西城秀樹さんが『恋する季節』でデビューを飾って50年。圧倒的な歌唱力とエネルギッシュなパフォーマンス、野性味にあふれ華やかなルックス、親しみやすい人柄と明るい笑顔は、今も人々の胸に焼きついている。
アニバーサリーイアーの2022年は待望のスペシャルコンサート『THE 50』など、ファン待望のイベントも。秀樹さんの5歳年下で、マネージャーとして35年間にわたって支えた片方(かたがた)秀幸さん(61)の貴重な証言をもとに、さらにエピソードを拾っていく。
※前回のインタビューは『西城秀樹さんと35年、間近に接した愛すべき素顔「飲み屋で隣り合った人と──」』
本当に何でもできてしまう!
──秀樹さんで “ここがすごい!”と思ったのは?
「とにかく音楽はもちろんですが、すげーと思ったのはフジテレビの『新春スターかくし芸大会』です。忙しいスターたちが仕事が終わった夜中に集まってくるんですが、一芸に秀でている人たちは本当に何でもできるんですよ。
高さ1メートル以上もある竹馬みたいなものの上に乗ってダンスをしたときは(1987年放送『足長ダンス』)、何度も何度も練習しました。三田寛子さんと一緒でしたね。
僕が現場につく少し前ですが、流鏑馬(やぶさめ)で走っている馬の上から弓矢で的を射抜くとか(1984年放送)。高いところで綱渡りをしながら、扇や槍(やり)を持って『黒田節』を舞ったり(1983年放送)」
──運動神経が抜群ですし、いつも身体をはっていましたよね。
「すごかったのはクルマの片輪走行(1990年放送『ハイウィング・スペシャル』)。自動車の車体を傾けて2輪だけで走行するんですが、スタントマンの方でも難しいそうです。
秀樹さんも怖かったと思いますよ。何回もひっくり返りましたけど、成功させるまでぜったいにあきらめない。屋根が凹んだらたたいて直す。ぺちゃんこになったらたたいて直す。それでも30台以上、クルマを廃車にしたと思います」
──やらせなしの本気ですね!
「一点への集中力ですよね。かくし芸のレベルじゃない。命がけに近い感じでした。最終的には100メートルくらいを片輪で走りきって成功したんですが、止まれなくなって電柱にぶつかっていましたから。
『かくし芸大会』では堺正章さんが特に有名ですが、あのころのはみなさん本当にすごかった。だから少し後の時代を見ると、なんて簡単なことをやってるんだろうって思っちゃいますよね」
フジテレビといえば『夜のヒットスタジオ』への出演も多い。
「番組としてはやはり『夜ヒット』の印象が強いです。僕がマネージャーとしてついた時代は(1984年〜)、ちょうど『ザ・ベストテン』の世代が変わったころだったので。
しかも『夜ヒット』はワンハーフではなくて、完全にフルサイズで歌えたんです。そのぶんじっくりと楽曲を聴いてもらえるし、美術スタッフも毎回こったセットを作ってくれる。だから秀樹さんも『夜ヒット』用の衣装、『夜ヒット』用のメイクに変えたりとか、本気で勝負していました。ほとんどの歌手の方がそうだったんじゃないでしょうか」
──秀樹さんの衣装は独特でしたが、どうやって作っていたんですか?
「専属のデザイナーさんがいました、ロック系の女性のデザイナーさんが多かったですね。本人が参考にしていたのは女性のファッション誌。パリコレとかが載ってるものですね」
──『VOGUE』とかでしょうか?
「はい。普通に街を歩くような格好じゃなくて、パリコレとかは奇抜な衣装を着ているじゃないですか。“これ面白いな〜” “このシルエット、ちょっと生かせないかな”と、どんどんインスピレーションがわいてくるんです。
意外なところでは、宝塚チックなものも好きでした。ファッションに関しても、いろんなところにアンテナを張っていました」
──アイデアマンなんですね。
「アイデアを考えるというより、ひらめきがすごいんです。パッと見て面白いと思ったら、“これ、やろう!”。すぐに取り入れましたから、本当に早い早い。じっくり考えてやるタイプじゃなくて、例えばテレビでちょっと見て、“こういうのやりたいよ”。と
ボン・ジョヴィがAラインのロングコート着てギラギラのをつけていたら、“これ、かっこいいなぁ”みたいな」
西城秀樹という身体を通り抜けると──
デビュー50周年の記念日にあたる2022年3月25日には、7枚組にもおよぶDVD-BOX『THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories』がリリースされた。TBSの各番組に出演した名場面を集めたもので、何度も栄誉を受けた『輝く!日本レコード大賞』も収録している。
「西城秀樹に関してはTBSさんがいちばんです。1973年の『青春に賭けよう』(4曲目のシングル)から映像が残っていますし、『ザ・ベストテン』も『8時だョ!全員集合』もあります。秀樹さんは “TBSっ子”って言われていたくらいで、たっぷり素材がそろっているんです。
久世光彦さん(ドラマ『寺内貫太郎一家』などを演出)がプロデュースした『セブンスターショー』や『サウンド・イン“S”』も含めて、せっかくの50周年なんで一気に出そうよ、と」
──全部入っているんですか?
「さすがに全部は無理でした。例えば『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は『ザ・ベストテン』に9週連続でランクインしていますが、3回くらいに絞らなければいけません。(番組史上最高得点の)9999点を記録した回など、印象的なところを選ばせてもらいました」
──秀樹さんのヒット曲はほとんどが聴けますし、洋楽のカバーも見ものですね。
「クイーンやバリー・マニロウの曲も入っています。外国の曲はふつう許諾がおりないんですが、3年間かけて交渉を進めて、デビュー50周年に合わすことができました」
よく知られているように、西城秀樹最大のヒット曲である『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』はもともと米国のヴィレッジ・ピープルのカバー。そのため日本作曲家協会が主催する「日本レコード大賞」の受賞こそかなわなかったが、時代を超えて歌い踊りつがれて、今や世界に誇る日本のアンセムに。また、ワム!(ジョージ・マイケル)の『ケアレス・ウィスパー』を日本語で歌った『抱きしめてジルバ』(1984年)も出色のできばえ。
レコード化されずライブでだけで披露したなかにも名演が多い。1985年の武道館コンサート(インタビュー前編を参照)では当時のシングル50曲すべてを歌い上げたあとアンコールの最後にボブ・ディラン作曲の『アイ・シャル・ビー・リリースト』を歌ったが、日本語の歌詞も、歌唱表現も、みごとなまでに西城秀樹のオリジナルと化していた。
「本当にびっくりするのは、西城秀樹という身体を1回通り抜けると、とてつもない曲に生まれ変わるということです。カバーであってカバーでないというか」
──選曲で驚かされることはありましたか?
「ありました。僕らの感覚とはまったく違うところで、秀樹さん独特の直感というかインスピレーションがわくみたいで、“片方(かたがた)、これに詞を書いて!” “はぁ!? ”みたいな」
──例えばどんな曲でしょう?
「ボン・ジョヴィの『WE GOT IT GOING ON』。これは2000年代にけっこう歌っています。金曜日の夜、仕事終わったらスーツを脱いで盛り上がろうぜ、みたいな歌で、秀樹さんの作品としては出ていませんが、オープニングで使ったりアンコールの1曲目とかでやりましたね。
このときも秀樹さんに言われて、僕が歌詞のたたき台を書いたんですけど、10分ぐらいすると “できた?”って」
──せっかちですねぇ(笑)。
「せっかち(笑)。横にずっとついて見てるんですよ。
それで英語の歌詞は参考程度にして、男の心情やカッコいい情景描写みたいなのをロックのビートに乗せていきました。ひと通り言葉を並べたところで、“片方、これ歌ってみろ”。
本当に仮歌ですよ。ちゃんと乗っかっていない、ただ語呂だけ合わせたのを聴いて、 “うん、わかった”。それが次にバンドと一緒にやるときには、秀樹さんの身体を通って出てくる日本語が、完全なるロックに変わってるんですよ。これはすごい才能ですよ」
「俺だったらこれ」というセンス
パッケージとして世に出たなかでは、ライブDVD『FRONTIER ROAD』(1991年)の1曲目『Workin’ for Money』も片方さんが訳詞したもの。
「クレジットでは織田哲郎作詞・作曲となっていますが、実は織田さん自身は全編英語で歌っているんです。その曲があまりにもかっこいいものだから、秀樹さんが “これ、(日本語の)詞をつけてくれ”と」
──そういう曲はどうやって見つけるんですか?
「サンプル盤をもらっていろいろと車の中でかけるんですが、何百曲、何千曲ある中でビビッとくるものがあるみたいで。その1曲を選ぶセンスがすごいんですよ。
秀樹さんには “俺だったらこれだな” みたいな。 “俺が歌ったらこうなるぞ” という完成形が、ちゃんと描けているんでしょうね」
──すごいです。やっぱり移動中も音楽を聴いているんですね。
「車の中で、当時はカセットかな。ずっとBGMでかけていると、たまに(秀樹さんに)引っかかるんですよ。“ん? これ、なんて曲?”。そうすると来た来た来た(笑)、って。
あとは歌番組の資料もずっと聴いていました。それこそ『夜ヒット』とか『ミュージックフェア』とか、いろいろな番組でいろいろな曲を覚えなきゃいけないので、車の中に入ったら自分でカセットを出して曲をかけていましたね」
──カーステレオですか?
「いいえ。カセットデッキを後部座席に持ちこんで、ゴロンと寝っ転がりながら、秀樹さんが自分でガチャガチャやるんです。
NHKでは『青春のポップス』のレギュラーを4年間(1998年〜2002年)やったんですけど、あれは基本ぜんぶ洋楽のカバーでした。新しい曲に挑戦するときは、秀樹さんのキーに合わせたデモテープが届くので、それをじっくり聴きながら、秀樹さんオリジナルの洋楽ポップスを作っていきました」
──仕事を離れて、カラオケを楽しむなんてことはありましたか?
「たまに、ですね。芸能界でも細川たかしさんのようにご自分から率先して歌われる方もいらっしゃいますが、秀樹さんは歌ってと頼まれても “いや〜”って遠慮したり。
でも、気分が乗ると『北酒場』を歌っていました。そこで僕が呼ばれて、“北の〜”って3度上をハモると、気持ちよさそうにしてくれました」
──ほかにはどんな曲を?
「裕次郎さんはたまに歌いました。“夜霧よ〜”とかですね。ただ、あんまり日本語の歌は歌いませんし、流行(はや)っている曲とかもぜったい歌いませんでした。あくまで遊び。余興としてやるならだいたいそんな感じだったと思います」
もう一度会いたい、というよりも
4月3日と14日には横浜と大阪で、西城秀樹デビュー50周年を記念するスペシャルコンサート『THE 50』が開催される。生前最後となったソロコンサート『THE 45+1』(2017年)以来のビッグイベントだ。
「ただ映像を流すだけのフィルムコンサートとはまったく違います。実際にミュージシャンがステージに上がって、バンドがいて、そこにちゃんと西城秀樹がドーンと存在している──。そんなコンサートになります。
バンドは秀樹さんと20年以上にわたって組んできたメンバーたち。みんなこの日のためにスケジュールをあけてくれました。生バンドによる生演奏に、いまのデジタル技術でよみがえった秀樹さんの歌声と映像をお届けします」
──コンサートのタイトルは、これしかないという感じですね。
「2016年の45周年のとき、秀樹さんが “タイトルは『THE 45』でいくよ”と自分でつけたんです。で、2017年は『THE45+1』。そこからプラスを重ねて “50周年まで行けるといいよね”って話をしてたんですね。“1年1年積み重ねていきたい”とも言っていました。なので秀樹さんだったらきっと『THE50』というタイトルにしたと思います。
歌われるのは20曲以上になります。秀樹さんならこういう構成や演出にするだろうなと考えて、本当に50周年に秀樹さんがやりたかったであろうコンサートにしたいと思っています」
──いま片方さんがふとした瞬間に思い出す秀樹さんは、どんな姿ですか?
「立ち姿としては、普通のジーパンにスニーカーのかかとをつぶして履いて、アロハ1枚で歩いている。どこへ行くときもそんな感じでした。気軽に店に入っていって “あいてる〜?”みたいな。テレビ局に入る時もいつも自然体でしたし。
だから、逆にカッコつけているときはわかるんですよ(笑)」
──カッコつけるときもある?
「あります。白いロングコートを着てキメてたり。そういう時はもちろん西城秀樹になるんですけど、それを脱ぎ捨てると、本当に普通のやんちゃなお兄ちゃんなんですよ(笑)」
──秀樹さんの夢は見ますか?
「昨日も夢に出てきたんですが、僕が夢に見るときはだいたい何かのトラブル。本番に間に合わないとか、移動でいくらたっても楽屋にたどり着かないとか。それだけプレッシャーを感じていたのかもしれません。開演して幕が上がったら、お客さんが1人もいないとか」
──そんなことあり得ないのに。
「あとは生前によく見たのは、最後のほうはかなり弱っていたんですが、夢の中では何もなかったかのように走り出したり。
でも、これは本当なんですが、僕らもいつかは必ずよくなると思ってリハビリを続けてもらっていました。電気をあてたりとか空中トレーニングとかをやって、最後はまた戻ってくるはずだと。秀樹さん自身もぜったいによくなるという確信があったから、毎日あの厳しいメニューに通えたんだと思います」
──最後の最後までリハビリに……。
「(意識を失って倒れた)その日も行っていたと思います」
──じゃ、あきらめてないんですね。
「あきらめてないです」
──もう一度会いたいですか?
「実際に今もこうして秀樹さんと一緒にいろいろやっていますから。最先端の技術も駆使しながら秀樹さんに生き続けてもらいたいと思います。亡くなった故人という見せ方を一切していないので、そういった意味ではファンの方とは少し違うかもしれません。
だから、会いたいといえば会いたいのかもしれませんが、それを思ってしまうと亡くなった人みたいで……。それよりも秀樹さんはちょっとお休みしていて、どこか南のほうのリゾートでゆっくり休憩しているのかなぁ、ぐらいの感覚です」
(取材・文/川合文哉)
【関連情報】
◎西城秀樹 コンサート2022「THE 50」
4月3日(日)17:00〜 神奈川県民ホール(横浜)
4月14日(木)18:00〜 オリックス劇場(大阪)
https://earth-corp.co.jp/HIDEKI/special/concert2022-the50/
◎西城秀樹デビュー50周年記念7枚組DVD-BOX
「THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories」
https://hidekiforever.com/page/the50hs-song-of-memories/
◎西城秀樹オフィシャルサイト
https://earth-corp.co.jp/HIDEKI/