鉄道フォトジャーナリストであり、鉄道ファンにとって、“神”的な存在である櫻井寛(さくらい・かん)さん。インタビュー第1弾では、鉄道に魅せられた幼少期から、さまざまな経験をへてフォトジャーナリストとして独立し、第一線で輝くようになるまでの半生を伺いました(記事→乗り鉄×撮り鉄のフォトジャーナリスト櫻井寛さん、濃厚すぎる“鉄道に魅せられ続けた人生”と“撮りがいのある国々”)。
第2弾では、櫻井さん自慢のお宝鉄道グッズ5選と、それにまつわるエピソードをご紹介いただきます。入手した国もすべて別々にし、よ〜く悩んで選んでいただきました!
“究極の鉄道”での思い出のティーカップと、スイスの高機能なおしゃれ時計
──まず第5位は、シベリア鉄道の食堂車で使われていたロシアンティーカップです。
「世界最長の列車に乗り続けたときの悲喜こもごもが込められたカップです。シベリア鉄道には2回乗っているんですけど、最初に乗ったのが1993年10月なんですよね。ソ連からロシアになって、シベリア鉄道が全線乗れるようになったのが’92年。その年にウラジオストクが開港しましたが、軍港だから、それまで外国人は一切入れなかったんです。 ようやく、’93年に富山港からアントニーナ号で出航、ウラジオストクに到着し、モスクワまでの6泊7日、列車の旅をしました。それが、88日間で世界を一周した、船と鉄道とバスの旅の始まりです。
このカップは、世界一周のあいだ、大事に持っていたんです。シベリア鉄道のロゴも入っているので記念になりますが、持ち手部分以下が“錫(すず)”でできているので、とにかく重たいんですよね。でも、ロシアのモニュメントなどが刻まれていて豪華。どうしても欲しかったので、顔なじみになった乗務員さんに譲ってほしいとお願いしました。たくさんある中からいちばんきれいなカップを選んでくれたので、チップを渡しましたよ。食事自体は粗末でしたが、なぜかカップだけ立派だったんです。毎日、このカップで紅茶を飲んでいました」
──シベリア鉄道の乗り心地はいかがでしたか?
「シベリア鉄道は乗り鉄にとって、いろいろな意味で“究極の鉄道”なんです。 でも、鉄道好きの僕でも二度と乗りたくない。途中下車ができない軟禁状態ですからね。人間、1週間にわたって列車に乗っているだけだと、“今日、日本を出てから何日目だろう”と曜日の感覚もなくなる。なにしろ、寝ても起きても同じ風景。寝台車なので、寝たきりの人みたいな生活になっちゃうんですね。しかも、4人部屋で他人と同居ですから、気安く着替えだってできない。
食堂車での食事は、来る日も来る日も同じメニュー。黒パンが、日に日に酸っぱくなってくるんですよ。危ない目には遭わなかったんですが、1回、“これ、買わないか”とカバンの中を見せられたことが。そこにピストルが入っていたんです。初めてピストルに触りました。
ソビエト時代にも一度行っているのですが、そのときは写真なんか撮るどころではなかった。2度目はエリツィン大統領の時代になって開かれたころだったんです。何を撮っても自由になっていて、乗り鉄・撮り鉄にはいい時代でした。けれども、今のプーチン政権下では、もう二度とシベリア鉄道に乗れないだろうなぁ。ウクライナ戦争がおさまっても、しばらくは以前のようには戻らないでしょうしね」
──第4位は『スイス国鉄オフィシャルウォッチ』を代表とするスイスの時計ブランド・MONDAINE(モンディーン)がつくった『スイス レイルウェイ ステーションクロック』の腕時計です。櫻井さんは、いつもこの時計を身につけていらっしゃいますね。
「モンディーンの腕時計のなかでも、『stop2go(ストップ・トゥ・ゴー)』と名前がついている、スイス鉄道を象徴する時計です。スイスでは3000か所の駅に設置されている大きな丸い時計『ステーションクロック』がありますが、これもモンディーン社製です。
止まったり遅れたりして鉄道の時刻表と誤差がでないように、60秒ごとに再調整していて、この調整を行うため、赤い秒針が58秒で1周し、12時の位置で、分針が進むまで2秒間、停止します。停止することで遅れている時計の時刻を再調整し、すべての駅の時計が一斉にスタートできるようになっています。そのステーションクロックを腕時計にしたものなのですが、搭載されている複雑な機構を腕時計のクォーツムーブメントに落とし込むのに、4年かかっているとのこと。
通常のクォーツ時計の時針、分針、秒針を動かすためにはモーターが1つ必要ですが、stop2goには、2つのモーターが必要です。1つはこの独特な動きをする秒針を動かすためのモーター、もう1つは、時分針を動かすモーターです。これを実現するために、集積回路が2つのモーターを別々に認識しています。スイスらしい精巧さですね。ベルトなどがモデルチェンジされるので、スイスに行くたびに買ってしまいますが、stop2goは、なかでもいちばん高いモデルです」
オリエント急行のスタッフがくれた粋なネクタイピン、大好きな蒸気機関車の模型
──第3位は、オリエント急行のネクタイピンです。豪華列車として多くの人々が憧れるオリエント急行。櫻井さんは何度も乗っていて、著書『オリエント急行の旅』(世界文化社)は代表作のひとつですよね。
「このネクタイピンは、箱根のラリック美術館でオリエント急行の特別展があったときに、僕が持つオリエント急行にまつわるグッズを提供した中のひとつです。オリエント急行のバーマンである、イタリア人とフランス人ふたりからのプレゼント。“フロム・アレックス&フェルナンド”と名前のサイン入りです。少なくとも10回は乗っていますから、すでに顔見知りになっていたのですが、実際に売っているグッズをわざわざ買って、サインを入れてプレゼントしてくれた、極めて思い出深いものです。
オリエント急行は、全盛期には5本ぐらい同時に走っていたんです。その中でもっとも有名だったのが、作家のアガサ・クリスティがよく乗っていた『ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス』。ネクタイピンにも、ベニスとシンプロンを表す”VS”というロゴが入っています。シンプロンは、スイスとイタリア間の峠の名前です。シンプロン・トンネルを通ることによって、ロンドンから中東に早く行けるようになり、トルコにあるイスタンブールまでの最短ルートだったんです。’77年に廃止されましたが、’82年に運行を再開し、ロンドンとイタリアのベニスを結ぶ観光列車が走っています。
最初にオリエント急行に乗ったのは’90年ですね。’91年から’92年にはオリエント急行にまつわる仕事がたくさん入って、タキシードを作って、その姿でカメラを下げて撮影していました。ディナー以降の時間帯は、正装が義務づけられていますから。豪華だし、格式高いし、重厚感があるし、歴史と伝統には、ほかのどの豪華列車もかなわないです」
──櫻井さんの事務所には、たくさんの鉄道模型があって壮観な眺めなのですが、第2位は、その中でもどっしりとした存在感を放つ『ビッグボーイ』の鉄道模型です。
「『ビッグボーイ』はユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車の愛称で、1941年から1944年にかけて製作された、世界最大・最強級の蒸気機関車です。これは、’19年5月10日、アメリカ大陸横断鉄道開通150周年を記念して復活した『ビッグボーイ4014号機』を忠実に再現したHOゲージのスケールモデル。実物の87分の1サイズの模型ですが、全長は約50センチもあり、迫力満点です。私のいちばん好きな蒸気機関車です」
大人気のデザイナー・水戸岡鋭治さんからの、感謝の気持ちがつまった贈り物
──そして第1位は、『THE ROYAL EXPRESS』という、東急が運行する団体臨時列車の内装の1部分。鉄道ファンのあいだで大人気のデザイナー・水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)さんからのプレゼントということですが。
「『THE ROYAL EXPRESS』は’17年に運行を開始した、横浜〜伊豆急下田を結ぶ東急&伊豆急による豪華列車です。天然木や伝統工芸をふんだんに取り入れた車内は豪華絢爛。走行中は、有名シェフ監修の食事や、バイオリンのコンサートが楽しめる、私の大好きなクルーズトレインのひとつです。
ある日、水戸岡さんから送られてきたのが、この電子鋳造パネルです。川口の鋳物工場で作られたもので、これが天井に1両あたり300枚もはめられています。
僕は以前、水戸岡さんのデザインで軽井沢駅舎がリニューアルされたことについて、『日本経済新聞』に記事を寄稿したのですが、それを読んだ水戸岡さんが、お礼としてサイン入りで送ってくださったものなんです。自分が持っている水戸岡さんのサイン入り鉄道グッズの中でも、いちばん大切なものになります」
──水戸岡さんがよほど感激される記事を書かれたんですね。
「オープニングのタイミングで軽井沢駅に行ったんですよ。そのあと長野まで行って、夕方また軽井沢に戻ってきたのですが、オープニングの式典が終わり、報道陣などが帰って静かになった駅で、水戸岡さんとしなの鉄道の社長が、図面を見ながら一生懸命に仕事をされている。水戸岡さんが仕事をしている姿なんて普段見られないし、集中していて声もかけられないほど真剣な様子。柱の影からじっと見ていました。そのことを書いたんですよね。それを読んだ全国の読者から水戸岡さんに連絡があったとのことで、ご本人にも“感激した”と喜んでいただけたようです」
──水戸岡さんのデザインは、鉄道ファンの憧れと聞きますが、どこにそれほどの魅力があるのでしょうか。
「水戸岡さんは、もともとはインダストリアルデザイナー(飛行機、自動車、家電など、いわゆる工業製品のデザインを行うデザイナー)で、鉄道車両にはそれほど興味はなかったようです。なぜ電車のデザインで人気になったかというと、水戸岡さんがデザインを担当した九州のホテルのオープニングに来ていた当時のJR九州の社長が、“センスがいい”と気に入り、“鉄道車両をデザインしませんか”と声をかけたことから始まります。
そこで水戸岡さんが『アクアエクスプレス』(JR九州が’88年から’02まで保有していた特別仕様の鉄道車両)をデザインしたところ、常識を覆す斬新なデザインだったんです。ディーゼルカーの色を真っ白にしたんですよ。ディーゼルカーは、煤煙が出るから汚れるんですよね。だから、ディーゼルを白色にするっていうのはありえないとされていたのに、その色で勝負した。それがきっかけとなり、JR九州の専属として、すべての車両をデザインしています。今年9月に開業して話題を呼んだ西九州新幹線の『かもめ』も水戸岡さんのデザインです。
水戸岡さんは、インダストリアルデザイナーの観点から、居心地のよさも追求されています。座ると、抱かれるっていうんでしょうか、なにか安堵感に包まれる。椅子が普通の電車とは全然違って、座り心地のよさでも世界一です。ビジュアルもかっこよくてインパクトがありますが、これほど乗り心地を考えた電車は、まずほかにありません。今いちばん欲しいのは、水戸岡さんがデザインされた列車の椅子ですね」
めくるめく鉄道の世界。これを機にのぞいてみたら、あなたも鉄道の魅力のとりこになるかも……!?
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
【PROFILE】
櫻井 寛(さくらい・かん) ◎鉄道フォトジャーナリスト。’54年長野県生まれ。昭和鉄道高校、日本大学芸術学部写真学科卒。出版社写真部勤務をへて’90年に独立。’93年、航空機を使わずに88日間世界一周。’94年『交通図書賞』受賞。『日本経済新聞』『毎日小学生新聞』『はれ予報』『ロケーションジャパン』など連載中。 著書は代表作に『オリエント急行の旅』(世界文化社)、『ななつ星 in 九州の旅』(日経BP)。最新刊は『日本の鉄道 車両と路線の大図鑑(私鉄編)』(講談社)。著書は共著も含め 100 冊超。95か国訪問。渡航回数は 240回以上。好物は駅弁。 日本写真家協会、日本旅行作家協会会員。東京交通短期大学客員教授。