2022年3月、50歳でTBSを退社したアナウンサーの堀井美香さんが、初エッセイ集『一旦、退社。 50歳からの独立日記』(大和書房)を刊行した。ジェーン・スーさんとの掛け合いが楽しい人気ポッドキャスト『OVER THE SUN』でパーソナリティーを務めるほか、これまで取り組んできたナレーションや司会に加えて、朗読会や絵本の読み聞かせイベントといった新しい仕事に踏み出す毎日。フリーランスとして見本や模範がない大海の「沖に出た」現在進行形の想いに、前・後編で耳を傾けた。
沖へ出たけど、またふと岸に戻るかもしれない
──巻末の対談で、ジェーン・スーさんが「堀井さんの独立はいくつかある選択肢のうちのひとつだった」とおっしゃっていました。他にどんな選択肢があったのですか?
現場から離れてマネジメントに徹する選択肢がありました。50歳というキリのいい数字を前に、その道に進むかどうか……というタイミングで、すでにTBSを退社された先輩女性の顔が思い浮かびまして。昼の帯番組でずっとプロデューサーをやっていて、当時「TBS初の女性役員になるのでは」と言われるくらい期待されていた方だったんです。
在職中、その先輩から「小児がんの子どもを相手に朗読会のボランティアをやるから来てくれない?」と誘われました。音楽をやっているママ友と一緒に訪ねたら、その先輩がママ友の音楽にいたく感動されていて。で、「美香ちゃん私ね、子どもを癒す音楽療法の勉強がしたい」と言って、TBSを辞めて音大に入学したんですよ!
──大胆なキャリア変更ですね。
次代を担うトップランナーみたいな方だったので、会社の人たちは衝撃だったと思います。退社当時、先輩は50歳前後。その後、無事に音楽を学ぶ女子大生になったお姿を拝見して「働く女性は、50歳を前に何か感じるところがあるんだな」という思いが刻まれました。
──ただエッセイでもポッドキャストでも、堀井さんは「型にはまり、枠でくくられた方が生きやすかった」とおっしゃっていますよね。会社員に向いている考え方だと思いました。
《結局私は“型にはまる”ことが、ただただラクだったのだ。
「アナウンサー」である自分。
「母」である自分。
何かの枠でくくられた方が生きやすかった。
「こうあるべき」という定義がわからず、自由の中に放たれた大学時代は毎日目が回るようだったし、居心地が悪くて混乱していた。
だからアナウンサーや母になって、自分が想像し得るテンプレの通りに生きられることに心底ほっとした。
早々に模範演技を見つけて、それを真似ることは苦ではなかったし、用意された枠の中は居心地がよかった。そこに安住もしてきた。》
(『一旦、退社。 50歳からの独立日記』より)
ええ。私は一生会社にいて、勤務表通りに働く人間なんだろうな、と考えていました。でも先輩が軌道変更して、ユニークなキャリアの階段を駆け上がって活き活きしている姿を見たら「あれ、私にも辞める道があるかも!」と選択肢が目の前に広がったような気がしたんです。本当にふとしたことがきっかけで思いついた「退社」でした。
──エッセイの表現をお借りするなら、まさに「ゆくりなく退社」だったんですね。一方で書籍タイトルの頭に「一旦」とあると、「もう一度、TBSに戻られるのかな」と感じるのですが。
いろんな方から「どういうこと?」ってよく聞かれます(笑)。正直「100%ない」とは言えないですよね。TBS以外の企業に会社員として勤める選択肢だってあります。でもタイトルは「一度落ち着こう」とか「いったんストップして周りの景色を見てみよう」とか、次に進むための小休止って意味合いが強いですね。沖に出たけど、助けを求めて「岸に戻る」可能性だってあるかもしれませんし(笑)。
ドイヒーな生活を丁寧に綴るのは、音読して心地よいリズムだから
──エッセイご執筆のテーマは身の回りにさまざまある中で、どんな話題を意識的に選ばれましたか?
大和書房の編集さんから「日記形式で」とご指定いただき、日常での気づきを素直に形にしていきました。退社してから新しく体験することばかりで、執筆ネタも周りにたくさんある環境。もともとスケジュール帳に2〜3行ほどの日記をつけていたこともあって、心の内を書き留めることは苦じゃなかったです。
──誰にも読ませない前提で日記を書く人が多い中、堀井さんのエッセイは他者が読むことを念頭に置き、日記をパブリックにひらいていくように書かれている印象を受けました。そう執筆することで、堀井さんにどんな収穫や新たな気づきがありましたか?
「どうしてこんなに悲しくて気持ちが掻き乱されるんだろう」とか「なんで当時あんなに切なくて苦しくなったんだろう」とか、出来事に対して生じた感情の理由や原因を考えるようになりました。2〜3行の走り書きではなし得なかった自浄作用があるんじゃないかな。書いたことで気持ちに一度区切りがつくと、次に進みやすくなる気がします。
──『OVER THE SUN』でも「執筆はセラピー」と話題に挙がっていましたよね。一方で最近のメールテーマである「ドイヒーな生活を丁寧に語る」を、堀井さんは「ファスティングもどき」で実践されたのかな、と感じる語り口に笑ってしまいました。
そうなんですよ! (ジェーン・)スーちゃんがこのエッセイを読んだときに「あなた、これいつもやってることをただ丁寧に書いただけじゃん!」って指摘されました。「よくこんなに文芸作品みたく丹念に描き込めるな」って(笑)。
《撮影の日は刻々と迫ってきている。
突然、前から興味はあったが会社員時代にはできなかったファスティングを決意。
ネットで調べると、一般的なやり方として、前2日の準備食、中3日の断食、後2日の回復食。そして期間中は1日に水2リットルと酵素ドリンクを飲むらしいということがわかった。
正式なものは、ちゃんとした施設で事前に体をチェックしたり、アドバイザーと一緒に進めたりと準備が必要らしいが、私にはもう時間がない。
その時、尾道でなぜか購入していた、万田酵素が目に入った。
ああ、酵素がここに。これは万田酵素も後押ししてくれているということか。》
(『一旦、退社。 50歳からの独立日記』より)
──感嘆する「ああ、酵素がここに」で吹き出しました(爆笑)。知らず知らずに丁寧になったのか、それとも意識してそう書いたのか、どちらですか?
もちろん意識して丁寧に(笑)。「ファスティングもどき」はいつもしゃべっているように書いたんですが、文章は丁寧にまとめるクセがあるんですよね。ナレーションや朗読でいろんな文章を読んできたから、心地よく感じるリズムが頭に刻まれているのかもしれません。太宰(治)や芥川(龍之介)の小説に登場する言葉遣いが好きなので。
──独立されフリーランスになったいま、堀井さんの生き方やライフスタイルに注目が集まっています。他者の言葉をわかりやすく伝えるアナウンサーというお仕事もしつつ、ご自身が「語り手」となる場面が局アナ時代より格段に増えることを、どのように受け止めていらっしゃいますか?
局アナ時代は自分のことをしゃべる機会はなかったですね。テレビでもラジオでも、最後に時間が余ったらゲストに話をお聞きしてきました。何より「自分語りし始めるアナウンサーってどうなの?」って感覚もありましたし。パーソナリティーではなくアシスタント色の強い番組を数多く経験してきたこともあって、思うところがあっても「飲み込む」ことを常としてきたんですよね。ずっと話をお聞きする立場だったから、自分の言葉で話すことに慣れていません。でも局アナでいたころとは意識を変えていかないと、と感じています。
◇ ◇ ◇
インタビュー後編では、堀井さんのプライベートに焦点を当て、子育てを終えて”卒母“ライフを満喫中の日常に迫ります!
(取材・文/岡山朋代、編集/福アニー、撮影/松嶋愛)
【Information】
●書籍『一旦、退社。 50歳からの独立日記』(堀井美香著、大和書房刊)
50歳でTBSを退社した著者が見本も模範もないフリーの世界に出た1年を綴った日記。新しい仕事、卒母、服装、美容まで赤裸々に!