「脱毛症」という病気をご存じだろうか? なんとなく名前は聞いたことがあるけれど、詳しいことについては知らない方も多いのかもしれない。去る3月にウィル・スミスさんの妻、ジェイダさんの髪形の一件で注目されたことが記憶に新しい。一体、脱毛症とはどのような病気で、患者である人たちには、どのような悩みがあるのだろうか?
そこで今回は、さまざまな理由で髪に症状を持つ人とその家族のためのコミュニティ「Alopecia Style Project Japan(アルペシア スタイル プロジェクト ジャパン/ASPJ)」の代表理事である土屋光子さんや、コミュニティに属するメンバーたちに、脱毛症ならではの悩みや、心の揺れについてお話ししていただいた。
「脱毛」というのはとても曖昧な意味を持つ言葉。多くは「毛が抜けて毛の数が少なくなる状態」(毛の脱落)のことを指すが、そうでない状態も「脱毛」と呼ぶ。その代表は「男性型脱毛症」で、この場合は毛の数は減らないが、あるときから太く長い毛が再生せずに、大半の毛が細く短い毛(軟毛)に置き換わってしまう(軟毛化)。抜けてはないものの、目で見える頭髪の量は減るので「脱毛症」というカテゴリーでの扱いになる。毛が抜けて数が少なくなる「脱毛症」としては、円形脱毛症が代表的で、そのほかにもさまざまな症状があり、どれも原因は異なるため、治療方法が異なる。
あるものがなくなる恐怖……思春期に脱毛症状で葛藤する
都内でヨガインストラクターとして働く諸星美穂さん。彼女もまた、脱毛症を患った人のひとりだ。その日の気分によってウィッグをつけたり外したり、替えたりと、おしゃれの一部として楽しんでいる。明るく朗らかで、精力的に活動をする美穂さんだが、脱毛症の症状を受け入れるのに、とても時間がかかったという。
彼女が脱毛症を発症したのは17歳のとき。所属していたハンドボール部の練習が厳しく、強いストレスを感じたことがきっかけだったそうだ。
「格闘技のようにぶつかり、相手を押しのけ合うディフェンスはとてもハードで、私の性格に向いてなかったんです。でも、部活をやめたら学校に居づらくなるんじゃないかと勝手に思い込んでしまっていて。自分の心にうそをつき続けていたら、髪がどんどん抜け始めました……」
結局、卒業まで部活を続けた。引退したら、抜けた髪はすぐに生えてきたことから、そのときに初めてストレスが原因だったと気づいたそう。しかし、社会に出てストレスがたまる状況になると、再び脱毛を繰り返すように。
抜けては生えてを繰り返していくうち、どんどん治りにくくなり、とうとう20代後半には髪の毛がまったくない状態となったという。
「“あるものがなくなっていく”という変化は本当に恐怖そのものです。年齢的にもいちばん他人の目が気になってセンシティブな時期ですし、隠したい気持ちでいっぱいで、いつも帽子をかぶっていたかった。帽子を手放したくなかったので、帽子屋に就職したほどです。やっぱりこの状態を受け入れるのには、誰でも時間が相当かかるんじゃないかと思います」
20年以上握りしめていた感情から解放された瞬間
これまでの美穂さんは、目の前の出来事からずっと逃げずに一生懸命だったのだろう。そして、それによって生じたストレスが身体を痛めつけていたようにも感じる。話を聞いているだけでこちらも胸が締め付けられる思いでいっぱいだった。
「髪にコンプレックスがある、それを部活や仕事で払拭したかったんです。いい成績をあげることで髪がない自分を補いたかったけど、今思えば間違った頑張り方でしたね……。1つ成果が出ればうれしいけど、また次にやらなくちゃ、もっともっと! という状態。褒めてもらっても、自分に納得できてない。その根底に、“私には髪がないから”という後ろめたい思いがあり続けていて、いつまでもその気持ちから離れられなかったからなんですよね」
20代後半のころ、美穂さんは勤務中のストレス解消や、身体の健康を取り戻すためにヨガを習い始めるが、このことが予想外の転機となる。
「ヨガでは、ポーズを取りながら身体に起こる変化をじっと観察するんですね。そうするとその時は、髪に引っ張られる思考から無意識に離れることができたんです。俯瞰できるようになって、“私は確かに髪はないかもしれないけど、それで不幸かといえばどうなのかな?”という思いが湧き起こりました。
自分で色眼鏡をかけて勝手に視界を暗くしてしまっていたんですよね。もう少し視界が透明になっていけば、自分の中でそんなに握り締めるほど悩むことではない気がしたんです。
それからです、“何かを背負い込んでいるのは結局自分なんだ”、と見えてくるようになったのは。
ヨガを通して、自分から一歩離れて心を観察する練習をしたことで、とても楽になりました」
子どもにもある脱毛症状。大人とは異なる受け入れ方
美穂さんのように、脱毛症の患者たちは、心の面での悩みが深い。ASPJが2021年8月に行った、脱毛症患者を対象とした独自調査の結果によると、回答者276名のうち、「ホルモンバランスなどの変化で気持ちが落ち込むことがある」と回答した人が44.7%、さらには「具体的な方法は考えないが、漠然と死を願っている」と回答した人が20.3%と衝撃の高割合であった。
やはり、それほどまでに患者の皆さんが悩んでいるということがうかがえた。美穂さんのように自分自身を受け入れるのに時間がかかることは当然だし、いまだ自身の中で葛藤している人が多いのだろう。
脱毛症の患者は、大人だけではない。子どもにも症状はあると、ASPJ代表理事の土屋光子さんは話す。
「子どもの脱毛症患者さんもさまざまです。生まれながらにということもあれば、成長とともに脱毛していく例もあります。大人と違うのは、比較的幼い時期から症状があるため、髪がない自分のことを、受け入れている子どももいるということです」
このように髪がないことを生まれつきのごとく、自然に捉えている子どもが多いなかで、子どもの脱毛症については、発症している本人以外にも課題があると話す。
「本人は“ウィッグを被りたくない“と思っているけれど、親が自身の価値観や子どもを心配に思うあまり、親の意思で子どもにウィッグをすすめていることもあります」
実際にASPJに所属する親たちはどのように思っていたのだろうか? 小学6年生の娘さんを持つSさんはこのように話す。
「娘の脱毛が進むなかでスイミングに通っていた時、周りの人が娘の頭を見てる様子が、私にはかわいそうだと思えました。けれど、娘がさほど気にしていないことに気づいたんです。それからというもの、私は娘が過ごしやすい環境を作ること、彼女の自己肯定感を上げるためにポジティブに頑張ろうと思いましたね」
Sさんの娘さんは現在、ウィッグは本人が使いたい時に使用しているそうだ。
また、小学6年生の娘さんを持つFさんは、「自分自身の方が受け入れられてない」と話す。
「娘は、“もう慣れてるから”と言うのです。脱毛症を受け入れているのか? と聞いてみましたが、そしたら“受け入れてるよ。逆に、自分自身を受け入れていない人なんているの?”とサラッと言われて。答えにつまりました。人目を気にしているのは大人のほうなのかもしれません」
Hさんの娘さんもまた、現在ウィッグは使用せず、今ある髪を生かしてアレンジをしたりして、髪の少ない箇所をカバーしているそうだ。
思った以上に子どもは色眼鏡をかけることなく、透明な眼鏡でものを見て過ごしているのかもしれない。そして成長が進み、周囲の視線や価値観、社会的な出来事を知れば知るほど、その価値観や概念に苦しむのが大人なのかもしれないとも思う。
患者の心の深い悩みについてまでは広く認知されていない
円形脱毛症は自己免疫疾患の1つと言われ、美穂さんのようにストレスがトリガーになって発症することもあれば、子どもの患者のように生まれながらにして、あるいは幼い頃から環境や他症状による複合的な要因で発症をすることもある。そのため治療法も必ずこれという正攻法はなく、多種多様だという。
ASPJ代表理事の土屋さんは、「美穂さんのように、急に発症するという状況は誰にでもありえます。まだまだ病気の認知が低く、症状のことはもちろんですが、患者の心の深い悩みについてまで広く認知されるには至っていないと感じます。そのためにも、私たちはこれからも発信を続けていきたいですね」と語る。
ありのままの自分を受け入れるというのは、誰にとっても簡単なことではない。また、目に見える症状や、姿や形に違いには気づけるが、実は私たちの隣にいる人も、目に見えないところで悩んだり苦しんだりしているのかもしれない。私たちが気づいていないだけで。
誰もが“色眼鏡”を外して、“透明な眼鏡”で心を覗き見できるようになったら──知らない世界を、いつもよりほんの少しだけ慮る。そうなったらもっともっと生きやすく、優しい世界になるのかもしれない。
(取材・文/永見薫)
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