圧倒的な部数を誇るナンバーワンマンガ雑誌と言えば『週刊少年ジャンプ』(集英社)。さかのぼれば、今のように電子コミックが普及する前の1990年代に、最高653万部(94年)という、とんでもない部数を発行していた同誌は、今以上にとてつもない影響力を持っていたのです。
91年からの『アウターゾーン』、96年からの『WILD HALF(ワイルドハーフ)』と聞いて「ああ! 大好き」「夢中で読んだ」という人も多いはず。“ジャンプ黄金期”に、ひときわ個性的な光を放っていた両名作の漫画家さん、実は情熱的な愛で結ばれた、ご夫婦なのです……。
私の顔を覚えていない
「自分は顔を合わせた最初からです」
結婚を決めた瞬間を聞くと、妻で『WILD HALF』の作者・浅美裕子先生はそうキッパリと。その横でニコニコしていた『アウターゾーン』の作者で夫の光原伸先生のほうは、
「いやー、なんかアピールされたから、まあ。だからパーティーで会って話をして、みたいな」
照れ隠し半分でのらりくらり。でもSNSがない時代、漫画家さんたちってどうやって知り合うの?
そもそもの出会いはというと?
浅美「私が『天より高く!』という作品を連載していたときです。その当時は、まだ集英社が打ち合わせを編集部でやっていました。今は下に部屋があって部外者は編集部に入れないようになっているけど。それで担当編集さんの机に行ったけど不在で。“ちょっと来るまで待ってて、机で”って言われて、そこに積みあがっていた単行本の『アウターゾーン』を読んでみたらおもしろくて。それで手紙を書きました」
──こんなにおもしろい作品を描く人って、どんな人なんだろう? 会ってみたいっていう気持ちが強かったんですね。
浅美「ぶっちゃけて言うと、作品を好きなだけだったら、ほかにもいっぱい才能のある作家さんはいるけど、この人の単行本に収録されていた作品解説に響くものがありました」
その日を境にトントン拍子で……というわけでもなく、手紙のやり取り開始から対面まで、なんと4年もの間があったんだって。
浅美「最初の手紙が92年。実際に顔を合わせたのが95年の年末のパーティー。『WILD HALF』連載開始の少し前ですね」
光原「そんな空いてたっけ?」
──それで思いが募った部分もあるんですかね?
浅美「ないです」
──それはないんですね(笑)
浅美「なんとなく私は勘を信じるタイプで、この人と結婚するような気がするけど、さすがに1回も会っていないのに、それはないだろう、頭がおかしいわって」
光原「この人の漫画はデビュー作とかを読んでいて、すごい才能あるなーとは思っていましたね」
──実際、95年末にお会いになられて、どうでしたか? 長い時を経て。
光原「どうだったかな(笑)」
浅美「この人、私の顔を覚えていない。服しか覚えていない。もうね、私は研究して行ったんですよ。ミザリィ(『アウターゾーン』の主人公とも言える女性キャラクター)の服装の系統からいって、ボディコン服かボンテージが好きだろう。でもボンテージは攻め過ぎだなと思って、家にある服の中で一番ボディコンのやつを着ていったんですよ」
作戦は大成功!? ドンピシャだったようで、
浅美「共通の知人が彼に“印象どうだった?”って聞いたら、“顔は覚えてないけど服は好みだった”って言ったって」
結婚するぞー!っていう気持ちだけ
終始トークをリードするのは妻の浅美先生。それをどっしりと受け止め、笑顔で聞く光原先生が印象的。現在と変わらず(?)出会った当初から勢いがありつつも、しっかりと慎重に愛を育んだ二人。96年1月の交際開始から結婚は約3年半後のこと──。
浅美「たしかね、会った時が私は28歳。あと2週間で29歳になる年」
光原「僕が30か31ぐらいかな」
浅美「そう。それで結婚した時は32歳と35歳か」
ここまでの流れを読んできた人なら、きっとわかるでしょう──。99年の念願のゴールインのひと押しだって、
浅美「……私が押せ押せですよ。うおー! 結婚だ! 結婚だ! と」
光原「僕は、あんまり結婚はどうかなとか思っていたんだけど、まあ結構ね、押してくるから。まあ、そろそろいいかなみたいな」
──この頃って、ちょうど浅美先生が『Romancers』を連載されていたころだと思うんですけど、お忙しいお仕事ですし、ジャンプ作家さんって漠然とですが、すごくお稼ぎになるイメージがあるので、結婚への不安みたいなのはなかったですよね?
光原「いやまあ、僕は不安だったというかね、大丈夫かなとは思ったけど……やっていけるのか」
浅美「私は結婚になんのリスクがあるのかも知らなかった。とにかく、するぞーっていう気持ちだけ。バカそのもの(笑)。うちの親が、“どんなに失敗してもいいから、1日や2日で別れてもいいから、とにかく一度は結婚は絶対にしろ!”ってうるさかったんです。それに子どものころから少女マンガ育ちだし、(少女マンガは)最後は結婚して幸せになるのが多いじゃないですか」
週刊連載は仕事もきついけど
漫画家の仕事がどんなものか、具体的に細かく知らない人でも、「忙しい」「大変」と思っているでしょう? ましてや何百万人の読者が読む『ジャンプ』に毎週描くことのヤバさと言ったら、もう。連載を抱えているときのルーティーンを聞いてみたら、
光原「1週間のうち3日でネーム(下描き)を仕上げて、あと3日で絵を描いて、仕上がったら半日寝てる感じですかね。だからずっと仕事です」
──『アウターゾーン』は1つのストーリーが連続するのではなく、1話で完結のものがほとんどでしたよね。起承転結を3日間で考えるんですか?
光原「ええ。だいたい3日目にアシスタントが来るようにしておいて、そのプレッシャーで仕上げるようにしていましたけどね。でもアシスタントが来ても、できていないことが多かったですけど」
──奥さまもネームに3~5日、原稿4~3日とのことですが、それぞれアシスタントの方は何名ぐらい抱えてらしたんですか?
浅美「うちは5人です」
光原「僕は4人かな」
──週刊連載、壮絶ですね。
光原「仕事もきついんだけど、アシスタントに気を使ったり食事を用意したりするのも結構大変なんです」
浅美「うちは『WILD HALF』のときとかは、実家だったので母が作っていました。当時は親に月30万円ぐらい入れて、“これでみんなのご飯を作って”って。食材と労働力を考えたら30万円じゃ安かったんじゃないかって感じ。悪いことしちゃったな」
教室のすみにいるタイプでも家が買える
影響力があるということは、それだけ売れていた証拠。飛び抜けている媒体で命を削って描いていた見返りも、当然ながら大きかったことでしょう。
光原「(お金は)貯まると言えば貯まる。使わないし、そもそも。使う時間がないし」
浅美「私は家、買うぞーって。まずその分は使わないで貯める。あと、この日々が終わった後に何も描ける気がしないから、その後、食っていけるようにしたいって言ったら、親が勝手に全部天引きしては個人年金のほうにドドドドッて。だから手元にはお金がなかったです」
──連載期間中に家が買えるぐらい貯まるって、ジャンプ作家の素晴らしさですね。
浅美「連載期間が終わった時に、その貯金額を見て、“今、買うしかない! 無駄遣いをする前に買うしかない!”と。ちなみに当時の週刊少年ジャンプを学校の1つのクラスとしたら、スクールカーストが上のほうの派手な子たちがいて、生徒会長がいてとかっていう世界の中では、私は教室のすみっちょにいるタイプだけど、そういうタイプでも家は買える。夢はあるよね。単行本の累計部数は、たしか600万部」
──いやいや、600万部ってものすごい部数ですよ!
浅美「いや、ほら、1億部いっている作品もありますし。そういうところと比べると」
光原「僕も彼女と同じか、ちょっと少ないぐらいの単行本部数かな」
順位が下がらないと連載が終わらない
──スクールカーストみたいな話が出ましたが、やっぱり人気ランキングって気にされてましたか?
浅美「私は気にしますよ、当然。だって人気商売なんだから」
光原「僕は単に今週何位だったって教えてもらえるだけでしたけどね」
浅美「年齢分布も(報告に)あったね。高くなればなるほど、アンケートの得票数は低くなって。だからといってターゲットにする年齢層が低すぎてもダメ。真ん中、ちょうど、真ん中世代を取れないと厳しい」
光原「中学生が一番多かった」
浅美「当時はそうだった。中学生から。もう高校に入ると年齢が上のほうになって。今はずいぶん上になったんですってね、ジャンプの読者年齢が」
光原「まあ、あれだよね。順位が下がるのは嫌なんだけど、でも下がらないと連載、終わらないから。なんで人気がずっとあるんだろう、真ん中らへんぐらいですよね。20本中、平均したらだいたい10位ぐらい。『アウターゾーン』はずっとそんな感じだったんだけど」
浅美「たまに3位とか4位もとってたじゃん。私はよくても5位とかだったから」
光原「一体この連載をいつまで続けないといけないんだろうって思いながらも、でも人気が落ちるのは嫌なんですよね。だから、わざと手を抜いて、つまらないのをやって人気を下げてやろうとか、そういうのはなかったですね。
ウケを気にして内容を変えるとか普通の連載だったらあるんだけど、僕は1話完結をずっと続けている感じだったから、そんな余裕ない。とにかく作らないといけないから。載せるのが精いっぱい。とりあえず毎回全力でやるみたいな」
浅美「読者から応援の手紙がいっぱいくる回と、アンケートがいい回は別だったりするんですね。ちなみに私、すごくお手紙がくる人だって言われていたんですね、当時」
ジャンプは天才であることがスタートライン
──ジャンプ作家さんって、やっぱりモノが違うというか。そもそもデビューすること自体が、狭き門じゃないですか。何年かかりました?
浅美「20歳で投稿を始めて、デビューはその年」
──天才ですね! すごいです。
浅美「ジャンプは、天才であるっていうのが、まずスタートラインに立つ条件なので、別に普通です。それ以上にすごい人がいっぱいいる。10代でデビューしている人もいっぱいいるわけだから」
光原「僕はちょっと遅かった。投稿したのが大学4年、21歳ぐらい。就職しようか、それとも漫画家の道にいこうか迷っていて。佳作に入ったから、じゃあ漫画のほうにしようと。デビューしたのはその2年後ぐらいかな?」
浅美「23歳ぐらいじゃなかった? 『リボルバークイーン』(87年)だよね」
光原「そうだね」
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※インタビュー第2回は『ジャンプ作家の夫婦が漫画家人生を語る「億ってすぐなくなっちゃう」「あそこで終わらなかったら死んでいた」』
(取材・文/相良洋一)
《PROFILE》
光原伸(みつはら・しん) ◎1月31日生まれ、広島県出身。代表作は『アウターゾーン』。新作『アウターゾーン リ:ビジテッド』(ホーム社)は休載中。
浅美裕子(あさみ・ゆうこ) ◎12月22日生まれ、埼玉県出身。代表作に『WILD HALF』『Romancers』『天より高く!』など。趣味はテニス、野球などスポーツ観戦、映画鑑賞。2019年2月に脳梗塞を経験するが麻痺なども残らず回復。『猫またハイロ』や『ホラー作家に愛され過ぎて眠れない』の執筆も。
◎『猫またハイロ』
◎『ホラー作家に愛され過ぎて眠れない』
◎公式サイト http://karen.saiin.net/~whsalsa/index.html
◎公式Twitter https://twitter.com/yukoasami1