「社会の価値観と自分の正解は別なので、自分の価値観を大切にしていければと思います」
こう話すのは、25歳から隠居生活を開始し、年収90万円で生活するという実体験を書いた『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版刊)で人気を博した大原扁理さん。
大原さんの新著『フツーに方丈記』(百万年書房刊)は、コロナ禍になって読み返した鴨長明による随筆『方丈記』に影響を受け、「現代社会における方丈記」をコンセプトに執筆されました。
「将来が不安」「人生詰んだ」と嘆く現代人にとって、「社会のあり方とは」「人間らしさとは」という問いへの道しるべにもなるであろう、”脱力系”の生き方について大原さんにお聞きしました。
自分に生きていく力があることを知らなかった
──25歳のときから東京の郊外で隠居生活を始めたとのことですが、大原さんには、一種の悟りのようなものを感じます。どうやってその境地に至ったのでしょうか。
「仕事や人間関係をはじめとして、不要と思われるものを断捨離し、生きていくために本当に必要なお金だけを稼いで年収90万円ほどの生活をしていました。労働も消費活動も最小限にし、週休5日で過ごしました。もともと物欲が少なく、幸せの沸点も低めですが、“悟っている”という自覚はないんですよね。イラッとすることだって普通にありますけど、あまり人と会う機会がないので、ほかの人よりはそう感じるに至らなかっただけだなぁと思います。
──そうなんですか、意外ですね。イメージでは、大原さんの精神は簡単には揺るがないと思っていました。
「そういう“揺るがない精神”っていうのは、単純に心身が健康的な状態だから生まれてくるんじゃないかなと思いますね」
──大原さんは愛知県から上京して隠居生活を始める前に、海外ひとり旅を経験されていますね。海外旅行に行かれた際には、どのような知見を得ましたか?
「自分に生きていく力があることがわかりました。海外には1年半ほど、自分で稼いだお金で行ったんですけど、無計画だったのでお金も尽きて、向こうでも働いてって感じだったんです。
でも、それまで実家暮らしで、仕事したり料理を作ったりしなくても生活ができたので、自分の力は眠ったまま発揮されないんですよね。だから、自分に”生きていく力がある”ってことすら知らなかったんですよ。だけど、今までやってこなかっただけだったなぁと。ひとりで生活したことで、“やってみたら、思ったより何でもできるじゃん”って、すごく自信がつきました」
隠居は「社会の価値観から脱却すること」
──隠居を通して社会や他人からの価値観を気にしなくなったそうですが、きっかけはなんでしたか?
「社会で当たり前とされていることが、明らかに自分には合っていないぞって気づいたのがきっかけですね。
例えば、“正社員じゃないと”とか、“月収いくら稼ぐ~”とか、本当に必要な指針? と思って。そのあと、社会ではなく自分の正解ってなんなんだろう? って考えて、家賃はいくらが適正かとか、自分自身の価値観をひとつずつ確かめていきました。
この“自分で確認する”っていう行為は、すごく大事なんです。社会の正解をはかる際には過去の事例がありますけど、今後の自分にとっての正解って、事例がないので。
なので、隠居は“社会の価値観から脱却すること”だと思います。周囲に与えられた価値観をそのまま無理やりインストールするのではなくて、自分でいちいち意味を更新していくんです。
“世間ではこう言われているけど、本当にそうなのかな?”って感じたらやってみて、“自分はこう感じた。だから自分の正解は○○にしよう”っていう軌道修正を、目まぐるしく続けているイメージです。これが、“自分だけの正解”というものを見つけるための手段かなと」
自分と社会の価値観とを照らし合わせる暇もない現代
──今やインターネットが普及して、いろいろな人のステータスや価値観が流れ込んでくるようになり、自分自身の価値観がわかりづらい世の中なのかもしれませんね。
「そうですよね。そういう傾向は強いと思います。特にamazonなどの通販サイトを見ていると、“これがあなたの欲しいものです!”って言われるかのように、おすすめの商品が次々と出てきますよね。
さっき言った、“これって、自分にとってはどうなんだろう?”とか、“本当に欲しいものなのかな?”と考える余裕がないなぁと。
芥川賞作家の本谷有希子さんがラジオで言っていたのですが、“みんなの好きなものはわかるけど、私の好きなものはわからない”という悩みが、若い人にはあるんだそうです」
──そんな言葉が……。現代的な悩みですね。
「そうなんですよ。興味深いですよね。まぁ、まだ興味深いって思えているうちはいいとは思うんですが、若い人はそれが当たり前になっていて、自分の価値観っていうものが、気づかぬうちにどんどん失われていく時代になったのかなと思います」
大事なのは、やっぱり「自分で選ぶ」こと
──東京で隠居生活をしていた時代の生活スケジュールやエピソードについて教えてください。
「東京の郊外にひとりで住んだときは、一種の実験的な感じでしたね。結局、自分は月7万円の生活に落ち着いたんですけど、当時でいちばん安いときなら、月6万円で過ごしていました。
家賃は3万円、食費が1万円、水道光熱費とネットで1万5000円くらい。3食とも自炊していました。ここに交通費、交際費、温泉代とかが含まれて、バラつきはありますけど、だいたい月に6万円~7万円です。で、あまったら貯金していました」
──あまるときがあるんですか!?
「ありました、ありました。あと、当時は週に2回くらい介護の仕事をしていたんですが、ダブルワーカーも多くて、欠員が多かったんですよね。だからピンチヒッターで入って収入が上がったっていう月もあるので」
──ちなみに、都内で3万円って、どんな家なんですか?
「当時は築30年くらいで、中はきれいなところでしたよ。キッチンとユニットバスとロフト付きの、普通のワンルームでしたね。
西の外れのほうで、駅からは25分かかるから安かったんですけど、徒歩圏内に仕事場を選べば全然、不便はなかったんです。近くにスーパーとかは普通にあったので」
──けっこう前向きに低収入な生活を実践していたんですね。
「前向きでしたね。月に一度の温泉旅行みたいな“お金を使う楽しみ”と、散歩のような、“自分にとって重要な、お金を使わない楽しみ”の両方を手に入れるためには、いくら必要なんだろうっていうことを知るためにやっていたので」
──1日はどのようなスケジュールで生活していたんですか?
「当時は本当に人と会わないし、散歩に行ったり本を読んだり。あと、たまに自炊のために野草を摘んだりとかしていましたね。
低収入な生活って、お金がないから仕方なくやっている人が多いと思うんですけど、それだとやっぱり、つらいと思います。だけど、好きでやっているぶんには全然苦しくなかったんですよね。工夫のしがいがあってクリエイティブだし、楽しかったです。
そして、実際に生活してみたら、自分が生きていくために本当に必要なお金は10万円すらかからなくて、以前に見た“東京で生活するには最低17万円は必要です”という報道って、いったいなんだったんだろうって強く思いましたね」
──今、低賃金で苦しんでいる人にも支えとなるような言葉ですね。
「あと、低収入もそうですけど、孤独についても同じことが言えるかなって。自分が望んでいないのに孤独って、すごくつらいじゃないですか。でも、自分で孤独な環境を作ったなら、きっとつらくないんですよね。
なのでやっぱり、自分で選ぶってすごく大事だと思います。“稼ぎが低くてもいいから、最低限これをやりたい”っていう判断を自分ですることで、その現状を好きになる努力ができるので。
でも昨今、コロナ禍ということもあり、そもそもの選択肢がなかったりもするので、そこがみんなつらいところですよね」
人生に対し、時間をかけて真摯に向き合い、自分にとっての価値観と正解を固めてきた大原さん。
そんな大原さんのインタビュー第2弾では、「お金を擬人化するという考え方」「死生観」について語っていただきました。
(取材・文/翌檜 佑哉)
【PROFILE】
大原扁理(おおはら・へんり) ◎1985年、愛知県生まれ。トラベルライター、作家。高校卒業後に海外ひとり旅を経て25歳のときに東京・国分寺市で月7万円程度の隠居生活を送り始め、31歳で台湾に移住。一時帰国後、コロナ禍により台湾へ戻れないときに読み返した『方丈記』から着想を得て、自身の経験を交えながら現代に昇華させた『フツーに方丈記』(百万年書房刊)を上梓。そのほかの著書に『20代で隠居 週休5日の快適生活』(K&Bパブリッシャーズ刊)『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版刊)などがある。