2022年4月。ある1件のツイートが話題になった。店の名前は『原稿執筆カフェ』
高円寺北口から徒歩5分の“高円寺三角地帯”で運営されるこのカフェは、“締め切りに追われているあなたのためのカフェ”というコンセプトのもと、利用者は入店前に、自分が書きたいと思っている原稿の目標文字数をシートに記入する。
お店に来るのはライター、漫画家、作家とさまざまで、原稿が終わらないと退店することができないというコンセプトは瞬く間に話題となり、日本だけでなく海外を含む80以上ものメディアから取り上げられた。
今回お話を伺ったのは、株式会社ヒマナイヌ代表の川井拓也さん。話題になった『原稿執筆カフェ』の発案者であるが、川井さんの顔はそれだけではない。公開中の映画を見た人しか入れない『封切り酒場』、すでに市場には流通していないメディアを集めた『絶滅メディア博物館』、低価格なのに高品質な対談動画を収録できる『ヒマナイヌスタジオ』など、さまざまなコンセプトの空間を提供する、“場づくりのプロ”としての顔も持っている。
2回にわけてお届けする今回のインタビュー。第1回では、なぜ原稿執筆カフェはこれほどまでのムーブメントを起こしたのか、あたらしく始めた『経費精算カフェ』立ち上げのきっかけを伺った。
「あれ、これ自分のことかな?」と思わせるためのコンセプト
──『原稿執筆カフェ』がTwitterで話題になって以降、その後の反響はいかがですか?
「メディアからの取材ラッシュが今年の4,5月に集中して、そこからSNSをきっかけに多くの人に関心を持ってもらいました。これだけカフェやコワーキングスペースがある中、千葉や埼玉からわざわざ来てくれる人もいて、とてもありがたいことです」
──海外メディアの取材も多かったですよね。
「まっちゃ(写真参照)が可愛くて逆に集中できないという記載もありましたね(笑)。
海外メディアだと“締め切りに追われている人しか入れない”というコンセプト自体もそうですが、そのお店のルールにしっかり従う日本の国民性にも注目していたみたいです。だから最初の海外からの取材は、几帳面な国民性が似ているイギリスとかドイツの取材が多かったです」
──振り返ってみて、なぜこれほどまでに注目されたと思いますか?
「“締め切りに追われている人しか入れないカフェ”というコンセプトは斬新である一方、カフェそのものの利用客をお店側から排除している、という見方もできると思います。普通に考えたら、“いや、コーヒー飲みたいんだから飲ませろや!”と思う人もいるかもしれないですから(笑)。
ただ自分としては、 “これは自分のための場所だな”と思ってくれるユーザーがごく少数いればいいと思ってて。その人たちが有意義に過ごせる最適な場所を突きつめた結果、飽きずに注目され続けたというほうがしっくりきます」
──なかなか尖(とが)ったコンセプトですもんね。
「原稿執筆カフェでは、文字数、ページ数、パワポの資料数、漫画のネームのコマ数など、単位は人によって違いますが、事前にタスクを申請してもらって利用してもらっています。原稿を書かない人、締め切りを抱えてない人は入場お断り!というのはお店としてはつっけんどんだし、拒絶ワードは反感を買う可能性があるかもしれない。
でも、“自分にはここに行く資格がある”という、母数は少ないけど熱量の高い人たちをターゲットにしたいと思っていて。その人たちが全力で作業に取り組める場を提供したいと考えた結果のコンセプトでした。
9月から始めた『経費精算カフェ』も同様ですね」
──経費精算カフェ! これまたニッチですね。
「『経費精算カフェ』は財布に溜まった領収書を帳簿につけるためのカフェです。店内のScanSnapで領収書を高速でPDF化できます。店長は税理士さんで、作業の合間にちょっとした質問ができます。経費精算というなるべくならやりたくないような作業を、何か楽しいイベントのようにしたいと思ったんです」
ニッチ層に刺さるための空間設計。キーワードは「最適化」
──『原稿執筆カフェ』『経費精算カフェ』ともに、他にはないおもしろい取り組みですが、空間設計・運営時にはどんなことを意識しているんですか?
「母数は少なくとも、その層に刺さるような場所を提供したいと思っていて、そのために意識しているのは“最適化”です」
──最適化というと?
「例えばですが、原稿執筆カフェでは1時間ごとに利用者さんの進捗を聞いて回るんですけど、それ以外の時間は一切オペレーションもしないし話すのは受付前と後だけです。
開店当初は原稿を書き終えた人を盛大にお祝いするために鐘を鳴らしたりしていたのですが、他の人の集中を阻害すると思いすぐにやめました。BGMもあえてなくし、部屋の温度が上がりすぎないように電気ケトルではなく電気ポットを使う……。お客さんの反応も常に見て、とにかく原稿に集中できる環境をつくるために、空間を最適化するという意味です」
──通常のカフェと違うのは、コンセプトだけでなく空間設計も込みであると。
「通常のカフェでも集中できるかもしれませんが、利用時間には制限があったり、店員さんに気を遣わないといけなかったり、隣のテーブルでマルチ商法の勧誘が始まったり(笑)、集中を阻害する要因は山ほどあると思います。ビジネス風にいうとPDCA(※1)を高速に回すというのがすごく好きなタイプなので、“あ、今集中できてなさそうだな。なんでだろう?”っていう反応を見て、その日のうちに改善するようにしてます。
周りに同じ目的を持ってる人しかいないというのも、相乗効果で集中できるのかもしれませんね。トキワ荘(※2)みたいな(笑)」
※1 PDCA:Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Action(改善)の頭文字をとったもの。ビジネスにおける品質改善フローとして用いられることが多い
※2 トキワ荘:漫画家の手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫らが若手時代に居住したアパート
うまくいかなかった動画編集カフェ「クリエイターの集まる場を作りたかった」
──そもそもなんですが、原稿執筆カフェを立ち上げるのは何がきっかけだったんですか?
「大学時代は映像を学んでいて、卒業後にCM制作会社で働いていたんです。その後SNSまわりの仕事をしていた頃に、『Ustream』や『ニコニコ生放送』をはじめとする映像配信サービスが始まりました。“これはおもしろそうだ”と思って、“高円寺三角地帯”をライブ配信スタジオとして利用し始めたのが大元のきっかけです。
ただライブ配信スタジオとしての機能だけじゃなくて、何か面白いことをやりたいという思いはずっとあって。コピーライティングの仕事もしていたんですが、“漢字四文字”の名称はキャッチーでわかりやすそうだなと思ってたんですよね。
──なるほど、それで漢字4文字である原稿執筆カフェを立ち上げた。
「いえ、最初は『動画編集カフェ』を立ち上げました。“高円寺三角地帯”でいちばん最初に始めたのは配信スタジオとしての場所だったし、自分も映像の仕事をしてるのでハマるかなと思ったんですが、うまくいかなかったんです」
──そうだったんですか、動画編集者も最近は増えてきたし話題になりそうですが……。
「動画編集者って、1台のノートパソコンだけじゃなくて、外部モニターを使って2画面で編集することが多いんですよ。YouTube編集者が殺到するかな……と思ったけど、ヒットしなかったです。
ただ、自分も創作に携わっていたので、“クリエイターが集まる”という空間はどうしても提供したいと思っていて。そのときに知り合いの脚本家から、“静かに執筆できる場所があればいいな”という声を聞いたんです。であれば、執筆しかできない、締め切りに追われていないと入れない、という場所を求めている人は、一定数いるのでは?と思い、『原稿執筆カフェ』の立ち上げに至りました」
──なるほど。そこにニーズがある限り、必ず誰かには響くはずだと。
「そうですね。9月から始まった『経費精算カフェ』も考え方は同じです。“領収書が溜まっているし早く処理したい。でもなんか気乗りしないし、申請の仕方は合ってるのかな……。”と思う人が少なからずいる。需要規模は小さくとも、 “自分のための場所だ!”と思ってくれる人は必ずいると思い、知り合いの税理士さんに頼んで始めました。
もし評判がよかったら発展させて、『確定申告カフェ』にもチャレンジしたいですね。実現したら行政にスポンサードしてもらいたいです(笑)」
◇ ◇ ◇
ひとつの場所をあらゆるコンセプトで運営している“高円寺三角地帯”。実は、少し前まで運営していた映画ファンのための空間『封切り酒場』は、立地上、ビジネスモデル上の問題から時期尚早と判断して今は引っこめているという。とはいえ、「高円寺三角地帯という“箱”をシネマコンプレックス(複合映画館)のように運営していきたい」と語っていた川井さん。ユーザーの声や時勢に柔軟に対応しつつ、数々のイベントをユーザーに提供する姿勢は、今後も変わらず続けていくとのこと。
第2弾インタビューでは、川井さんが大手町で運営する『絶滅メディア博物館』、『ヒマナイヌスタジオ大手町』の空間設計術と、川井さんの場づくりへのモチベーションの源泉を紹介する。【第2弾インタビュー→“デジタルの力で文化を継承する”『絶滅メディア博物館』の仕掛け人、川井拓也さんのモチベーションは「最適化と遊び心」】
(取材・文/FM中西)