最愛の母との永遠の別れを乗り越え、愛猫と二人、東京で暮らし始めた。最初に立ちはだかったのは、ペット可の物件を探しだった。そしてこれが、高齢の老姉妹の養子になるきっかけでもあった。麻生要一郎さんの新しい家族ができるまで。(全5回の第4回)
◎麻生要一郎さんの唐揚げ 第1回:養母の死
◎麻生要一郎さんの唐揚げ 第2回:新しい人生のはじまり
◎麻生要一郎さんの唐揚げ 第3回:母との別れで運命が変わった
建設会社の3代目として働いたのち、知人に誘われ新島で宿を始め料理人の道へ。その後、不思議な縁に導かれて高齢姉妹の養子となる。主な著書に『僕の献立』『僕のいたわり飯』(ともに光文社)がある。
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お婆さんが見える、家賃の心配は不要
お告げをくれる友人がいる。出会ったのは宿をやっていた頃。初めてみてもらった時に「あなたは千駄ヶ谷、北参道エリアに縁があります」そう言われた。
実家は社宅扱いだったので会社に返すための片付けをしながら、さてこれからどうしようかと考えた。
いろいろなありがたい選択肢があったけれど、僕は友達も多いし、自由な空気が楽な、東京に戻ろうと考えていた。何のあてもなかったし、やっていけるか分からないけれど、そうしないといけないと思っていた。
お告げの友人に引っ越し先を尋ねると、
「千駄ヶ谷か北参道、それ以外はない。古いマンションで、窓が多く、線路に近いから音が気になるかも」
そんなことを言われた。
こういう時、僕は素直に聞き入れるので、その地名だけでずっと物件を探した。ペット可、1LDK、千駄ヶ谷・北参道と毎日検索していたが、なかなかそんな物件は出てこなかった。仲介をしてくれる不動産屋の友人にも物件はタイミングだから諦めずに探すこと、出てきたら迷わず連絡をするようにと言われ、お告げをくれた友人にも物件が出てこないと弱音を吐くと「○日以降に必ず出てくるので諦めず、あと、お婆さんが見える、家賃の心配は不要」と言われて、ますます混迷した。
想像するのは、一軒家で玄関は1つ、2階は僕で、大家さんは1階に住んでいる……みたいな状況、何だか面倒臭い感じの東京ライフが浮かんだ。
チョビはあまり実家を離れたくない様子で、いつだったか明日新しい家を見に行くと話したら、出かける時に玄関がどうも猫のおしっこのにおいがするのだけれど、どこも濡れていない。気のせいなのかなと思い、帰宅するとやっぱりにおう。
よく調べると、僕のスウェードの靴の片方にチョビはおしっこをしたのだった。玄関にあった一番高い靴をちゃんと選んだ。小さくて強固な意思表示、思わずぎゅっと抱きしめた。それから毎日今後の話をした。ようやく理解してくれた様子、もう分かったよという表情になった。
ここに引っ越して来たらもう大丈夫よ
するとある日、いつもの検索をしていたら、今まで出てこなかった物件が出てきたので、すぐに不動産屋の友人に連絡すると、夕方に内見可能とのことで早速出かけた。ここじゃないかなあと思いながら、お告げをくれる友人にこっそり連絡すると、決めてよいとの返事。
考えてみると、いろいろな視点から凄い話だけど特に何も考えず、すぐに申込書を書いた。
契約書を見ると貸主の欄には連名で女性の名前が署名してあり、どんな人なのだろうと思っていたら「大家さんが会いたがっているから、引っ越しの時にでも顔を出してあげてください」と、不動産屋さんに言われた。
「電話するより、直接行ったほうが早いですから、たまに電話が繋がらないのは受話器が外れてるとか……(笑)」
なんて言うから、きっと高齢なのだと想像した。
その時は完全に無職だったので、審査が通るのかどうなのか分からないし、保証人もいなかったので、友人の不動産屋さんから大家さん側に細かな状況を伝えてもらっていた。
無事に契約を済ませて、不安と期待の中、引っ越しの何日か前に鍵を頂いたので、その足で訪問すると、玄関先で出迎えてくれた姉が「あなた、ご苦労なさったのねえ、でもここに引っ越して来たらもう大丈夫よ」
そう言ってくれたことを今も鮮明に覚えている。
灼熱の砂漠を散々歩き回り、オアシスにたどり着いた気がした。その言葉に含まれた深い安心感が、彼女のこれまでの人生、その人となりを物語っているようにも思えた。リビングに通されると、妹が「あなた、猫ちゃんいるんでしょ? 私たちもたくさん、猫も犬もずっと飼っていたのよ、これからは動物を大事にして、のんびり暮らしたらいいわよ」そう言ってくれた。
この言葉はなんだか、ずいぶん浮世離れした感じがした。のんびり暮らせるのは、そりゃ理想だけど、お家賃も稼がないとここにいられないし……と思いながらも、現実的な何かを越えたところで納得してしまうような不思議な空気がそこには流れていた。
自分の荷物を運び込み、チョビも実家から移動してきたものの、新島でやっていた宿か、うちの実家にしか暮らしていないので、都心のマンションは狭いなあと感じた様子。
家の中をぐるぐるしては、僕のところへ来て、部屋はこれだけなの? 階段とかないの? みたいな顔をしていた。
これでも頑張って借りたんだ、ごめんねとチョビを撫でた。
お墓、3つください
チョビを連れてきてから、2日目にピンポンとチャイムが鳴った。覗き穴を見ると巨大なサングラスをかけた姉がいた。
ドアを開けると、チョビは玄関先で「こんにちは!」という様子で姉にニャアーと言っていた。宿で育ったチョビは人懐っこい。
可愛い、可愛いと喜んで「あなたはもう1人なのよね? 私たちも2人だけなのよ、結婚するって柄でもないし、親戚はいるけどほとんど付き合いはないの。よかったらこのマンションもあなたに継いでもらえたら。うちの養子にならない?」というような話をしてくれた。
僕は、きっと大家さんはいい人たちだから、皆にそう言っているのかなあとも思い、天気の会話くらいの受け止めにして、うんうんと返事をしていた。
翌々日に再びまた巨大なサングラスが覗いていた。
チョビのことを妹に見せたいから、ちょっと借りていくわねと言いながら、まるでお醤油を借りていくような感じで、チョビを抱いてエレベーターに消えて行った。こういう時、あんまりすぐに行くのも感じがよくないなあと少し間を置いてから上に行った。すると、どこか時間が止まった感じのしていた部屋が、パッと明るくなっていたのである。
可愛いねえ! いい子だねえ! ニャアン! それは、幸せそうな光景だった。少し経てばきっと飽きる感じになるかなあと思っていたが、なかなか状況は変わらない。チョビは嬉しそうに、階段もあるんだよという感じで上ったり下りたりしていた。
「あなた、今夜はお出かけなさるの?」と聞かれたので「友人と食事の予定があって」と答えると、チョビを撫でながら「かわいそうに、おうちでお留守番だって〜」と冴えた演技。
トイレもあるようだったし、チョビもいいよって顔をしていたから「じゃあ、今夜はお泊まりさせてもらう?」と言い残して、神宮の花火大会を観に行った。
翌日、迎えに行っても、なんとなく状況は変わらなくて、結局ずるずるしてしまい、廊下の隅っこでチョビと話をした後に、僕はこう切り出した。「もしよかったら、僕がここに会いに来るようにしてもいいですか?」
2人は満面の笑みで「いいわよ」と言っていた。
その間にも、また養子の話は出たけれど、僕は現実の話ならそれはありがたい気もするけれど、やはり天気の話のように聞いていた。
お互いのことは何も知らない。
ある時、遠くにお墓を建てる場所はあるんだけど、両親の納骨もしていないし、私たちも自分たちのことを考えないと。近くにお墓を買おうと思うのという話をされた。
あなたのご両親のお墓は地元にあるんでしょ? それも一緒に移しちゃったらどう? なんて簡単に言う。
僕は生返事をしながら、車で一緒に近所のお寺へ出かけた。都市型のお墓を見ながら、ここでいいわねえと納得した様子だった。
再び契約に行くとのことで、また一緒に出かけた。都市型のお墓は1つのボックスに、骨壷のままだと2つ入り、袋に入れるともう少し入るとかで、車中で両親用と、自分たち用と、要ちゃんも使えるようにもう1つと言っていた。
えっ?と思いながら、お寺に着くとまるで饅頭でも買うみたいに「お墓、3つください」と言っていた。
3人で3つだったので、受付の方が「契約はそれぞれなさいますか?」と言うと、二人は「いいえ、契約者はこの人」と僕のほうを見るのだった。その時、僕は養子の話が現実であったことを認識した。
妹が頬づえをつきながら、大きなクリスチャンディオールのサングラスを外して「あなた、面倒臭いからうちの養子になんなさいよ」とウィンクするような感じで言った。「役所の手続きなんか後ですればいいから、そこにはもう麻生って書いちゃいなさいよ」
そう言われて、僕はその契約書に「麻生要一郎」と書いたのである。二人は拍手して喜んでいて、受付の人は呆気にとられていた。
そうして、僕は「麻生要一郎」になった。
(第5回は11月6日18時公開予定です)