くまモンがこの世に現れてから12年。最初は九州新幹線全線開通PRのために「期間限定」だった存在が、今や熊本を代表する“顔”となった。キャラクターの認知度・好感度ともに7年連続、日本一(日本リサーチセンター調べ)。昨年のくまモン関連商品の売り上げは1546億円。2011年の調査開始時からの累計は1兆1341億にのぼる。だが、そんなくまモンも順風満帆でここまで来たわけではない。誰よりもくまモンを愛し、誰よりもその素顔を近くで見てきた、蒲島郁夫・熊本県知事(75)が今、改めてくまモンについて語った。
賛否両論のなか歩み出した、くまモンの「はじめの一歩」
「最初に会ったくまモンは、やせていて、私はあまりかわいいとは感じませんでした(笑)。ファンの間では、“プロトタイプ”とか“初号機”などと呼ばれることもあるそうです。くまモンが近づくと、子どもたちが逃げまどっていました。でも、熊本県庁職員の愛情が通じたんでしょう。あるとき、今のくまモンの姿で登場しました。おそらく、熊本のおいしいものをたくさん食べて、あのようなかわいらしい姿になったんだと思います。私は、このくまモンなら、きっと子どもたちが大好きになってくれるだろうと確信しました」
2010年3月、リーマンショック後の雇用対策の一環で、知事はくまモンを“臨時職員”として雇った。「ご当地キャラ」を自治体が雇用したのは前代未聞。そして知事は、できる限りくまモンを連れ歩き、まずは県内での認知度を高めようとした。
「当然、賛否両論ありました。“行政なのに不真面目だ”、“税金の無駄遣いだ”など批判の声もありました。でも、熊本にとって必ずプラスになると私が決断したんです」
その年の夏には初の大阪出張、さらには大阪にいるあいだに「神出鬼没大作戦」が繰り広げられた。大阪から熊本まで新幹線で観光に来てもらうために、当初のターゲットは大阪だったのだ。続けて知事は、10月にくまモンを「くまもとサプライズ特命全権大使」に任命。その後、大阪で1万枚の名刺を配る使命を与えた。
名刺配りで失踪、吉本新喜劇への出演、大阪出張の舞台裏
ところがくまモン、翌月にはこの名刺配りに嫌気がさして失踪。知事はすぐさま緊急記者会見を開き、「大阪に出張中のくまモン君が行方不明になった」と発表。見かけたら知らせてほしいと訴えた。当時、まだ新しいメディアだったツイッターを駆使して、ファンと双方向でくまモンを活用し始めたのもこのころだ。
当時、営業の一環として大阪の地下鉄構内に現れたくまモンの写真
2011年1月には、くまモンの知名度向上のため、知事とタレントのスザンヌさんと3人で、大阪の吉本新喜劇に出演した。
「お約束の“ズッコケ”もさせてもらいました。私の東大教授時代の教え子たちも県庁職員も、“政治家が転ぶのはシャレにならないので、やめてください”と言いましたが(笑)、やっぱり“お約束”ですからね。くまモン、スザンヌさんと一緒に盛大にズッコケました」
知事は筑波大学、東京大学で教授職を経て2008年に故郷の熊本で県知事となった。当初から「熊本のためなら何でもする」が信条。ズッコケくらい、なんてことなかったのだろう。
当初、九州新幹線全線開通にともなう一連の行事が終われば、くまモンの存在感も薄れていくはずだった。だがイラスト利用や企業コラボ商品も増えてきたため、知事は引き続きくまモンの雇用を継続した。
「当時からくまモンには期待していましたが、正直に言うと、ここまで大きな存在になるとは思っていませんでした。くまモンは進化し続けてここまできたんだと思います」
“臨時職員”から熊本を代表する“顔”へ、3つの大きな転機とは
くまモンにはその進化の過程で、大きな転機が3つあったと知事は言う。
「まずは『楽市・楽座』(※)として、キャラクター利用料を無料にしたことです。これによって多くの商品にくまモンが使用され、それが市場に出回ることで、くまモンの認知度を飛躍的に高めることにつながりました。私は現在のくまモンの認知度・好感度を作り出したいちばん大きな要因は、この楽市・楽座だと思っています」
(※ 安土桃山時代に織田信長などの戦国大名によって、各支配地の市場で行われた経済政策。「楽市」は特権商人の市場独占を否定し、新興商人の自由営業・課税免除を認めた市場振興策、「楽座」は楽市令の対象となった市場に限定して、同業者組合による商売の独占を否定し、楽市令をより強化する政策とされる)
熊本の野菜や食品には、くまモンのイラストがついているものが多い。業者は申請さえ出せば簡単な審査をへて、無料でイラストを使うことができる。同じ「トマト」なら、かわいいくまモンのイラストがついた熊本県産を買ってしまうのが人の心理だ。
「2つめの転機は、やはり2011年の『ゆるキャラグランプリ(R)』です。2010年にデビューしたくまモンの人気が全国区になるきっかけとして、この優勝は大きかった。優勝して凱旋(がいせん)したとき、私や県庁職員、くまモンを応援してくれた地元の人たちとみんなで、県庁で彼を迎えました。ファンの方たちが喜んでくれていたのが印象に残っています。そしてこの年、くまモンは臨時職員から営業部長に昇進しました」
県庁職員もびっくりの大抜てきだが、知事の目に狂いはなかった。その後のくまモンは熊本県のみならず、日本中で、そして日本を飛び出して世界へと活躍の幅を広げていったのだから。
「そして3つめの転機は、2018年からの本格的な海外展開です。くまモンイラストの商品等への利用を、海外企業にも解禁しました。これによって、くまモンは世界に広がっていったと思います」
それまではいわゆる「バッタモン」も多かったくまモングッズだが、適正利用料をかけることで(国内は現在も無料)、熊本県お墨つきのグッズが世界に広がることになったのだ。結果、経済効果は右肩上がりで、関連商品の累計売り上げは1兆円を超えた。
「1兆円突破はひとつの目標でもありましたから、とてもうれしく思っています。経済効果だけでなく、くまモンを愛してもらっていることが実感として伝わってきますからね。商品に利用してくださっているみなさま、その商品を購入して熊本を応援してくださるみなさまの温かい気持ちに、改めて感謝を申し上げたい。と同時に、くまモンには、これからもしっかりと熊本をPRし、熊本を元気にする存在としてがんばってほしいと思っています」
……と、ここでくまモン登場。仕事が詰まっているため、若干、遅れてやってきた。入り口で一礼、さらに取材陣に向かって丁寧にお辞儀。そして知事と腕を使ってハイタッチしたあと、席についた。場の雰囲気が一気に華やいだ。
最初から順風満帆だったわけではなく、数々の試練を乗り越え、熊本県を支える存在となったくまモン。インタビュー第2弾では、蒲島県知事からくまモンへの想いや今後への期待を、さらにじっくりお聞きしています。
(取材・文/亀山早苗)