土日に家族やカップルで美術館に行く人は案外、多い。しかし、そこからアートの世界にどっぷりとハマる方は意外と少ない。同じ娯楽なのに、マンガやアニメに比べると「オタク率」は悲しいくらい低い。
その理由は、「なんか超ハードル高くて難しそう」とか「高尚な趣味っぽくて入っていけない」といったイメージがあるからだろう。美術館に行って興味を持っても「……うんうんうん。で、結局なにそれ?」となり、ハマるに至らないパターンはけっこうあるはずだ。
そこで、「もう逆にハードルをグッと下げて、友達とおしゃべりするみたいに、フランクに西洋美術史を紹介しよう」と。しかも、「重要でおいしいところだけパクパクつまみ食いしちゃおう」というのがこの企画。今回は「ルネサンス美術」についてお届けする。
ルネサンス以前、美術は「キリスト教会」のためのものだった
「ルネサンス」は14世紀末からイタリアで起きた、古代ギリシャやローマの文化を復興しようとする文化運動だ。人々のモノの考え方がガラッと変わったので、美術作品の方向性もがっつりとハンドルを切った。
「じゃあ何が変わったのか」を先にひと言でまとめると、世の中がみんな「そこの君、そろそろ現実見ようぜ」っていう「リアルガチ思考」になったんですね。現実的かつ合理的なのが、ルネサンスの美術なのだ。
では、それまでのイタリアの美術はどんな感じだったのか。どうして急にみんな現実的になったのかをみていこう。
ルネサンスより前の時代、画家や建築家は「教会」や「国家」から仕事をもらってメシを食っていた。特に「キリスト・カトリック教会」が超デカめのパトロン。世の中が「キリスト教」を中心に回っていたので、基本的に美術も「聖堂の建築」や「聖堂のなかの祭壇画」「聖書の挿絵」などがメインだった。
そして美術家たちは、「聖書の名シーン集!」みたいな感じで、一場面を抜き出してイエスやマリアを描くことで、入信者を増やすことに貢献していたのである。宗教画がスタートしたのは3世紀ごろで、初期は「いやいや、キリストを作品にするのなんてダメだから(偶像崇拝禁止)。はーい燃やしまーす」とさんざんな扱いをされていたが、だんだんと許容されるようになる。つまり、このころからルネサンスまで1000年くらい、イタリアではずーっと「美術といえばキリスト教関連」という時代だった。
ルネサンス以前の絵の特徴は「2D」「真顔」「想像上の場所」
ルネサンスより前の宗教画はどんな作品だったのか。「ビザンティン」「ロマネスク」「ゴシック」などトレンドによって多少は違うが、基本的には以下が大きな特徴である。
・舞台は想像上の場所
・のっぺりした2D
・基本みんな真顔で固定されたポージング
まず聖書をもとにしているので、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな空想上の世界が舞台だ。そのためリアリティーを出す必要がなく、のっぺりと平面で描かれている。さらに「キリスト教は規律がしっかりしているところでっせ」と演出するために、もう全員が「迫真の真顔」。しかも、同じようなポージングだ。めちゃくちゃ無の表情でこちらを見てくるので、つい会釈(えしゃく)しそうになる。
ルネサンスが起きた「3つの背景」
そんなキリスト教会が中心で「やっぱり神って最高! 美術は神のためにあるべき」という文化も終わりを迎えて、ルネサンスが始まるのだ。では、「どうして流れが変わったのか」についてたどっていこう。
まず大きな要因が、「キリスト教会が弱くなっちゃったこと」。当時、教会は『十字軍』という部隊をつくって「おらー! 聖地・エルサレムを返せー!」と、イスラム教と戦争をしていた。いま考えたら「懺悔(ざんげ)待ったなし」だが、聖職者だって、ときには戦争するのだ。
それがきっかけで、西方から東方に遠征することになり、ヨーロッパの国が東方の文化を知り、貿易が始まる。すると、品物に混ざってネズミが入ってきてしまい、数億人単位で死者を出した感染症「ペスト」がヨーロッパにやってくる。人がどんどん亡くなってしまう状況に、聖職者は「ペストにかかるのは罪を背負っているからだよ。祈りが足らないのだよ」と説き、入信者もガチで信じていた。コロナ禍だったら「ちゃうちゃう! 早くワクチン打って!」とツッコみたくなるが、当時はそれほどまでにキリスト教中心だったわけだ。
ただ、当たり前だが、そんな聖職者自身がペストで次々に亡くなる。それで教会の信用は失墜し、たくさんの入信者を失う。また、そんな状況で十字軍の遠征もうまくいかず、キリスト教会は弱体化していくのである。
そんななか、教会にかわってイタリアでパワーアップしていくのが、イタリア・フィレンツェの市民たちだ。東方との貿易が始まったし、繊維が飛ぶように売れた。
なかでも「メディチ家」は銀行(両替商)なんかを始めて、もうウッハウハ。で、儲(もう)かりまくったから、自分で自治体(コムーネ)を作って運営するレベルにまで成長する。そして、このころから市民が「国」「教会」に加えて、芸術家の「第3のパトロン」になるのだ。
また当時、(戦争ばっかりで何とも心が痛いが)、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とオスマン帝国が争っていた。そのあおりを受けて、ギリシャの学者がイタリアに移住。すると、彼らは昔のギリシャの資料を読解できるようになり、イタリアで古代ギリシャの文化が花開くのだ。
今だと「Google翻訳」で一発だが、当時は他国の本を読むのにも移住が必要な時代だった。
「神のために……!」から「やっぱ人が大事っしょ」の思想へ
ここまで流れを追ってきた「教会の弱体化」「市民のパワーアップ」「古代ローマ・ギリシャ文化の開花」が合わさった結果、世間はどうなったか。
「1000年くらいずーっと“神が最高”って思ってたけど、やっぱ人っしょ! われらはキリスト教が大事になる前の古代ギリシャ・ローマに帰るべきやで」と考えたわけだ。この「人が大事」という考えを「人文主義(ヒューマニズム)」という。
ルネサンスとは、和訳すると「文芸復興」。これは「古代ギリシャ・ローマのアートへの復興」という意味だ。そして、逆にキリスト教が流行(はや)っていた1000年間は“文化が育たなかった時代”という意味で「暗黒時代」と呼ばれるように。手のひら返しがスゴい。
そして、とにかく「神(想像上のもの)ばかり見てたらダメよ! そろそろ人間(現実的・合理的なもの)を直視しないと!」という考えがブームになっていく。これが、ルネサンスの思考だ。
ルネサンスのアートの特徴を代表作から読み解いてみる
こんな背景があるので、ルネサンス美術は一気に「現実的」になっていく。作品の特徴も「想像上の舞台・2D・真顔」から、「リアルな土地が舞台・3D・感情表現豊か」に移り変わり、もうなんか、みんな「冗談が通じないビジネスマン」みたいな風潮に。
また、同時に「古代ギリシャ・ローマからヒントを得た」みたいな作品も、しこたま出てくる。例えば、古代ギリシャの神がマリア様のポーズをとっていたり……。もうこれ、アレですからね。「ミッキーマウスがかめはめ波を打つ」みたいなことですからね。
では、そんなルネサンスを象徴する美術作品を紹介しつつ、「ここがルネサンスっぽい」という部分を追っていこう。
◎ブルネレスキ作『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(のクーポラ)』
ルネサンスにおける美術の変化で最もデカいのは「遠近法」だ。ブルネレスキという建築家が「おや、われわれが見る景色はすべて集約する点(消失点)があるぞ」と「線遠近法」を発明したのがその起源である。この発見から、絵画には一気に遠近感が出てきて「3D」になっていくわけである。まさに、ルネサンス期の大発明だ。
そんなブルネレスキの作品で有名なのが『サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ』。クーポラとは、この画像の上のドーム部分である。もともと、このクーポラは足場を組めず、従来の手法では作れなかったのだが、彼は古代ローマの神殿『パンテオン』の建築法をヒントにして、足場なしで石を積み上げて作っていった。
これ、誰もが思いつけたけど、誰も実践しようとは思わなかった設計方法。それをやってのけたクーポラの設計の逸話が「コロンブスの卵」の原案になったといわれている。
◎レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)』
レオナルド・ダ・ヴィンチはひと言でいうと、もう「ルネサンスルネサンスしてる人」。とにかく、すんごい左脳型で現実主義者。「自分でやってみて、目で確認したもの」しか信じない。それでいて好奇心旺盛だったから、もう大変。画家だけでなく、解剖学者、数学者、飛行機の設計士、動物医学者、植物学者、気象学者、地質学者などなど、とにかく「見えないものを解明してやろう」という思いから、とんでもないマルチタレントっぷりを発揮した。
よって、彼が描く「天使の羽」は鳥類のソレだ。「飛行する生物=鳥」なので、天使といえども羽は鳥なのである。ちなみに飛行機を作る際も、鳥みたいに羽ばたくタイプのものを設計している。
そんな彼の現実主義的な考えが詰まったのが名画『モナ・リザ』。モデルであるジョコンダの顔に注目してみると「輪郭線」がないんですよ。同時期の他者の作品を見ると、どれも輪郭は黒く縁どられているが、モナ・リザにはない。彼は、指でなぞって輪郭をぼかす「スフマート」という手法を発明して輪郭線を消した。
その理由をダ・ヴィンチに聞いたら「だって、人の輪郭って黒くないもん」と、あっさりした回答が来るだろう。そりゃそうだ。デーモン閣下ですら白い。
また、背景にも注目。遠くなるにしたがって山が青みがかり、霞(かす)んでいくのがわかるはずだ。これは、ダ・ヴィンチが発見した「空気遠近法」という手法である。あらゆるものを細かく観察していたダ・ヴィンチならではの気づきといえる。
◎マザッチョ作『楽園追放』
これは、「アダムとイヴが禁断の果実を食べて楽園を追放される……」という名シーンを描いた作品だ。もうなんかパッと見でわかると思うが、この圧倒的「やってもうた感」が、ルネサンスを象徴している。リンゴ食べて「恥」の概念を知って、身体を隠すさまは、めちゃめちゃ感情表現が豊かで、リアリティーがある。
◎ロベルト・カンピン作「受胎告知」
ロベルト・カンピンはイタリアでなくフランドル(現在のベルギー)の画家だ。イタリアから始まったルネサンスは、このように周りの地域にまで伝播(でんぱ)していき、長い歳月をかけて、ヨーロッパじゅうが現実的、合理的なモノの考え方になっていく。
『受胎告知』は天使・ガブリエルがマリアのところにきて「あなた、処女ながら不思議な力でキリストを身ごもりましたよー!」と告げる名シーンだ。数々の画家が描いている人気のテーマである。
カンピンの『受胎告知』が面白いのは、この「ザ・実家」という感じ。普通の中流階級の家が舞台。かつ、マリアが「実家に帰省して雑誌読んでる大学生の娘」のような感じで描かれている。ガブリエルが「あの~、聞いてます?」みたいな。マリアは「ちょっと待って。来週のコーデ考えてるから」みたいな。舞台にリアリティーがあると、逆にシュールになる。
「現実主義」「写実主義」という新たな表現
さて、こんな感じでルネサンスは世間と芸術家の思考を「神中心から人間中心」「空想中心から現実中心」にガラっと変えてしまったわけですな。これを契機に、宗教画のほかにも「風景画」「静物画」などの「現実を写実した絵」を描く画家も登場する(価値を認められるのは、まだまだ先だが……)。
西洋美術史に着目してみると「そのとき作品を通して作者が伝えようとしていたこと」や「時代背景」が明確にわかるようになるはずだ。すると作品の見え方が、今までとはまた変わってくる。
ただし、最後に「これだけは言いたい」ってのは、「アートのとらえ方は人それぞれ」ということ。歴史が「正」というわけではなく「自分がどう見えたか」を正としていいはずです。だから、あくまで歴史はひとつのスパイスとして、自分の感受性を頼りに、美術館での体験を楽しんでいただければうれしい。
(文/ジュウ・ショ)