ゲームが教える世界の論点
コロナ禍によるインドア生活で、社会人はテレワークを、学生はオンライン授業の実施を経て、自宅でPC・タブレット機器を積極的に利用するようになった。
これによりインターネット・トラフィックが2年の間に約2倍に増加したという調査結果もある(※)。外から内へと国民全体が動いたことで、興味・関心はインターネットに親しいカルチャーへと向かい、関連産業は急速な成長を遂げることになった。
※令和4年版情報通信白書ならびに「情報通信白書刊行から50年~ICTとデジタル経済の変遷~」より。
藤田直哉による『ゲームが教える世界の論点』(集英社新書)が出版された事情を探ってみれば、こうした状況によって今まさにゲームプレイヤー数がグンと伸びているからこそという部分は大きいだろう。
本書では「ポストトゥルース」「分断」「革命と叛乱」「新自由主義」「家族と生命」の5章に分けられ、そこからゲーム作品を取り上げてテーマ性や表現についてレビュー・考察し、「このゲームから何を学ぶか? どのような視点か?」が記されている。
その多くが2010年代に制作された作品ばかりで、それらのゲームを通じて生きること・社会の複雑さやジレンマについて触れることができるはずだ。
現実世界とネット社会の対比を見事に表した『ペルソナ5』
本書の中でも特に筆者が共感し考えさせられたのは、学園ジュブナイルRPG『ペルソナ5』(アトラス)だ。
書籍の第1章「ポストトゥルース(※)と陰謀論」の中で『ペルソナ5』には「情報操作に対抗する個の覚醒」という題を付けている。
※ポストトゥルース:世論の形成において、客観的事実よりも感情的・個人的な意見のほうがより強い影響力を持つこと。
2016年に発売された本作は、ゲーム冒頭から無実の罪を着せられた主人公が、さまざまな理由で社会のつながりから孤立してしまった同世代の少年少女と出会い、謎のアプリ「イセカイナビ」を使って心の世界へと降り立つ。
ペルソナ使い(同作品シリーズのオリジナルワード、いわば特殊能力者のこと)へと成長した彼らは、さまざまな悪行を働く者たちを改心させるべく、悪人たちの心を奪い取って文字どおりに「改心」させる、「心の怪盗団」として動き始める。
本作では「現実世界」と「イセカイ」という2つの世界が表現されている。イセカイの敵は人間の本性が露わになった禍々しい姿をしており、イセカイでペルソナの力を使用した主人公らは、“怪盗”を模した普段着とは違う姿を見せてくれたりと、私たちが現実世界とインターネットをはじめとする空間で、異なる顔を持つことを強く意識した表現がなされている。
間違いをただすためのアクションは、正義か? 悪か?
ゲームについての解説は書籍に任せつつ、ここでは『ペルソナ5』が現代的なディテールを帯びている点について追いかけてみたい。
主人公たちの怪盗団は「怪盗お願いチャンネル」というWebサイトで評価されており、その支持率が重要なキーワードになっている。中には主人公らを貶(おとし)めるようなグループも登場し、ネットを味方にするための情報操作・世論操作が描かれる流れは、フェイクニュースやポストトゥルースをかなりストレートに表現している。
この話題が世界的に大きな衝撃を与えたのは2016年ではないかと思う。アメリカの大統領選挙とイギリスのEU離脱を問う国民投票などで、フェイクニュースサイトを出自とするでたらめな情報やヘイトスピーチが次々と報道され、それらが真偽不明のままSNSを通じて拡散。2つの選挙において、支持率や投票結果に大きな影響を与えたといわれている。
その後は多くのフェイクニュースが広まるなど悪化の一途をたどり、こういった情報を広めたり信じている層を「オルタナ右翼」「陰謀論者」と表現するようになったのも、ここ5年ほどの話題である。
『ゲームが教える世界の論点』の冒頭では「ゲームは政治に影響する」という核たる部分を記す際に、藤田氏も彼らの存在について触れ、その危うさを書いている。このように記した部分と、『ペルソナ5』が語られる部分は別々の章であるが、筆者としてはかなり身近な話題であるがゆえに、2つの箇所は地続きのように見えてしまう。
『ペルソナ5』の主人公らは、正義感ゆえに悪事を働く人たちを暴こうとする。そしてゲーム内の“大衆”もまた、正義感ゆえに”匿名”で主人公らを攻撃するシーンがある。本作はゲームということもあり「悪人」の立場が明確に描かれ、あくまで主人公としてプレイヤーは置かれている。
さて、現実にはゲームのようにわかりやすい「悪人」はいるのだろうか? そもそも「正義」「悪」とは何が理由で誰が決めるのだろうか?
折しも『ペルソナ5』のリリース日は’16年9月15日。先に説明したポストトゥルースやフェイクニュースが盛り上がったタイミングと被(かぶ)っている。この状況を予見していたかはわからないが、不正や間違いを覆(くつがえ)そうとネット上でさまざまなアクションをする人たちが持つ危うさや団結力を、偶然にも描いているように思える。
いきすぎた正義感が、無用な暴力となってまた傷つけていく
一度ゲームの世界から離れ、現実の世界に目を向けてみよう。ここ数年では、ネット上での誹謗中傷行為も話題を集めている。
’99年ごろに起こった「スマイリーキクチ中傷被害事件」(※)を筆頭に、2010年代後半に入るとYouTuberやインフルエンサーに対する批判・中傷が相次いだ。
※スマイリーキクチ中傷被害事件:お笑いタレント・スマイリーキクチが、凶悪事件の実行犯であるとする誹謗・中傷被害を長期間にわたり受けた事件。
特に女子プロレスラーの木村花さんがSNS上での誹謗中傷をキッカケに自殺し、その後のニュース報道を通じて「ネット上での誹謗中傷行為」に関して敏感になった方もいるであろう。
「しょせん他人事(ひとごと)だから」と思って放つひと言でも、何百・何千と集まれば大きな否定として受け取られてしまう。芸能人・インフルエンサーだけではなく、学校の裏サイトやSNSの裏垢からネットいじめへと発展するパターンは現在でも続いている。
この記事を書いている’23年2月現在、日本では「寿司テロ炎上」の話題が毎日のように報道されている。大手回転寿司店にて若い男性が迷惑行為をしている動画がSNS上にアップされた。
もちろん、加害者男性がやらかしたことは悪徳で不品行であり、お店側の損害は計り知れない。お客のマナーについて議論が進むことも、筆者はむしろよいことだと感じている。
だがそれと同じくらいに、加害者男性の住所・氏名や家族のプライバシーを暴露し、その後の人生を台無しにしてしまうような赤の他人による私刑がネット上で巻き起こっている状況だ。少年が通っていた高校にはクレームの電話が相次ぎ「これ以上、学校に迷惑をかけられない」と自主退学したという。
不品行な振る舞いをした若い男性に対し、店側が裁判をするとアナウンスをしたうえで、ここまで大きなバッシングを与えている状況なのだ。
このような様子を見ていると、まさに『ペルソナ5』で描かれた「不正や間違いを覆そうとネット上でアクションする人たち」が、ゲームの中だけの世界ではないことが容易にわかるだろう。それもかなり過熱化し、行き過ぎた形でだ。
いきすぎた正義感が無用な暴力となってまた傷つけていく、不徳な悪行を起こす人を監視する社会と化した日本に、本作品の表現と本書の評価はピッタリとハマっているといえるだろう。
(文・草野虹/編集・FM中西)