜中まで修業の日々。身体のあちこちに潰瘍ができた
無事に退職して、まずは見習い、前座としての修業が始まった。最初の1年は実家から師匠の家に通ったのだが、毎朝6時15分の電車で向かい、帰りは終電。帰宅するのは午前1時を軽く回る日々。師匠の家では、掃除に洗濯、用足しなど、いろいろな仕事が待っている。そして、入門して1週間後、優しかった師匠が変わった。
「何かで怒鳴られたんですよ。ガラスが割れるような声でした。
もともと、師匠に対しての口答えなどはいっさい許されない。言いたくても言えないのは当然なのだ。
「志願して弟子としてとってもらって居候させてもらっている身。だから師匠を怒らせたら弟子が絶対悪いのですよ。例えば師匠が“唐揚げはあっためて食った方がうまいぞ”と言う。まあ、でもこのままでいいですと答えるとするでしょ。すると”オレがあっためて食えと言っているのに、いいですってどういうことだ。電子レンジを使うのを弟子が遠慮して喜ぶ師匠がどこにいる”となってしまって。師匠を怒らせる何かが私にあるのですよ。これが当時の私には難しかったです。なんだろ。顔かな(笑)」
エアコンが壊れて業者を呼んだときも、こみちさんが「あとから修理の方が来てくださって、部品を変えてくださって……」と説明し始めたとたん、「お前はどれだけ業者に敬語を使ってるんだ。業者の弟子か!? だからおめえの落語はダメなんだ」となってお小言が始まってしまった。客観的に聞くと吹きだしてしまうような話だが、当事者のこみちさんとしては、お小言の本当の意味がわからず、悩んだそうだ。
だがもちろん、師匠には深い意図があるのだ。
「怒られたあと、師匠はよく言っていました。“落語って言葉だろ。お前の言葉で人が喜んだり、うれしい楽しい気持ちにならなきゃならねぇ。今のお前の言葉を聞いて俺がうれしいと思うか? よく考えろ”って。だけど入門して間もない私は常にテンパってますから、その言葉を咀嚼(そしゃく)する余裕がない」
そのうち、胃と食道と十二指腸に潰瘍(かいよう)ができた。
「何を食べても吐いてしまう。医者に行ったら、この医者がまたおかしな人で。“ああ、落語家さんなんですね。休みがない、気を遣う、ストレスがたまる。まあ、それが当たり前の世界でしょうから、それでも精神的にも肉体的にも元気でいられて一人前。結果的に言うと修業が足りないです”って(爆笑)。わかってるけど、あんたに言われたくないって話でしょう?」
病気のことまで笑い話にしてしまうこみちさん、さすがである。
厳しいからこそ「修業時代だけでやめてたまるか」と踏ん張れた
その後、大師匠である小三治さんと楽屋で会うと、「燕路にどんな小言を言われる?」と聞かれた。こんなことがあって、あんなふうに言われてと話すと、「オレは安心した」とホッとしたような顔をしていたという。
「師匠の仕事は弟子に小言をいうことだ、と。前座は自由はなく、
それに師匠の燕路のところでは、弟子は私ひとりでしたけど、前座として寄席に行くようになると仲間もできる。肩の力を抜ける瞬間が生まれて、寄席がオアシスになる(笑)。逆に、師匠もおかみさんも、赤の他人である私がずっと家にいるのだから気を遣ったでしょう。おかみさんも、私のことが嫌だった時期があったと思いますよ。おかみさんの弟子ではないのに、自分の家みたいにいつもいるんですから。それでも、何があっても毎日ごはんを作ってくれた」
師匠にはこうも言われた。
「お前はこれから、人の心を考えて、たくさんの人にできるだけ喜
“はい、ありがとうございます”と言うな。“はい”というひと言
噺家としての先々を見すえての言葉だ。今、こういった師匠の言葉
噺家における師弟というのは、親子のようで親子ではなく、ある意味で、親子以上に濃密になりうる関係でもある。修業はお金を払うわけでも、もらうわけでもない。弟子は師匠の家でともに暮らすと言っても過言ではないのに、いっさい金銭が派生しないのがすごい。唯一、信頼関係だけがものを言う。そしていざというとき守ってくれるのも師匠なのだ。
◇ ◇ ◇
燕路師匠になんとか食らいつき、必死で修業を続けたこみちさん。インタビュー第2弾では、落語家になることを決めたときの両親の反応や、自身の結婚と出産にまつわる“珍”エピソード、今後の目標などをじっくり伺う。
(取材・文/亀山早苗)
【PROFILE】
柳亭こみち(りゅうてい・こみち) ◎東京都東村山市出身。早稲田大学を卒業し出版社勤務を経て、2003年、柳亭燕路に入門。前座名は「こみち」。’06年に二ツ目に昇進、 ’17年に2児の母としては史上初の真打昇進。NHK『東西笑いの殿堂』、TBS系『落語研究会』、日本テレビ系『ヒルナンデス!』など、テレビ、
日時:2023年4月18日(火) 18:00開場/18:30開演
会場:国立演芸場
料金:全席指定3600円 《完売御礼!》
※詳細やチケット情報は公式サイト内特設ページへ→https://komichinomichi.net/?p=2219
【柳亭こみち 芸歴20周年記念公演 この落語、主役を女に変えてみた
〜こみち噺 スペシャル〜】
日時:2023年8月12日(土) 18:30開場/19:00開演
会場:日本橋社会教育会館 8Fホール
料金:前売り3000円/当日3500円
◎公式サイト「こみちの路」→https://komichinomichi.net/
◎Twitter公式アカウント→@komichiofficial