2022年10月25日に発売された『タイのひとびと』(ワニブックス)は、タイの人々や現地での日常を題材にしたコミックエッセイで、著者の小林眞理子さんがSNSで発表していたものに描き下ろしを加えたものです。
ここに描かれたエピソードが、“タイあるある”の連続で、思わず笑ってしまうものばかり。「タイに行きたくなる!」「わかる!」と共感の大嵐で話題になっています。そこで、小林さんにお話をお伺いしました。
漫画家・小林さんとタイの出会い
小林さんが初めてタイに足を踏み入れたのは、2008年のこと。妹が勝手にタイ旅行ツアーを申し込んだためでした。美大出身の小林さんは絵の勉強のためにヨーロッパに行くことが多く、タイに興味を持っていたわけではないと振り返ります。しかし、このツアーでタイの居心地のよさにすっかりハマってしまったのです。
「タイの人はいつも笑顔で、食べ物もおいしい! ツアー自体も楽しんでいたのですが、移動中のバスから見える地元の人が行くような屋台を眺めて“あっちのほうが面白そうだな”と思っていました。それからは、海外旅行といえば“タイ”にメインで行くようになったんです。
まずはバンコクに行き、観光客がなるべく少なそうなエリアで過ごします。1〜2週間もしたら北部に行ったり、海に行ったりと地方に移動します。私は田舎のほうが好きですね。タイの歴史にも興味があるので、地方のお寺や史跡目当てで行くこともあります」
地方で外国人が少ないエリアに行けば行くほど、日本語はもちろん英語も通じにくくなります。小林さんは事前にネットで調べることはせず、「なんとかなる」という気持ちでいろいろな場所に足を運んでいますが、特に困ったことはないと言います。
「私も少しずつタイ語を覚えていますが、まだわからない言葉もあります。そんなとき、マンガにも描いたのですが、飲食店の人がメニューを必死に教えてくれようとしたり、英語がわかる人を探してきてくれたりするんです。
そんな風に、タイの人たちの優しさにはよく助けられていますし、旅のすてきな思い出をつくってくれた現地の人には感謝の気持ちでいっぱいです。なので、タイの人々の親切なエピソードをマンガにして広めることで、それが少しでもお礼になればと思っています」
本書で描かれているタイ人は、仏教徒が多いということもあってか、とても親切な人ばかり。食堂のお姉さんがカニのジェスチャーで料理の内容を教えてくれたり、わざわざスマートフォンで検索して日本語で「アリガトゴザィマース」と言ってくれたり──。言葉もろくに通じない旅先でこんな場面に遭遇したら、タイに魅了されるのも納得です。
小林さん自身、そんなタイで触れた優しさや感情表現の豊かさに惹(ひ)かれ、また、日本とはまったく異なる文化の面白さに触れたことを、帰国後、友人に体験談として話すのですが、反応はいまいちだったといいます。
「“お腹壊さない?”とか、“危なくないの?”と言われたこともありました。(一般的に)海外旅行といえば、まずハワイやヨーロッパなどの方が思い浮かびやすいからですかね」
そこで小林さんは、タイでの体験談をマンガにしてSNSに投稿するようになります。すると、「これまでタイに興味がなかったけど、興味を持ちました」など、少しずつ反応が増えていきました。
「小さいころにタイに住んでいた人や、親がタイ人の人たちからは、私がタイの人たちや日常について描いているマンガを読んで、“アイデンティティを認めてもらえたような感じがしました”“肯定的に発表してくれてありがとう”といった声が届くようになりました。
私はそんなつもりで描いていたわけじゃなかったんですけど、タイの人たちや現地の日常を紹介するようなものって、あまり多くなかったのかもしれません」
仕事もはかどるタイならではのライフスタイル事情
小林さんの仕事はイラストレーターなので、iPadがあればどこでも仕事ができるとのこと。2018年に仕事での使用に耐えうるiPad Proが発売されて以来、現地でも仕事をするようになったと言います。
「だいたい日本の朝10時にあたる8時から仕事を始めます。午前中は外で仕事しています。タイは外で過ごす人も多いので、テーブルとイスがいたるところに設置されていて、木陰なら案外涼しいんです。午後に暑くなってきたらカフェに移動します。地方でも電源やWi-Fiに困ることはそうありません」
暑すぎたらマッサージに行ったり、仕事が早く終わったら遊びに行ったりと、日本にいるときよりも仕事がはかどるし、メリハリもつけられるという小林さん。
「全部外食なので、ご飯の心配をしなくてもいい、というのも大きいです。“冷蔵庫に豚肉があったけど、きのこを買いに行こう”など、そんなことをタイでは一切考えなくてもいい! 唯一困るのは蚊くらいです」
本書には、日本が大好きなタイ人も多く登場します。小林さんが日本人とわかると、「日本語を勉強しています」「(なぜか)岐阜が好き!」などと話しかけてくることも少なくないそう。
「日本という国を身近に感じてくれているように思います。だから、私もいち日本人としてちゃんとしなくては、と思っています。日本好きのタイの人たちは、日本の芸能ニュースも見ているようで“本当にあんなに不倫するんですか?”とか聞かれたりしました」
長引くコロナ禍で、小林さんも約2年タイに行くことができませんでした。2022年2月に久々にタイに行った際、街が真っ暗で、以前は23時過ぎまで盛り上がっていた屋台街が、21時には誰もいない状態を目の当たりにしたとき、「ショックだった」と言います。
「その後2022年の7月に再訪した際は、街がだいぶ活気を取り戻していました。今は入国制限も撤廃され、以前のような盛り上がりも戻ってきているようです。街の持つパワーに期待しています」
タイとの出会いで変化した“引っ込み思案”の性格
10月の本書発売から1か月足らずで重版となり、タイの英字新聞『Bangkok Post』でも本書が取り上げられるなど、その反響ぶりに小林さん自身も驚いています。
「タイに詳しい人はたくさんいるので、“こんな程度の知識ですみません”という気持ちはあったのですが、そこは案外何も言われませんでした。“タイで、親切にしてくれてありがとう”ということを伝えたくて描いたら、それを読んでくれた人が面白いと言ってくれて、ポジティブなことしかない。みんながハッピーになっていいなと思いました」
言葉が通じなくても、事前の情報がなくても、小林さんが物怖じせずにどんどん踏み込んでいくからこそユニークな体験に結びつき、それが作品になっていったわけですが、意外にも小林さんは自身のことを“引っ込み思案”だといいます。
「本当はいつもビクビクしてるんですけど、ビクビクしていたら食べ物にもありつけないので、勇気を振り絞っていろんなところに行くようにしています。そうすると、親切のほうが勝手にやってきてくれる感じなんです」
タイでは、日本の星座や血液型占いのように、自分の生まれた曜日が重視され、占いにも用いられています。小林さんは土曜日生まれなのですが、土曜日生まれの人は変人が多く、特に女性は気が強いとされているそう。
「自分が土曜日生まれだとタイの人に伝えると、いつも微妙な感じになります。でも、タイの人に“タイをうろうろして何をしているの?”とよく言われるので、確かに変わった人なのかもしれません(笑)」
小林さんが本書で描いたエピソードは内容が濃く、タイに行ったことがある人はもちろん、タイ未体験の人でも間違いなく笑えてしまうものばかりですが、実は内容を盛っているどころか、いろんなディテールを削ぎに削ぎ落とした“入門編”であるとのこと。
「まだまだ行ったことがないところはいっぱいあるし、描きたいけど描けていないエピソードもあります。これからもタイに通って、もっとたくさん描きたいです」
【要チェック】小林さんのタイでの必需品
小林さんがタイ滞在中に持ち歩いているのが、タイ北部の布『パーカオマー』。タイ日大辞典では、男性用の腰巻きとされていますが、用途は多様。地方で農作業をするときによく用いられており、チェック模様が特徴。「大きくて吸水力も抜群で、海やプールに行くときは必須。カフェや機内で寒いとき、お寺で参拝するときに身体に巻いたり、とにかく便利。この布で枕カバーなども作りました」
(取材・文/吉川明子、編集/本間美帆)
【PROFILE】
小林眞理子(こばやし・まりこ)隙あらばタイに行きたい漫画家/イラストレーター。TwitterなどSNSでタイでの楽しい日常漫画を発信中。
Twitter→@mariko_asia27、Instagram→@mariko_asia_27