1980年代に『玉姫様』『レーダーマン』をはじめとする個性的な楽曲を発表。トンボの羽を背負った衣装などで音楽番組に出演し、話題となった戸川純さん。TOTOウォシュレットのCM(1982~95年)や、『釣りバカ日誌』シリーズ、『ヒットスタジオR&N』(1989〜90年にフジテレビ系で放送された音楽番組)の司会など、女優、作詞家、タレントと幅広い顔を持ちます。近年は『好き好き大好き』という楽曲がTiktokでバズり、再び脚光を浴びています。
インタビュー後編では、独特な世界観を持つ楽曲づくりや、ファッションについてもお聞きしました。
メロディに合わせて歌詞を書く才能
──戸川さんの歌詞は、どの曲もすんなりと耳に入ってきますね。
「譜割り(※)だけはね、唯一、わたし天才じゃない? と思えるんですよ(笑)。他のことには卑屈なほどなのに」
※音符の一音一音に対して、歌詞をどういう配分で置いていくかを考えること。
──最近では、戸川さんの楽曲の『好き好き大好き』がTikTokで多数使われています。時代を超えて支持されることをどう感じていますか?
「素直に嬉しい気持ちがある反面、イマイチ実感がわかないんですよ。どうしてだろう? とか。もうねぇ、自己肯定感をね、高く持ちたいんですけれど。だけど今のファンの方はちゃんと歌を聴いてくれているんだなって思えるんです。昔は、ライブで歌う中でもギャーっていう歓声が大きくて、歌は聞こえてるのかなって思っていたから(笑)」
──80年代や90年代のヤプーズのライブはどのような感じだったのですか?
「お客同士がケンカしていることもありましたね。あとは終演後のフロアに、嘔吐物が残っていたり……。前のほうがギュウギュウになるせいらしいんですよ(笑)。ある女子大でライブをした後が、いちばん多かったですね。ステージに上がってきちゃうお客も結構いて、マイクのスタンドで突き落とすので精一杯でしたよ。そういうのを経験しているから、今の若い人たちが歌を聴いてくれるのは嬉しいんですよ」
監督作には田口トモロヲや久本雅美などそうそうたるメンバーが出演
──戸川さんは『いかしたベイビー』(1991年公開のオムニバス映画『ワンルームストーリー』の中の1本)で脚本、監督、主演の三役をこなされています。ファンの中でも人気の高い作品ですが、今では有名になられている田口トモロヲさんや、久本雅美さんなど出演されていますね。
「大槻君(大槻ケンヂ)や吹越さん(吹越満)も出ているね。田口さんはお芝居を観てうまいなって思って相手役をやってもらいました。『鉄男』(1989年公開、田口トモロヲ主演・塚本晋也監督作品)を観る前にオファーしました。衣装は自前の服が多いのですが、田口さんが着ているシャツのなかには、私が自分の彼氏にプレゼントした服を“貸して”って言って着てもらってるものもあるんですよ。もちろん映画だからさすがにスタイリストさんついてもらいましたけど」
──映画とは別にミュージック・ビデオの映像の中には、ヒッチコックなど名画をモチーフにされたシーンなどもありますが、どのようなイメージで撮られたのですか?
「そうなんです、ヒッチコック。お若いのによくおわかりで(笑)! 『好き好き大好き』のミュージック・ビデオの中で、ヒッチコックの『サイコ』をオマージュしたシーンを入れているんですよ。『いかしたベイビー』は、プロデューサーから“バッドエンドにはしないでください”って念を押されたんです。私が悪い終わり方にしそうと思われたのかな(笑)。“明日も頑張っていこうっていう前向きな感じの映画を撮ってください”って言われて」
──戸川さんの楽曲もそうですが、ただ悲しいだけではないストーリーですよね。
「そう。観ていただいた方にはわかると思うけれど、この映画のヒロインはずっと自由がなくて。田口さんに演じてもらった役と出会ったことにより、久もっちゃん(久本雅美さん)に演じてもらった役とも出会って主人公はおしゃれになっていくし。ちょっと悲しい部分があるからこそ、そこから人って前向きになれるんじゃないかなって。そういうほうが印象に残るんじゃないかなと思ったんです。だからバッドエンドではないんですよ」
普段の衣装は借りものではなく自前。NHKではタブーな服を
──戸川さんの名前で検索すると、関連ワードに「ファッション」という言葉が上がります。『ヒットスタジオR&N』の司会では、毎週バラエティに富んだファッションが楽しみでした。
「あれはね、スタイリストさんがいたの。でもパンクっぽい格好は自前。衣装もね、自分でレンタルすればよかったんだけれど、スタイリストさんみたいな大きなバッグを下げて返しにいくのも面倒で。向いてないんですね。だから買っちゃえ!ってなっていた。そうしなければ、“(視聴者は)また同じ服着ている”ってなるから、すごい服だらけになっちゃって(笑)」
──『HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)』が出していたジョンソン&ジョンソンの『ベビーパウダー』をパロディにしたカットソーは、マネして買いました。
「ジャンキーバッドパウダーね(笑)。NHKで着ちゃったんだよね。NHKはメーカー名が入った服を着るのはNGだったけれど、“これならどう?”みたいな。『冗談画報』(1985〜88年にフジテレビ系で放送された深夜番組)では何パターンも衣装替えをしたり、そういうふうにファッションも楽しんでいましたね」
いつかは女優として賞を受賞したい
──『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーに出演された際(1989年)に、「女優として賞を獲りたい」とおっしゃっていたのが印象的でしたが、今もその気持ちに変わりはないですか?
「はい。女優で賞を獲りたいっていうのはずっと変わっていないんですよ。(交通事故の後遺症で)腰が悪くなっちゃったけれど、女優っていう看板は外さないでいようって思っているんです」
──これまでも、なにか受賞されたことはなかったのですか?
「今まで何度もいろんな賞にノミネートされているんですよ、『ゴールデン・アロー賞』も2度とか。でもノミネートまではいくけど、受賞はないんです」
──最近は、ライブ活動などが活発ですが、今後はどのような活動をしたいという目標はありますか?
「歌はね、こんなに長く続けるとは思わなかったからね……。かなり壮絶なリハビリが必要だけれど、腰を治して女優としても復活したいんです。おばあさんにはおばあさんの役があるからね。『紳助のMTVクラブ』(1986〜88年に朝日放送で放送された島田紳助のトーク番組)でも、“女優で賞が欲しい”って言っているんです。その当時、ドラマや映画や舞台にも出ていたけれど、紳助さんは女優の私は知らなくて、私が“だめえ? 50、60になる?”って言ったら、“50、60で獲れたらええけどね”って絶対獲れなそうに言ってたんです(笑)。でも実際60代になっても獲れてませんからね」
──『ウンタマギルー』(高嶺剛監督作品・1989年)での演技は、評価が高かった記憶があります。
「あれもね、監督はベルリン国際映画祭などで受賞しているんですよ。私もあの映画で助演女優賞にノミネートされました。自分としては、もっとヘビーな現場があったのに(笑)、普通に演技をしていたらノミネートされたなぁって感じだったけれど。今はもうくれるなら欲しい! って感じです。こんな歳でもまだ思ってるんですよ」
──女優としてどのような役を演じられるのか、これからも楽しみです。
「2018年に久しぶりに舞台(『グッド・デス・バイブレーション考』)に出演したのですが、そのとき50代だったのに、63歳の役柄だったんです。SFで、だんだん子どもになっていくという役でした。これからやるとしたら、おばあさん役とかね。でも実際よりも老けるのは嫌なんです。私が30代のころ、蜷川幸雄さん演出の舞台に出て共演していただいた有馬稲子さんが、かなりお年を召されていたのに、“私ももう28!”っていうセリフを言う役を演じられていましたからね。舞台で、そういう役もいいですね」
◇ ◇ ◇
稀有(けう)な才能で時代を駆け抜けた戸川さん。今も変わらず愛らしいたたずまいから繰り出される世界観は、令和の時代にも支持されていくのでしょう。
(取材・文/池守りぜね)
〈PROFILE〉
戸川純(とがわ・じゅん)
子役経験を経て、1980年TVドラマデビュー。1982年、ゲルニカの一員としてレコードデビュー、同年TOTOウォシュレットのCM出演でお茶の間にもインパクトを与える。その後もソロやヤプーズなどのバンド名義で音楽活動を展開、女優としても活躍する。作品に『玉姫様』(1984年)、『好き好き大好き』(1985年)、『昭和享年』(1989年)、自選ベスト3枚組『TOGAWA LEGEND』(2008年)など多数。今年1月、戸川純+山口慎一の名義で『戸川純の童謡唱歌』を一般発売。2019年に芸能活動40周年を迎えた後も、マイペースな活動で後進に影響を与え続けている。
6月1日(木)札幌cube garden
6月27日(火)福岡Gate’s7
7月20日(木)渋谷PLEASURE PLEASURE