京都を舞台とした漫画『スサノオくん』が話題となっています。主人公のスサノオくんはどこにでもいる元気な小学生。ただ彼には一つの特徴がありました。なんと、霊や神仏が「視(み)えてしまう」のです。
そんなスサノオくんの周りで次々と巻き起こる、この世のものではない事件。スサノオくんは仲間と一緒にどんどん解決してゆきます。ウワサの漫画『スサノオくん』は、幼い男の子がときには神や霊の悩みまで解消してしまう“神”感覚ファンタジーなのです。
ハリウッド映画を思わせる躍動感にあふれたダイナミックな構図に驚かされ、反面、昭和の少年漫画のようなほっこり感もあり。そんなスサノオくんがいま「不思議カワイイ」と大好評。地元京都ではグッズが誕生し、祇園祭の船鉾(ふねぼこ)保存会のパンフレットでは案内役に抜擢されました。
2022年7月7日、奇しくも七夕の日、マンガ・ラノベ・アニメの総合サイト「PASH UP!」で連載がスタートし、人気に火がついた『スサノオくん』。作者のロビンやすおさんは48歳。アニメ作家や大学教員を経て漫画家デビューを果たした遅咲きのニューカマーです。
「興味神神(しんしん)きれいに成仏!!」。ロビンやすおさんに、漫画『スサノオくん』が誕生した背景についてうかがいました。
京都は神様と仏様とモノノケが同じ地域にいる
──このたび単行本の第2巻が発売された『スサノオくん』、書店でフェアが開催されるなど大人気ですね。
「ありがとうございます。フェアでは“小学生の娘に読ませたら、めっちゃハマってました”“孫に買って帰ります”というお声もいただきました。自分でも3世代で楽しめる漫画だと思います」
──スサノオくんは京都に住む少年ですね。実在する場所もたくさん登場します。なぜ京都を舞台にしたのですか。
「大学に勤めるようになり大阪から京都へやってきて、すっかり京都に魅了されました。街の中に神仏の施設がこんなにたくさんあって機能している都市は、世界規模で見ても京都しかありません。京都は神様と仏様とモノノケが同じ地域に存在している。目には見えない、もう一つの世界がある。そして街の人が『見えない世界があるよなぁ』と実感しながら楽しく暮らしている。漫画を描くなら、そんな柔らかな土壌がある京都を舞台にしたかったんです」
──京都を舞台にしているだけではなく、『源氏物語』に登場する、主人公の光源氏を愛するあまり死後も彼の妻たちを苦しませる「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」の霊を、小学生のスサノオくんに成仏させてしまうのがスゴイと感じました。これまで古典文学や伝承で「怨霊」とされてきた者たちのハッピーエンドをつくってしまうとは。
「六条御息所を、ただの恐ろしい女と捉える人が多いので、それはかわいそうだとずっと思っていたんです。だったら、スサノオくんが怒りを鎮めてあげようと。スサノオくんを通じて文学や史実に登場する“怨霊”や“怨念”を成仏させたい気持ちはありますね」
子どものころから見えない世界が「視えていた」
──主人公のスサノオくんは天真爛漫でワンパクな小学生です。ロビンやすおさん(以下、ロビンさん)ご自身はどのような少年だったのですか。
「めっちゃ元気でした。外で遊ぶのが大好き。飛んだり跳ねたりケガをしそうな危険な遊びばかりやっていました。片や、家の中で絵を描いたり工作をしたりするのも好きでね。外で遊ぶときも家にいるときも、常に100%の力で挑む子どもでした」
──スサノオくんは神界や霊界など見えない世界が「視えてしまう」能力を持つ小学生です。ロビンさんは少年時代、そういった経験はありましたか。
「思い起こすとよくありましたね。幼稚園児のころ、園内で男の子と話をしていたら、先生から“一人で何をしているの?”と言われたり、お昼寝の時間に魂が別の部屋まで飛んでいったり。ただそれが普通だったので、不思議だとは感じませんでした」
──現在はいかがですか。今もお視えになりますか。
「視えますよ。むしろ35歳を超えてから、いっそう感覚が鋭敏になり、視える日が増えました。もう“視えるのが日常”という感じ。目が覚めたら部屋の隅にいた紫色の小さなヒトガタが走って逃げていったり、灰色の雲に包まれた女性の腕が迫ってきたり、きれいな光が飛んでいたり。そんなのはしょっちゅうです」
──しょっちゅうなんですか。
「しょっちゅうです。上賀茂神社に賀茂競馬(かもくらべうま)という神事があり、馬が競走するんです。その馬たちを発射台にして龍が二段ロケットのように北へ向かって飛んでゆくのも見ました。後で調べたら、龍が進む方向には水を司る龍神・高龗神(たかおかみのかみ)を祀(まつ)っている貴船神社があったんです。『あ、そうか』と感じましたね」
──ロビンさんにとってそれは「あ、そうか」くらいのよくある経験なのですね。
「視えない世界を大切にすると、神さん(※ロビンさんは神に親しみを込めて“神さん”と呼ぶ)が助けてくれます。漫画のストーリーを考えていたら、“こうしたほうがええんとちゃうか”と頭の中でアドバイスをくださったり、心霊スポットへ取材に行こうとすると“そんなところへ行ったらあかん”と叱ってくださったり。迫力がある龍の描き方がわからなくて困っていたとき、たまたまテレビをつけたら、水墨画の巨匠・曾我蕭白(そがしょうはく)が描いた龍の屏風絵がどーんと映し出された日もありました。神さんが“手本にしろ”と見せてくださったのでしょう。こんなの偶然のわけがないですから」
校舎の3階から飛び降りるほどエネルギーがあふれていた
──第2巻では、スサノオくんが、見えない世界が「視えてしまう」ためにクラスで疎外感を覚えるシーンが出てきます。ロビンさんは「変わった子だ」と言われた経験はありましたか。
「小学校5年生くらいから、『あれ? 自分は他の子と違うんかな?』と感じるようになりました。国語の時間、教科書を朗読するとき、書いてある文章ではなく頭に浮かんだ言葉を勝手に読んでしまうんです。クラスメイトは『やれやれ、また始まった』って感じだったし、先生からは毎度、机と椅子ごと廊下に放り出されました。そんなのが2日に1回はありました。小学校では浮いた存在でしたが、時代が大らかだったのか、いやだと思ったことはなかったです」
──学生時代はどのように過ごされたのですか。
「何事にも全力で立ち向かう性格は変わらなかったです。高校時代は美術部だったけれど、学校で一番に足が速かった。体育と美術だけは学校で一番じゃなきゃイヤだったんです。身体能力が高く、京都精華大学(芸術表現の総合大学)に進学してからも、校舎の3階から飛び降りていましたから(笑)。エネルギーがあふれ出て止まらなかったんです」
1時間ほどのアニメ制作に5年もかけた執念
──大学卒業後、アニメーターになられたそうですね。
「アニメーターというか、『コマ撮りアニメ作家』ですね。卒業制作で撮ったストップモーションアニメ(静止した物体を1コマごとに撮影し、あたかも動いているかのように見せる作品)が受賞し、いくつかの映画祭に呼ばれるようになったんです。これをきっかけに『自分にはコマ撮りアニメが向いているんとちゃうか』と思い、アニメ映画『緑玉紳士』(2005年)を制作しました。1コマずつ撮っているので、1時間ほどの作品の完成までに約5年もかかってしまいました」
──1時間ほどの作品の制作に約5年も……執念ですね。
「幼いころから『物を作っていないと死んでしまう』くらい創作が好きだったし、無茶をする性格だったからやれたのでしょう。ちなみに『こまどり』という鳥がいますよね。こまどりは英語でロビンっていうんです。“ロビンやすお”という名前は、こまどり=コマ撮りにあやかっているんです」
──自分の名前にするほどコマ撮りに思い入れがあったのですね。アニメ作家の仕事で食べていけたのですか。
「苦しかったですね。仕事で2分の短いショートフィルムを撮ったり、ミュージックビデオを撮ったりしてしのいでいました。次の企画を立てて制作をするにも時間がかかるので葛藤しているなか、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)から『キャラクターデザイン学科の教壇に立たないか』という依頼があり、2008年から教員に、2011年に准教授になりました」
漫画家になったきっかけは「落雷」
──大学で教鞭を執っていたロビンさんが漫画家になろうと思われたのはどうしてですか。
「雷に打たれたんです」
──え! 雷に?
「はい。大学に籍を置いていたある年の元旦、眠っていると金縛りに遭い、青い稲妻に打たれました」
──「雷に打たれたような衝撃」かと思いきや、本当の落雷ですか。お身体は大丈夫だったのですか。
「はい。雷と言っても、われわれが住む3次元へ落ちたのではなく、4次元よりも上の高次元に落ちた雷です。そのとき僕は幽体離脱をしていたので、視覚が肉体の眼球を通していないため、身体に落ちる雷光がよりはっきりと見えたのです」
──幽体離脱をしていた……その青い稲妻が、どうして漫画家になるきっかけとなったのでしょうか。
「教える立場になると忙しくて作品の制作や表現活動ができなくなってきた。そんな状況が続き、胸の中がずっとモヤモヤしていたんです。そして雷に打たれ、改めて自分が生まれてきた理由に気がついた。『絶対にものづくりをせなあかんのや!』、そう直感したんです。きっと神さんが雷を落とすことで『自分の使命を忘れてへんか?』と伝えてくださったんでしょうね」
──それで、大学の仕事はどうなさったのですか。忙しいままですよね。
「辞めました」
──なんと! 雷に打たれて、お辞めになったのですか!
「『大学を辞めへんかったら、自分がやるべきことをやられへんな』と思って。青い稲妻に打たれた経験は、それくらい大きな出来事だったんです」
アニメーターから漫画家へ転身するも「甘かった」
──かつてアニメ作家だったロビンさんが、一から漫画家を目指したのはどうしてですか。
「漫画を描いた経験はなかったし、実はあまり読んでもいなかった。とはいえ、自分の作風であるコマ撮りアニメは、時間、手間、予算がかかり、作品の完成までが遠い。その点、漫画だと一人で描けるし、もっと短期間に表現できる。メッセージを読者に早く伝えられる。そう考えたんです。アニメを制作するときは先ず絵コンテを描くので、その技術を生かせられれば、漫画も描けるだろうと」
──スサノオくんは漫画でありながらアニメのような躍動感とダイナミックな表現が魅力ですが、漫画はすぐに描けるようになったのですか。
「これが……甘かったですね。アニメと漫画は表現方法がまるで違いました。漫画を描くスキルはかなり特殊なものだとわかったし、むしろアニメの技術が足を引っぱった。アニメにならって、つながって見えるように描いていたら、コマがいくつあっても足りないんです。『漫画って、こんなにコマを間引かなきゃいけないのか』と、かなり戸惑いました。漫画を漫画らしく描けるようになったのは、スサノオくんの連載が始まってからですね」
スサノオくんは読者の心を豊かにするツール
──漫画家デビューはどのように決まったのですか。
「コロナ禍の間、オンラインの漫画教室を受講したんです。その講座の先生に『PASH UP!』をすすめられ、持ち込みをしました」
──そこで認められたのですね。
「始めは連載ではなく読み切りでした。編集部の方が『この作品はおもしろいけれど、正直に言って、うちのサイト向けじゃないです。読み切りというかたちで一度、載せてみますか』とおっしゃってくださって。そうして単発で掲載したところ読者から多くの反応があり、『じゃぁ、連載やってみましょう!』となって、現在に至ります」
──現在は熱狂的なファンを生む人気です。今後どのような展開をお考えですか。
「スサノオくんをもっと多くの人に知ってもらおうと、9月17日からクラウドファンディングを始めました。『あなたもスサノオくんに登場できる』など、驚きのリターンをご用意しています」
──これから「PASH UP!」に掲載されたスサノオくんに関心を抱いたり、 コミックスを購入してみたいと考えたりしている読者へ、なにかメッセージはありますか。
「近ごろ『心が乾いてるなあ』『マニュアルどおりにしか生きられてないなあ。 自分らしく生きていないなあ』、そんなふうに感じたら読んでみてほしいですね。読者の心を豊かにするツールになれると思いますので、手に取っていただければとても嬉しいです」
◇ ◇ ◇
神様と少年たちの非日常(ファンタジー)。疲れた心を癒やす令和のお伽草子「スサノオくん」。実在する神社仏閣や名所が続々と登場するスサノオくんを手にしながら、秋の京都観光はいかがでしょう。ふと迷い込んだ路地裏で、空に向かって話をする愛らしい少年に出会えるかもしれません。
(取材・文・撮影/吉村智樹)
★PASH UP!『スサノオくん』
https://pash-up.jp/content/00001292
★単行本『スサノオくん』1(主婦と生活社)
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/9784391159097/
★単行本『スサノオくん』2(主婦と生活社)
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/9784391160772/
《PROFILE》
ロビンやすお ◎本名:栗田安朗。1975年 大阪府高槻市生まれ。港南高校モダンクラフト科卒。京都精華大学ビジュアルデザイン学科卒。2005年 劇場用ストップモーションアニメ『緑玉紳士』でアニメーション作家デビュー(ロッテルダム映画祭・ニューヨークジャパンソサエティ100周年映画祭正式招待作品)。2008〜2015年 京都造形大学(現・京都芸術大学)キャラクターデザイン学科で准教授。2022年 主婦と生活社の漫画サイト「PASH UP!」で『スサノオくん』連載開始。現在、京都と滋賀の二拠点で活動。