今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年7月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
今回は、’83年にレコード・デビューを果たし、’92年の解散までシングル全31作がオリコンTOP10となったチェッカーズに注目。チェッカーズについては、アイドル時代を中心に作詞家の売野雅勇にも振り返ってもらった。
(売野雅勇インタビュー→チェッカーズの昭和・平成・令和の人気1位曲は「ジュリアに傷心」、売野雅勇が“生みの苦しみ”明かす)
このたびは、2023年にポニーキャニオン時代のソロ楽曲がすべてサブスク解禁となった、メンバーのマサハルこと鶴久政治に、’86年以降のセルフ・プロデュース期や自身のソロ作品について語ってもらう。
チェッカーズはアジア地域で人気! 鶴久のリードボーカル曲は香港で1位に
なお、チェッカーズの月間リスナーは常時25万人前後で、このうち約3割が海外リスナー。シティ・ポップとして注目される多くの昭和ポップス系はアメリカやカナダで強いのに対し、チェッカーズの場合はインドネシア、台湾、ベトナム、フィリピンなど、アジア地域で強いのが特徴的。この結果を鶴久に伝えると、
「へぇ~! 僕たちの海外ライブは、’87年に秋元康さんの企画で“円高差益還元ライブ”をロンドンでやったくらいで、アジアツアーはなかったですね。ただ、初期のころ仕事で香港に行った際、クラブに遊びに行ったら、僕がリードボーカルの『24時間のキッス』(アルバム『もっと!!チェッカーズ』に収録)が、現地では人気ランキング1位だったんですよ。2位がマドンナ、3位がワム! の楽曲だったから、“マサハルはひょっとしてソロでもイケるかもよ?”なんて、みんなから茶化されました(笑)。海外ではそういったヒット現象が起こり得るから面白いですよね!」
ただ鶴久自身は、SNSについては楽曲の確認と、ファンとのコミュニケーションの際に利用するくらいで、音楽ストリーミングサービスはまだ活用していないとのこと。
「すみません……、もっぱら曲を作るほうが好きなので、作っている最中に“このメロディー、他の曲と似てしまっていないかな?”と確認のために、たまにYouTubeを検索する程度ですね。たとえ似ていたとしても、自分がリスペクトしているアーティストの曲ならば、あえて似ている部分を残します」
では、ここからチェッカーズ限定のSpotifyランキングを見てみよう。
チェッカーズの楽曲はコーラスのバリエーションが豊富。特に難しかった曲は?
Spotify第1位は「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」、第2位は「星屑のステージ」と’84年のシングル2作が拮抗(きっこう)する形となった。
「世間一般には『ジュリアに傷心』圧勝かもしれませんが、『星屑のステージ』も、何かのオールリクエスト投票をすると1位になっていることはありますよ。やっぱりマイナーな匂いが好まれるんでしょうかね。でも、いかにも昭和歌謡っぽいメロディーと思われがちですが、’60年代のポール・アンカやロイ・オービソンあたりもやっていたので、(オールディーズ風が得意な)チェッカーズと相性がよかったんでしょうね」
それにしても、この2曲を聴き直してみると、主旋律ではないコーラス部分が非常に多く、改めて驚かされる。だからこそ当時、学校内などでもメイン役とコーラス役の掛け合いで盛り上がったのだろうが、この緻密さはどういった経緯から生まれたのだろうか。
「ドラム、ベース、ギター、サポートのキーボードと、メンバーの楽器が限られているので、コーラスでバリエーションを持たせる必要があったんですよ。それと、(作曲・編曲の)芹澤(廣明)先生は、めちゃくちゃコーラスがうまくて、チェッカーズの前にスタジオミュージシャンとして、CMの音楽賞も何度か獲ってらっしゃるほどなんです。しかも、譜面に強い方なので、主旋律の三度上とか下とかシンプルなものだけじゃなく、主旋律とまったく関係のないメロディーのコーラスもたくさんあって大変でした。特に、『絶対チェッカーズ!!』に収録されているアカペラの『ムーンライト・レヴュー50s’』などは本当に難しかったですね」
売野雅勇の歌詞と相性◎。鶴久に与えられたソロ曲「HE ME TWO」には驚き
もともとデビュー前から、メンバーが一部の自作曲を手がけていたチェッカーズだが、’86年まではすべてのシングル表題曲が芹澤廣明によるもの。ヒットを飛ばしてきたものの、そこでの葛藤はあったのだろうか?
「確かに『ギザギザハートの子守唄』がデビュー曲だと言われたときは、それまでアマチュアでやっていたアメリカン・ポップス路線とは系統が異なるので、戸惑いました。でも先生は僕たちの意見もちゃんと聞いてくださっていて、“まずはヒットしないと、何もできない。これは(作詞家の)康珍化さんと作って書き溜めていた自信作で、これが似合うアーティスト用に、とっておいたんだ”とおっしゃって。それに、『ギザギザハートの子守唄』は1回聴いたら覚えてしまうほどインパクトありますから、納得しました。しかも、2曲目の『涙のリクエスト』は、僕らのルーツとなるアメリカン・ポップスを売野雅勇さんが歌詞に反映させてくださったので、すごく入りやすかったです」
納得のうえでの職業作家路線だったようだ。そして、売野雅勇の歌詞については、
「(藤井)フミヤさんがよく言っていたのが、“売野さんの詞は歌っていると熱くなってくるから、ライブのときに感情移入しやすい”ということです。僕は、アルバムのソロの曲で同性愛をテーマにした『HE ME TWO』を歌うことになってビックリしましたけどね(笑)。たぶん、当時カルチャー・クラブが流行(はや)っていたのと、(メンバーの)高杢(禎彦)さんが硬派なパートだから、バランスとして、僕はそっち担当だったんでしょうね。数年前に売野さんにお会いしたとき、“俺はあの曲好きなんだよ”っておっしゃっていて、アルバムの1曲でもよく覚えていらっしゃるんだなと感心しました。当時は、上京して引き出しが何もないころで、プロの作家の方のそういった思いも知らずに歌っていましたね~。
売野さんに作ってもらった中で僕がいちばん好きなのは、‘86年の『Song for U.S.A.』ですね(Spotify第7位)。サビが英語なのもカッコいいじゃないですか。これは、もともと’85年のアルバム『毎日!!チェッカーズ』用の1曲だったのですが、会社のお偉いさん方がとても気に入られて、曲ありきで映画を作りたい、という話があれよあれよと実現していって、翌年にシングルで発売となったんです」
鶴久の作曲した楽曲たちは「歌っていて気持ちいいところ」も長く愛される秘訣
そして、メンバーが詞曲を手がけた楽曲は、第5位の「I Love you,SAYONARA」、第6位の「夜明けのブレス」、第8位の「Room」、第9位の「素直にI’m Sorry」、第10位の「Blue Moon Stone」と5曲がランクイン。いずれも当時のシングル売り上げ順よりも上位となっており、時間をかけてより本格的なヒット曲に成長していったことがわかる。
このうち「夜明けのブレス」と「Room」が鶴久の作曲で、いずれもロングヒットしたイメージが強い。
「この2曲は、カラオケの歌唱回数がめちゃくちゃ多いんですよ。特に『夜明けのブレス』はぶっちぎりで。2曲とも、ただ聴くよりも歌っていて気持ちいいことも、多くの方の心に刺さっているんじゃないですかね。自分の思いが必ずしも正解というわけでもないのですが、幼いころから、自分が好きになる曲がヒット曲ばかりだったんですよ。例えば、洋楽のアルバムを借りてきても、自分がいいと思った楽曲が、後にシングルでリカットされるということが多くて、そういったわかりやすい感覚を持っているんだと思います。
チェッカーズの曲の採択方法は身内でのコンペ形式です。ポニーキャニオンと当時の事務所、双方のディレクターとメンバー7人による話し合いで決めています。その中で、僕の楽曲が多いのは……みんなが酒を飲んで遊んでいるときに、コツコツと作曲していたからじゃないでしょうか(笑)。僕が曲を作り始めたのは高校生のころからですね。でも、作り方もよくわからないので、1年に1曲ペースとかでしたね。作曲がうまかったわけでもなく、鼻歌の延長でギターでなぞって作る感じで。今ならば、“こういうコード進行にしちゃダメだ”とか経験則が出てしまいますが、当時は本能丸出しで作っていました。だから最近では、まずは20代のときの本能の部分を大切にして作曲することも多いですよ」
「夜明けのブレス」は「2分くらいで全部できた」フミヤへの祝福の気持ちも投入
では、鶴久が作曲を手がけたヒット曲の制作エピソードを語ってもらおう。まずは、第6位の「夜明けのブレス」から。
「当時から、風呂上がりの気持ちいいタイミングで曲を作るのですが、『夜明けのブレス』はギターを握って2分くらいでAメロ、Bメロ、サビと全部できました。でも、何かに似ているな……と気になっていたら、ジョン・レノンの『イマジン』。当時ずっと聴いていたので、メロディーが異なるとはいえ、サビまでの構想はまったく同じなんですよ。その後、『夜明けのブレス』はアルバムの中の1曲のつもりでレコーディングを進めていたのですが、フミヤさんから歌詞が出てきたら、世界観がものすごく広がったんです。それをディレクター陣が気に入ってシングルにしようと決めたところ、映画『タスマニア物語』のイメージソングに起用されたんですね」
本作は、’90年代の結婚式ソングの定番となったことも、今でもカラオケが大人気となっている要因のひとつだろう。
「これを作ったのは、フミヤさんが結婚を発表する前だったのですが、オケを作っていたときに、サビのところでおめでたい感じの鐘の音を入れてみたんですね。そうしたらフミヤさんの方から、《君のことを守りたい~》って歌詞が来たから、“ああ、自分の思いが伝わったんだなぁ”とうれしかったです。まぁ、後付けですけどね(笑)」
「Room」制作のヒントは当時大好きだった「ダンスはうまく踊れない」から
次に、第8位の「Room」。これは当時のJ-POPには珍しいレゲエ調で、アイドルというイメージにとどまらず、本格的でクールなバンドの風格も高めた1曲だろう。
「『Room』がシングルに選ばれるとは、まったく思っていなかったですね。当時は、自分のルーツから派生させて曲を作るということにしていて。あのころ、井上陽水さんが作って、石川セリさんが歌い、その後、ポニーキャニオンからも高樹澪さんがカバーしてヒットした『ダンスはうまく踊れない』が大好きだったので、この曲ではチェッカーズ風にアレンジしてみました。それで、みんなでオケを作ってみたら、なかなかカッコいい曲になって。イントロや、間奏部分の(藤井)尚之くんのサックスもめちゃくちゃいいですよね!」
ちなみに、当時の年間ランキングではシングルの37位に対し有線放送が17位と圧倒的に強く、スター性以上に楽曲が支持されていることがわかる。
「当時、われわれのヒットを予想する基準のひとつに、事務所の社長が車の中で“発売前の音源の入ったテープを何回再生するか”というのがあったんですよ。今のようにデジタルじゃないので、毎回、発売2か月から3か月前に作った音源をかけるのですが、この『Room』は、“発売前にしてもう1000回を越えていたので、間違いなくロングヒットだろう”と言われていたら、本当にヒットしたんですよ!」
鶴久は名曲をお手本にしつつも、チェッカーズの演奏や歌声を意識しながらオリジナリティを見い出すという作曲方法が実に鮮やか。幅広く世間を見渡しつつも身内の特性を反映させるという仕事ぶりは、まるで有能かつ謙虚な経営者のようにも思えて、チェッカーズ成功の秘訣に改めて触れた気がする。
次回は、そんなチェッカーズに訪れた“反抗期”(?)や、セルフ・プロデュース期のさらなる名曲に迫ってみる。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
鶴久政治(つるく・まさはる) ◎1964年3月31日、福岡県生まれ。’83年9月21日、 チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。サイドボーカル・メロディメーカーとして「夜明けのブレス」「Room」「ミセス マーメイド」をはじめとする数々のヒット曲を手がける。’92年12月31日、NHK紅白歌合戦への出演を最後にチェッカーズ解散。解散後もライブ、CD制作、作詞、作曲、プロデュース、役者等、幅広く活動。’22年、STU48に楽曲提供した「花は誰のもの?」は売上44万枚を超えるヒットを記録。’23年4月、ソロ名義でリリースした作品及びデュエット企画で発表した全81曲のサブスクでの配信を開始した。
◎鶴久政治 公式Instagram→https://www.instagram.com/masaharutsuruku/
◎鶴久政治 サブスク一覧→https://lnk.to/Tsurukumasaharu