買い物依存症やホストクラブ通いなど、自身の体験と重ねて女性の“内なる欲望”を描いたエッセイの数々が話題となった、作家でエッセイストの中村うさぎさん(64)。インタビュー第1弾では、前述の買い物依存やホスト通いの日々、そして幾度にもわたる整形手術について語っていただきました。(記事→中村うさぎがハマった買い物、ホスト、整形。超大金を費やしてでも得たかった「自分を底上げする快感」という沼)
今回は、中村さんの結婚相手である、ゲイで香港人の旦那さんとの出会いから現在までと、自身が患った病気について、じっくりお聞きしました。
ゲイの香港人男性がパートナーに。役所でタンカを切ってまさかの結婚に踏み切る
──中村さんは20代のとき結婚と離婚を経験し、1997年に今の旦那さんと結婚しましたが、「パートナーがゲイなので家庭内での性関係はない」と公言されています。世間の一般的な夫婦関係を、どのように見ていますか?
「世間では、愛し合って結ばれるのが結婚で、その2人のあいだに生まれる愛の結晶が子どもであり、ずっと幸福な家庭を築くことが理想形として語られています。でも結婚生活って、そんなきれいなものではないじゃないですか。一緒に生活をしていると、もしかしたら、自分のウ〇コを相手に見られちゃうことだってあるわけでしょ(笑)。恋愛しているときは、そんなことがあったら、切腹したくなるじゃない。でも、そうは言っていられないのが夫婦。旦那のつけたカスを掃除したりするうちに、ときめきに鈍感になり始めたら、その人との時間が“生活”になっていく。それで私の場合、生活をともにする相手には、性欲って湧かなくなっていくんですよ。でも、それは自然の流れだと思うんだよね」
──夫婦間の問題として、セックスレスはよく聞きますね。
「女性って、セックスレスになっていくと、“やっぱり愛されていないんじゃないか”みたいに不安になる人も多い。だから、恋愛のゴールが“結婚”だと考えてしまうと、セックスがなくなったときに、愛もなくなるっていう話になってしまう。熟年離婚っていうのもあるし、それで迷走する同年代の女性たちをたくさん見てきました。だから、恋愛とセックスのゴールが結婚で、それを維持することがすばらしいとされる風潮を変えないと、と思います。
私、1回目に20代で結婚したとき、最初から“たぶん離婚するんだろうな……”って感じていたんですよ。実際にうまくいかなくて1年半くらいで別れて、もう二度と結婚しないと思っていました。毎日のように人に気を遣いたくないし、絶対にひとりのほうが楽だわって(笑)。離婚してからは、30代で遊び盛りだったこともあり、新宿二丁目で毎晩のように飲んでいました。そのころからの飲み友達のひとりが、今の旦那なんです」
──友達から、パートナーになられたのですね。結婚はもう嫌だと思われていたのに、再婚されたのはどうしてですか?
「当時、彼はまだ学生で、誘うといつでも来てくれました(笑)。一緒に飲んだあと家に泊まったりしても、ゲイだから性的な関係には絶対ならない。めっちゃ気楽な女友達と一緒にいる感覚でした。だから、まさか結婚する気なんてなかったんだけど、彼は香港人だから、日本の学校を卒業したら学生ビザが切れてしまう。ある日、“もうすぐ香港に帰らなきゃいけない”って言われたんです」
──それまでは、いつでも会える気楽な関係だったのに、初めて別れを意識されたのですね。
「彼は、香港には帰りたくないって言うんですよね。向こうではゲイだとカミングアウトしていないし、日本のように、のびのびと過ごせないって言う。そこで、滞在するためのワーキングビザを取得するために、一緒に入国管理局に相談しに行きました。そうしたら、職員がめちゃくちゃ感じの悪い人で、“すごいスポーツ選手とか、一流の料理人とか、日本に利益をもたらすような突出したスキルを持っていない外国人にビザをあげるなんて無理”みたいなことを、高圧的な態度で言ってきた。それでも、“どうすれば日本にいられるんですか”って聞いたら、“日本人の女性と結婚するしかないんじゃない”って、バカにしたような強い口調で返してきたんです。私、その態度にカチンときちゃって。“じゃあ、結婚すればいいんですね!”って言い捨てて、役所を出てしまったんですよ」
──では結婚は、友人を救うためでもあったのですね。
「夫の気持ちを聞いていないのに勝手にあんなこと言って、申し訳なかったなと思った。だから近くのカフェに入って、“勢いで言っちゃったけど、どうする?”って聞いたんです。“私は10歳も年上だし、金づかいは荒いし、やりたい放題だから、こんな妻だったら困るよね”って続けて。そうしたら、“日本にいられる方法がほかにないなら結婚したいけど、ゲイだっていうことを隠して一緒になるのは相手に対して失礼だし、僕は女の人とはセックスができないから、子どもを作る気もない。相手の人生をめちゃくちゃにしてしまうくらいなら、たとえめちゃくちゃな人でも、自分のことをわかってくれる人と結婚したほうがいいのかも”って。だから、“じゃあ、私でどう? どうせバツイチだからハードルは低いよ”と言って、結婚を決めましたね」
「妻が落ち込んだときに、帰れる場所になる」寡黙な夫が内にに秘めた“熱い思い”
──夫婦間でのルールなどは設けましたか?
「“恋愛とセックスは外で自由にする。家の中には一切、持ち込まない”。それが、結婚前に決めた取り決めでした。実際に結婚生活を始めてみると、まず相手に対して嫉妬という感情がないから、すごく楽だった。でもね、私がホストにハマったり、金づかいが荒くて税金を滞納したりしていたら、あるとき、税務署に呼び出されて怒られたんです。一緒に行った帰りに、喫茶店でお茶を飲みながら、“本当にこんな妻でごめん”って言いました。そうしたら彼は、“あなたと結婚するとき、気軽に、いいよ〜みたいな感じで言ったけど、本当はすごく悩んだんだよね”って話し始めたんです」
──胸の内を明かしてくれたのですね。
「彼は、“あなたと結婚したら、あなたの人生を半分引き受けなければいけない。あなたは、どんな不始末をしでかすかわからない人だから(笑)、そうなったときに、この人の人生を支える覚悟があるかなって、自分に問いかけたんだ”って。でも、自分が日本にいるうえで必要なら、この人をちゃんと守りきると決めて、結婚したのだと。そんな決心をしていたなんて、こっちはそれまで知らなかったのだけれど」
──口には出さなかったけれど、旦那さんにも覚悟があったのですね。
「私は、同じ毎日が退屈だって思うタイプ。彼は逆で、私のことを“夫婦になったら、妻は飛び回って、僕はずっと家にいるんだろうな”って思っていたらしいけれど、実際にそのとおりになったんですよ(笑)。でも、彼は“どんな人だって、一生飛び続けることはできない。疲れたり、落ち込んだりしたときに、あなたが帰る場所になってあげようって思った”って言ってくれた。そんなことまで考えていたんだ……と思って、ちょっとびっくりしましたね」
──窮地に陥ったときに寄り添えるのが、夫婦や家族かもしれないですね。
「そうなんですよ。結婚する意味って、こういうことなのかもしれない。結婚することで、“セックスの相手は俺だ”とか、“恋愛は私だけにして”みたいに強制しあうのではなくて、“誰もわかってくれなくても、この人は私のことをわかってくれるんだな”みたいな。そういう相手と一緒にいることが、結婚なんじゃないかと思います。港みたいな安心感があるというか。だったら、そこには別に恋愛もセックスもいらないし、自分の場合はむしろ邪魔って思う」
──でも、周りからはおふたりの関係性をなかなか理解してもらえずに、苦労されたのではないですか?
「当時は、報道記事なんかにも“偽装結婚”って書かれたんですよね。本当に頭にきちゃった。じゃあ、実際は憎み合っているのに、世間体とかを気にして関係を保っている夫婦が本当の結婚なのか。愛し合っていないなら、そっちのほうが偽装結婚じゃないって思って(笑)。それで何かの寄稿で、“たとえゲイと結婚しても、信頼関係があればそれもひとつの結婚だ”みたいなことを書きましたよ」
──中村さんは著書でも、いつも生きづらさについて書かれていますが、いろいろな価値観がもっと認められるようになるといいですよね。
「結婚するとしても、みんなが理想としているような形に無理して合わせなくてもいいじゃんって思うんだけれど、既製の服のように型が決められてしまっている。でも実際は、規定のサイズやデザインが体形に合わない人もいますよね。それなら、みんな身体に合わせたオートクチュールを作ればいいんじゃないかなって思うわけですよ。既製品を無理やりあてがったら、途中でファスナーが壊れちゃったり、糸が取れたりしてくるでしょ。だから、自分にいちばん合った形の結婚をすればいいと思う」
心肺停止から3日間、意識不明に。身体の自由がきかなくなった今、思うことは?
──’13年には、心肺停止という壮絶な経験もされていますが、死生観などは変わりましたか?
「あんまり変わってないかも。臨死体験みたいなものがあれば変わったのかもしれないけど、私は全然なかったんです。意識を失って目が覚めたら、3日も寝ていたよって感じで、私の中では、あの3日間に私は存在しなかった。思考もしないし、感情もない。“無”の状態だったのに、“3日間、眠っていたけど生きていたよ”って言われても、その日々が現存したとは思えないんですよ」
──旦那さんは心配されたのではないですか。
「病院のすぐそばに住んでいたので、毎日、私の様子を見に来てくれていたみたいですね。面会は家族でないとできないので、あとから振り返ると、“籍を入れておいてよかったな”って思いますよね。だって、自分のパートナーが死にかけているのに、病室にも入れてもらえないって、つらいと思う。私も、来てくれてうれしかったのを覚えています」
──心肺停止の前触れはあったのですか。
「’13年の夏に、本当に身体が弱っちゃって、ご飯も食べられなくなって、どんどんやせていきました。駅まで10分くらいの道のりも自力で歩けなくて、途中で息が切れるんですよ。電信柱につかまってハーハー言っちゃうみたいなことになって、夏バテかなと思ったんです。高梨先生(親交を深めていた、美容外科医の高梨真教医師)に現状を話したら、“重大な病気かもしれないから、すぐ病院に行きなさい”って言うので軽い気持ちで行ったら、その日のうちに検査入院になったんです。そうしたら、どんどん症状が悪化して身体中が痛くなって、挙句の果てに心肺停止っていう……。一応、『スティッフパーソン症候群』(難病指定されている神経系の病気)って病名がついたものの、確定はしていないんですよね」
──今も通院されているのですか?
「定期的に通院しています。車いすだったころは、トイレも旦那に連れて行ってもらっていたんですが、今はひとりで行けるようになりました。でも、外に出ると緊張しちゃって、まだひとりで長距離は歩けないかな。コンビニに行くのも、足がガクガクしちゃうから無理。旦那がそばで介護してくれないと、出かけられないんです」
──旦那さんの介護に対しては、どのように感じていますか。
「引け目を感じています。特に車いすのころは、彼は寝ないでずっと面倒を見てくれていたんですよ。夜もベッドでなく、そこらへんのソファーとか、私が見えるところで仮眠していたんです。そういうのを見たら、申し訳ないなと思って……」
──入院中からずっと、中村さんの心身をしっかりサポートされているのですね。
「例えば、私が夜中にトイレに行きたくなったときに、最初は向こうに悪くて我慢するんだけど、やっぱり行きたくなるじゃないですか。それで、“寝ているとこ申し訳ないんだけど”って彼を起こしても、嫌な顔をしないで連れて行ってくれる。ありがたいけど精神的にひどく落ち込んで、“ひとりでトイレに行けないようなヤツは死んだ方がマシだ”って思って、首を吊ろうとしたこともあるんですよ」
──それはかなり思いつめた状況ですよね……。
「でも、腕が少ししか上がらなくてドアノブに紐を引っかけられないし、立てないから飛び降りることもできない。“身体が不自由だと、自殺もできないんだな”と思い知らされました。なんの自由も与えられないって、つらいですよね」
──身体の自由がきかなくなってしまった今、“◯○がしたい”というような願望はありますか?
「ないですね。今はもう何をやっても、昔みたいに夢中にはなれないと思います。でも、“やっておけばよかった”っていう後悔でいえば、ギリシャに行きたかったかな。30代のころは、しょっちゅう海外旅行をしていたんですよ。ギリシャは気候もいいから老後に残しておこうと思ったの。そうしたら、今では飛行機で10数時間も移動するのが、体力的に無理になった。そんなに乗ったら、たぶん死ぬ(笑)。行きたかったところは、ほかにもいっぱいあるんですよね。食べ歩きとかも好きだったけれど、ひとりで外出できなくなっちゃった。本当に、なんにもできなくなっちゃった。だから今は少し退屈かな……」
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
中村うさぎ(なかむら・うさぎ) ◎1958年、福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説デビュー作『ゴクドーくん漫遊記』(角川書店)がベストセラーに。その後、壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた『ショッピングの女王』(文藝春秋)がブレイク。著書に『女という病』『私という病』(ともに新潮社)『うさぎとマツコの往復書簡』(双葉社)など。
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